野球・鎌田祐哉さん、東明大貴さん|二人の右腕はどう不動産会社に入社したのか? プロ野球選手のリアルな転職事情<前編>

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 城北不動産は東京都内にある社員20人ほどの企業だが、実は元プロ野球選手が二人働いている。現役時代はどちらも右投手だった――― 。鎌田祐哉(45歳)は台湾を含めて3球団で12年、東明大貴(35歳)はオリックス・バファローズで7年の現役生活を経験している。

 タイトルと縁のある「超一流プレイヤー」ではないが、鎌田はNPBの一軍で実働9年のキャリアを持ち、東明は二桁勝利を記録した年もある。まったく一軍と縁がなく引退していく選手も少なくない中で、しっかりとした爪痕をプロの世界に残した二人だ。180センチを超す鎌田、東明が並ぶと一般人とは違ったオーラが漂う。

 もっとも引退後のネクストキャリアで、彼らはプロ野球とまったく縁がない異業種を選んだ。まず鎌田が同社に入社し、7年後に東明が続いた。それぞれに紆余曲折、考えがあった中で、不動産業に巡り合った。

 元プロ野球選手二人はどうやって城北不動産に入社したのか? 華やかな前歴のメリット、デメリットはどこにあるのか? インタビュー前編は転身、ネクストキャリアの「リアル」について語ってもらった。

――― それぞれの現役時代を簡単に振り返っていただけますか?

鎌田:「思ったより上手くできなかった現役生活」でした。一応12年はやって最後の台湾ではいい成績でしたが、NPBでは言ってみれば1.5軍〜1.6軍です。それでも自分として精一杯やれて、それについて後悔はありません。

東明:私はリハビリの期間が非常に長くて、7年間の現役で実質2年強はリハビリで投げられていません。1年目に5勝、2年目は10勝しています。ただ、そこからは全然ダメでしたが、非常に良い経験ができた日々だったと思っています。

――― 鎌田さんは現役最後の2012年に台湾の統一ライオンズでプレーして、16勝で最多勝に輝いています。

鎌田:2カ月契約と言われていて、打たれたらすぐクビだと覚悟していました。最初の試合の1球目は「自分の人生、これからどうなるのかな?」とワクワクしたことを覚えています。逆に不安もあったんですけど、スパッと挑戦の気持ちで迎えられました。そこは選手生活の中でも一番印象的な瞬間です。



――― 東明さんの「現役生活で特に印象深い瞬間」はいつでしたか?

東明:完封が一度だけあって、最後までマウンドに立てていた時のことはよく覚えています(※2015年9月9日、埼玉西武ライオンズ戦)。

――― 鎌田さんはセカンドキャリアをどのタイミングで意識しましたか?

鎌田:2011年10月に楽天から「来年は契約しない」と言われて、球団に残る選択肢もありませんでした。ハローワークに行ったし、色んなことをしました。だから台湾へ行く前に、一旦そこで(次のキャリアを)考えていましたね。台湾では最多勝を取って、次の年もやるつもりでしたが、「契約をしない」という連絡が11月末くらいに来ました。

 そこからまた就職活動をしたのですが、なかなかうまくいきませんでした。知っている方に連絡をしたり、大学のOBの人も含めて、さまざまな会社へ訪問しました。もう33歳でしたから「年上の部下になるのでやり辛い」と言われたこともありました。

――― そのまま野球界に戻らず、もう10年以上にわたって城北不動産にお勤めです。こちらの会社へ入社はどう決まったのですか?

鎌田:2012年の12月末に引退を公表して、翌年の3月くらいにはこちらに決まりました。OB訪問などで色んな方に話をお聞きしている中で、「不動産をやっている人がいるので、ご飯を食べて話でも聞いてみない?」と誘われたんです。「お願いします」と言ったら、それが食事会でなくて面接になりました。「真面目そうだし、ウチで働いてみない?」とすぐ話をもらいました。

――― 経営陣の方と直接お会いしたんですか?

鎌田:専務取締役です。野球がめちゃくちゃ好きな人ですね(笑)。少し考えて、電話をして「4月1日からお願いします」とお答えしました。

――― 東明さんはオリックスで引退をされて、入社までに少しインターバルが空いています。

東明:実は「少し時間を開けよう」と決めていたんです。上の子がちょうど幼稚園に入るくらいでしたし、1回ゆっくりして、家族との時間を作ろうと思っていました。地元の岐阜に戻って、妻とお昼を食べに行って、子どもが帰ってきたら公園に行って……という生活をしていました。それはそれで、僕としても非常に有意義な時間でした。すぐに生活に困るということもなかったですし、実家なので家賃もいらなかったんです。母も「1年間くらいは養ってあげるよ」と。



――― 岐阜には残らず、東京で就職しましたね。

東明:岐阜に残る選択肢は僕の中になくて、大阪か東京かなと思っていました。オリックスにいたから大阪の方が知っている人は多くて、やりやすかったのかもしれません。ただ僕としては「新しく会う人達と働いた方がやりやすいのではないか」と考えたんです。

 大手求人サイトを使ったとき、ふと「プロ野球を辞めた人は、何をしているんだろう」と気になりました。調べたら鎌田さんが出てきて、どうせ働くなら同じ境遇の人がいた方がやりやすいなと思って応募したのが今の会社です。

――― 現役時代にお二人の接点はあったんですか?

東明:何もなくて、僕は『Wikipedia』で鎌田さんを調べました。名前は知っていましたけど、僕がプロ野球に入ったときは引退されていましたし、ゲームの中で知っていたという(笑)

――― 求人サイトから、どう城北不動産に巡り合ったんですか?

東明:「元プロ野球選手 仕事」と検索して調べました。他にも何社かあってIT系だったり人材系だったり、色々ありましたね。

鎌田:さっき話に出た専務から東明の履歴書を見せられて、「オリックスにいた東明くんが面接に来るけど、鎌ちゃんも一緒に出てよ」と言われて。面接の途中から二人で話すことになったんですが「仕事の内容や会社の雰囲気」など、簡単な説明をしました。



東明:面接は夏の終わりごろでしたが「もし入社させていただくのであれば、年明けからでもいいですか?」という話はしました。二人目が生まれるタイミングだったので。

――― 専務は鎌田さんのときと一緒で、すぐ「この人なら入れていい」という感触だったんですね。

鎌田:だったと思います。

東明:元プロ野球選手の中で面接が一次だけでなく、二次、三次と続くような会社に入ったのは、過去におそらく数名だと思います。年齢もあって、なかなかそういう選考の対象になりにくいですね。話を聞く限りでは、大体1回の面接で決まっているケースが多いです。

――― いざ不動産会社でサラリーマンとして勤務を始めてみて、ギャップはありませんでしたか?

東明:野球選手だった経歴が働くうえではメリットであり、デメリットでもあると思っていました。ただ僕の中で特別に「元選手だから」という感覚はなかったです。

――― 「デメリットになるかも」とおっしゃったのはどういう部分ですか?

東明:勝手に自分で上げているのか、周りが上げてくださっているのか、そこは分からないですけど、「プロ野球選手だから」という言葉がつきまといがちです。逆に「プロ野球選手だったから、それができないんだね」とネガティブに働くこともあります。

――― 「派手な世界にいた分、常識がないな」と思われることもありますか?

東明:そうですね。

鎌田:最初に「野球選手です」から入ると、やはり「じゃあ分からないよね」みたいな話になります。

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取材=大島和人

撮影=野口岳彦

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