美輪明宏さんが生前“予言”していた「フジテレビの惨状」と訴え続けた「平和への思い」
歌手で俳優の美輪明宏さんが老衰のため6月20日に亡くなったことが明らかにされ、悲しみの声が広がっている。91歳だった。
【もっと読む】美輪明宏や黒柳徹子は“後続人”と生活 高齢セレブ芸能人に学ぶ「終活」事情
関係者によれば、ここ1年は、高齢のため仕事をセーブし、約3カ月前に体調を崩してからは、自宅で静養を続けていたそうだが、最期は家人に「ありがとう」と伝え、眠るように旅立っていったという。
美輪さんは、1935年、長崎県長崎市生まれ。10歳の時、自宅で夏休みの宿題の絵を描いていた時に被爆。周囲の光景は「地獄だった」と後に語っている。51年に上京し、国立音楽大学付属高校に入学(のちに中退)。16歳の時、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で、丸山明宏名義で歌手としてデビューし、代表曲に、「ヨイトマケの唄」(65年)などがある。
同時に寺山修司の劇団「天井桟敷」にも参加。三島由紀夫を筆頭に、多くの文化人と交流を重ね、“禁断の美少年”として、自身のセクシュアリティーについても早くから公言し、差別や偏見に向き合ってきた先駆的存在でもあった。
その後も舞台、映画、ドラマと幅広い活躍を見せたが、新聞紙上での「人生相談」や著書などを通じて、徐々に世の悩める人に言葉を届ける“スピリチュアル的な存在感”を増していった。
「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」(テレビ朝日系=05〜09年)、「美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室」(NHK・Eテレ=20〜25年)など、人生相談・スピリチュアル色のある番組にも数多く出演。民放テレビ局関係者はこう話す。
「美輪さんのスピリチュアルな逸話は多いのですが、97年にフジテレビがお台場に移転した際には、“グレーの廊下は良くない、ここは悪い気がたまっているので、邪気を払うためピンクのじゅうたんを敷いた方がいい。そうしないと将来大変なことが起こる”と言っていたそうです。テレビマンの間では、フジはその忠告を聞かなかったので、その後、ああいう事件が起きたという噂がまことしやかに囁かれていました」
2012年には、77歳にして、それまで楽曲をフルバージョンで歌えないという制約から出演を辞退していたNHK紅白歌合戦に初出場。周囲を圧倒する気迫で、「ヨイトマケの唄」をおよそ6分間にわたって熱唱したシーンを覚えている人は多いだろう。スポーツ紙芸能担当記者の話。
「美輪さんは、本番終了後、感極まった様子で、『無償の愛、我が命を捨ててでも我が子を守るとか、思いやりが今の時代は希薄になってるから、思い出して欲しい』と涙を流しながら取材に答えていました。紅白は合計4回出演しましたが、被爆や戦中戦後の苦しい時代を経験したからこその美輪さんならではの思いがあったと思います」
こうした美輪さんの“平和への思い”は、評論家の佐高信氏も日刊ゲンダイに明かしている。佐高氏は美輪さんをインタビューした時の様子をこう書いている。
《「一番ヤボなのは戦争をすることですね」と問いかけると、長崎での被爆者でもある美輪は即座に返した。
「戦争って言葉をなくせばいいんですよ。『大量殺人』でいいんです」
そして続けた。
「いじめをなくすためにはどうしたらいいか。いじめという言葉をやめて、『恐喝』『暴行』とするんです。いじめっ子という言葉に代えて『犯罪者』と呼びなさい。誰だって犯罪者と呼ばれるのはイヤでしょう。万引という言葉も軽いニュアンスがあるでしょ。『窃盗』『泥棒』でよろしい」
次の断罪も厳しい。
「世界広しといえども、セックスの処理係として女をぞろぞろ第一線に連れて歩いたのは日本の軍隊だけですよ」》(2025年10月6日「週末オススメ本ミシュラン」)
公式サイトに掲載された美輪さんの直筆メッセージの最後の言葉は、「愛があれば戦争なんか起こりません」。世の中のすべてに、“愛と平和”を訴え続けた人生だった。
◇ ◇ ◇
高齢セレブ芸能人の晩年は、それなりに幸せなのだろうか? 関連記事【もっと読む】美輪明宏や黒柳徹子は“後続人”と生活 高齢セレブ芸能人に学ぶ「終活」事情…では、美輪明宏と黒柳徹子について伝えている。
