「そりゃないだろう…」社宅暮らし40年、金融資産2億円を築いた70代夫婦の誤算。〈入居金9,000万円の高級老人ホーム〉へ入所も、6年後に夫婦揃ってやつれたワケ【FPが解説】
老後の住まいとして老人ホームを検討する際、多くの人が「手厚い介護」や「充実した設備」に目を向けます。しかし、どれほど資産に余裕があり、万全の準備をしたつもりでも、暮らしの土台が揺らぐことがあって……。本記事ではFPオフィスツクル代表の内田英子氏が、山崎さん夫婦の事例とともに、老人ホーム選びの注意点について解説します。※本記事の事例は複数の相談をもとに、プライバシー保護のため脚色を加えています。税務・法務等の個別判断は各専門家にご相談ください。
「高級老人ホームなら安心」と思っていたが…
「安くないところに入ったのだから、最後まで安心して暮らせると思っていました」
そう話すのは、78歳の山崎隆さん(仮名)、74歳の妻の美智子さん(仮名)です。隆さんは大手メーカーに長く勤務し、定年前には役員も務めました。
現役時代の大半は会社の社宅暮らし。家賃負担を抑えられたこともあり、夫婦は堅実に資産を築いてきました。退職金と役員退職慰労金に持株会で積み立てた株式、相続で受け取った金融資産などを合わせると、70代前半の時点で保有資産は約2億円。年金収入も夫婦で月30万円を超えていました。
子どもは3人いましたが、いずれも独立し、経済的な援助は必要ありません。
「子どもに迷惑をかけず、第二の人生をよりよく過ごしたい」
そう考えた夫妻は、持ち家を購入するのではなく、高級介護付き有料老人ホームへの入居を決めます。
施設は都市部から少し離れた緑豊かな場所にありました。広いエントランスに眺めのよいレストラン。趣味のサークル活動もでき、看護師の日中常駐や協力医療機関との連携もありました。居室はそれぞれわかれており、ゆとりのあるタイプです。
入居一時金は夫婦で約9,000万円。月額費用は管理費、食費、介護保険の自己負担分などを含めて約80万円。決して安くはありませんでしたが、「これで老後の安心を買えるなら」と入居を決断したのでした。
入居から6年後に届いた一通の通知
入居して以降、二人は充実した毎日を過ごしていました。美智子さんは館内の音楽サロンに参加し、手編みや刺繍などさまざまな趣味を楽しむ日々。隆さんも親しくなった入居者と囲碁やレジャーを楽しんでいました。夫婦別室と聞いた当初は心配がありましたが、2人は「適度に距離を取れるようになったことで、入居前よりも夫婦仲がよくなった」と感じていました。
しかし、入居から6年あまりが過ぎたころ、施設から届いた通知により暮らし向きは一変します。
そこには、運営会社の経営状態が悪化していること、今後は別会社への事業譲渡を進める予定であること、条件によっては施設の運営継続が難しくなる可能性があることが書かれていました。
「9,000万円も支払ったのに? こんなことがあるのか」
説明会では、入居者や家族から不安の声が相次ぎました。運営会社側は「閉鎖が決まったわけではない」と説明するものの、職員の退職が続き、食事や清掃、レクリエーションの内容にも少しずつ変化が出始めます。レクリエーションへの参加者は減り、山崎さん夫婦も部屋で過ごす時間が増えていきました。
介護事業者の倒産は過去最多に
近年、介護事業者の倒産は増えています。東京商工リサーチ TSRデータインサイトによると、2025年の介護事業者、つまり「老人福祉・介護事業」の倒産は176件。前年より2.3%増え、2年連続で過去最多を更新しました。コロナ禍前の2019年は111件だったため、6年で約6割増えたことになります。
直近のデータでは、とくに件数が多いのは2024年度の基本報酬マイナス改定の影響を受けた訪問介護です。しかし、有料老人ホームも無関係ではありません。2025年の有料老人ホームの倒産は16件。前年からは2件減少したものの、依然として高い水準です。
老人ホームもまた、事業として運営されています。2025年の結果を見ると、「人手不足」倒産が全体の約16%を占め、件数は前年よりも45%増加しています。深刻な人手不足を背景に、人件費を上げざるを得ない圧力が高まるなか、食材費や光熱費、建物の維持管理費などの必要経費も上がり続けています。介護サービスに人手はかかせません。人材の確保が欠かせない事業であるからこそ、たとえ資金があっても経営を継続することができない難しさもあります。
つまり、老人ホーム選びで確認すべきなのは、居室の広さや食事、医療連携だけではありません。その施設を運営する会社が、将来にわたって安定して事業を続けられるのか。人手は確保できる環境にあるのか。そういった点も、老後の住まいを選ぶうえで欠かせない視点でしょう。
なお、入居時には、入居一時金の扱いについても慎重に確認しておきたいところです。
たとえば、山崎さん夫婦が入居時に支払ったのは約9,000万円でしたが、このお金は銀行預金のようにそのまま個人の名前と一緒に残っているお金ではありません。将来の家賃や共用部分の利用料に充てる前払金として、契約に基づいて少しずつ消化されていくお金です。施設や入居時の年齢によっても異なるものの、5年〜10年程度で償却されるケースが多いようで、退去時に必ずしも払い戻しを受け取ることができるとは限りません。
山崎さん夫婦の場合は、契約書を確認すると、初期償却で20%、償却期間が13年と設定されていました。未償却部分を計算してみると、約3,600万円。すでに約6割近くのお金が消化されている計算です。
さらに、「計算上戻るはず」の未償却金がある場合でも、実際に戻るかどうかは約束されているわけではありません。仮に事業者が倒産した場合、入居一時金の未償却分については法令上の保全措置があります。ただし、保全されるのは未償却分の全額とは限らず、一般に上限は500万円です。
山崎さん夫婦のように計算上の未償却分が数千万円ある場合、保全される金額との差は大きくなります。未償却分が500万円を超える部分は倒産手続き上の一債権に過ぎず、回収できるとは限りません。一方、すでに償却が終わっていれば返還対象自体がなくゼロとなる可能性もあります。
説明を聞いた山崎さんは「そりゃないだろう……」とやつれた様子です。
富裕層でも住み替えは簡単ではない
資産があるなら、別の施設に移ればよい。そう考える人もいるかもしれません。たしかに山崎夫妻には、まだ十分な金融資産が残っていました。6年あまりの施設費、医療費、生活費を差し引いても、資産は7,000万円以上あります。
しかし、問題はお金ではありません。70代後半の夫婦が、もう一度住まいを探し、見学し、審査を受け、契約し、引っ越す。その負担は決して小さくありません。身体状況や認知機能が変化していれば、契約行為ができず、希望する施設に入れないこともあります。夫婦での入居を希望しても、空きがあるとは限りません。
さらに、同じ水準の施設に入り直す場合、新たに数千万円単位の入居一時金が必要になることもあります。月額費用も、以前より上がっているかもしれません。つまり、富裕層であっても「お金を支払って、選び直せば済む」とは限らないのです。
老人ホーム選びで確認したいこと
有料老人ホームを選ぶ際には、設備やサービス内容だけでなく、契約と経営の視点が欠かせません。
まず確認したいのは、入居一時金の償却方法です。初期償却はあるのか。償却期間は何年か。途中退去や死亡退去の場合、いくら返還されるのか。パンフレット上の金額だけでなく、返還金の計算式まで確認しておきましょう。
償却期間の設定は施設側が統計的・経営的に見込んだ平均居住年数をベースにしているケースが多く、ご自身が希望されている期間とは別の論理で設定されています。つまり、契約上の想定居住期間とご自身が希望する居住期間とは構造上のズレがあるのが一般的です。
また、運営会社の経営状況の確認も重要ポイントです。入居率や職員の定着状況、行政処分の有無、系列施設の運営状況、財務情報、経営理念など、確認できる範囲で情報を集めましょう。見学時の印象がよくても、経営を継続していける組織であるとは限りません。
一見すると豪華な建物や美しい館内風景であっても、終の棲家として成り立つには、施設側にさまざまな不確実性を乗り越えていく経営体制が必要です。もちろん、利用者として知ることができる範囲は限られますが、事前に情報収集をしておき、万が一の対策を具体化できているかによって、晩年の暮らし向きは大きく変わる可能性があります。
万が一があったとき、自分たちに次の選択肢はどれくらい残せそうなのか。長きにわたって自身が大切にしたいものを守ることはできそうか。契約前には、専門家の力も借りながら、契約内容とともに、自身のライフデザインと照らし合わせながら、じっくりと確認する時間を取ることをお勧めします。
内田 英子
FPオフィスツクル 代表
ファイナンシャルプランナー

