過去には児童5人が重軽傷を負った事件でも「危険運転と認めず」…ついに法改正「ドリフト走行」が“危険運転”の対象に
6月21日、「ドリフト走行で路面破損か オランダ国籍の男逮捕」というネット記事が配信された。栃木県宇都宮市の観光施設「大谷資料館」の駐車場で同15日、ドリフト走行を繰り返して路面にタイヤの痕をつけ、破損させた器物損壊容疑で、オランダ国籍の男が宇都宮中央署に逮捕されたという記事だ。ドリフト走行を危険運転罪(危険運転致死傷罪)の対象にする自動車運転処罰法改正案が、4月に参院本会議で可決され、6月25日、衆議院で全会一致で可決・成立した。飲酒などによる危険運転への基準が新たに決まったが、モータースポーツの花形テクニックが、公道での規制対象とされた経緯を解説する。
【写真を見る】周囲を巻き込む危ない走行に厳しい罰が…ドリフトも危険運転に
ハイスピードとは認めず
「(車の速度は)時速40kmを超えてはいなかった」

京都地裁は2014年10月、交通事故の公判で、検察側が求めていた危険運転罪の適用を否定し、過失運転罪(過失運転致死傷罪)を適用。高裁もこれを支持して有罪が確定した。
事故は13年9月24日朝、京都府八幡市の交差点で発生した。乗用車がドリフト走行の末に暴走して集団登校の列に突っ込み、小学生5人に重軽傷を負わせたのだ。だが、危険運転罪にはドリフト走行を直接的に処罰する対象と定めた条文がなかったため、検察側は車が制御不能の状態だった点に着目。危険運転罪の要件の一つである「制御困難な高速度」にあてはまると主張していたが、判決では退けられたのだ。
運転ミスに適用されている過失運転致死傷の法定刑の上限は拘禁刑7年で、危険運転致死傷の同20年とはかなり大きな差がある。このため交通事故の犠牲者遺族の間からは「ミスや不注意とは次元が違う悪質な運転」「罪名通りの“危険運転”なのに適用できないのはおかしい」との意見が続出していた。
法務省は、昨年3月に始まった危険運転罪の要件見直しを議論する法制審議会(法制審)の部会に、ドリフト走行に関する規定の創設を諮問した。部会ではドリフト走行が関係した事故の過去1年間の裁判例が紹介され、京都の事故を含めた15件中、危険運転罪が適用されたのはわずか3件だったことを明かしていた。
「京都の事故では判例上、危険運転罪を適用するために『進行を制御することが困難な高速度』を立証する必要があったが、ドリフト中の速度が時速40km未満だったことで、ハイスピードとは認められなかったという経緯がある」
検察関係者はこう打ち明ける。そもそもドリフト走行とは、アクセルやハンドル、ブレーキを操作し、遠心力と操舵のタイミングのバランスで成り立つ運転テクニックで、意図的に車のタイヤを横滑りさせることを言う。
公道で行った場合は、一般的に道路交通法違反罪の「安全運転義務違反」や「共同危険行為」では摘発されるが、死傷事故の原因としては、処罰の対象になっていなかった。
「サーキットの狼」が始まり
「ドリフト」という言葉が広く知られるようになったのは、1975年に「週刊少年ジャンプ」で連載が始まり、スーパーカーブームを巻き起こした漫画「サーキットの狼」の大ヒットがきっかけとされる。公道で自動車の運転テクニックを競っていた“走り屋”の主人公が、カーレースの世界で成功していく物語だ。その主人公の得意技が「慣性ドリフト」と呼ばれた、カーブを曲がる際のコーナリングテクニックだった。
漫画の影響を受けた世代が免許を持った1987年から1994年にかけて、本田技研工業製のエンジンを積んだレーシングカー「マクラーレン・ホンダ」を操るアイルトン・セナを中心に国内でF1ブームが起きた。警察関係者は「ブームは経済効果を生むなど良い面も多々あったが、若者の無謀な運転を助長した側面も少なからずある」と振り返る。
また、「週刊ヤングマガジン」で1995年に連載が始まり、コミックス累計発行部数が5600万部を突破した“ドリフト漫画”の「頭文字D」も、ドリフトテクニックの若者人気を確固たるものにさせたとも言われる。
セナは94年5月にレース中の事故で亡くなったが、「ドリフト族」という単語が「警察白書」に初めて掲載されたのは、奇しくも94年7月発行の平成6年版。若いドライバーたちによる埠頭での横滑り走行が深刻化したことで、固有名詞として白書に記載されることとなったのだ。「暴走族対策の推進」の中で、若者の暴走形態が多角化・小規模化している傾向が、顕著となった当時の状況を説明し、「ドリフト族等の小規模グループによる多様な暴走行為が行われている」と明記された。
東京湾の大井埠頭や大黒ふ頭(横浜)、大阪湾では大阪南港かもめフェリーターミナルにドリフト族が数100台規模で大挙して終結し、「ギャラリー」と称する野次馬の若者たちを巻き込む事故も相次ぐなど社会問題化した。警察庁の元幹部は、「現在、若者の自動車離れが叫ばれて久しく、20代のマイカー保有率が低迷していることは事実」と前置きした上で、こう続ける。
「セナが絶頂期にあった1990年、鈴鹿サーキット(三重)で行われたF1日本グランプリの観客動員数は36万人を記録した。その後もブームは続き、人気レーサーのミハエル・シューマッハが引退した2006年にはラストランを見ようとファンが鈴鹿に殺到し、再び36万人を動員した後、低迷した。だが、今は人気が復活して今年3月には31万5000人を記録。久しぶりに30万人台に乗せており、レースブームが再燃している」
スリップとは完全に区別
「殊更にタイヤを滑らせ又は浮かせることにより、その進行を制御することが困難な状態にさせて、自動車を走行させる行為」
今年2月12日に開催された法制審第204回会議では、この文面が盛り込まれた要綱(骨子)が全会一致で原案通りに採択され、直ちに法相に答申することが決まった。一方、2024年10月に石川県金沢市で「トーキョー・ドリフト」と称される遊び感覚のドリフト暴走により、後部座席の男子大学生が死亡する事故があった。
25年6月の金沢地裁での公判では、亡くなった大学生の父親が意見陳述で「これは交通事故じゃない。息子は殺された」と声を詰まらせて訴えた。ドリフト走行が法律上、問題視される最大の理由は、車の制御が容易に崩れて周囲を巻き込む極めて危険な暴走行為だからだが、公道では路面の凹凸や落下物もあるほか、他の車の動きによって一瞬でバランスが崩れ、制御不能のスピン状態に陥る可能性もある。
今国会で可決した自動車運転処罰法改正案は、前記の答申に基づくものだ。法制審の議論では、雪道でスリップしたり、障害物をよけようと急ハンドルを切ったりして、タイヤが横滑りした場合まで処罰されないよう、悪質性の高い走行だけに処罰対象を限定。1年をかけて慎重に答申はまとめられたのだ。
F1人気が一時期、低迷した背景には、2005年のたばこ規制枠組条約発効によるタバコメーカーの広告完全撤退や、08年のリーマンショックによる自動車市場の低迷の影響から日本の自動車メーカーが相次いで撤退したことがある。人気が下降線をたどると、15年には地上波テレビも放送から完全に撤退。このため17年に動員数は13万7000人にまで落ち込んでいた。
前出の警察関係者は「自動車レースの人気が再燃していることには、何の問題もない。しかし、モータースポーツに罪はないが、触発された若者が峠や埠頭でレースまがいの行為に及ぶ危険は未然に防ぐ必要がある。そうした予防の意味でも、今回の改正法には期待している」と話している。
岡本純一(おかもと・じゅんいち)
ジャーナリスト。特捜検察の捜査解説や検察内部の暗闘劇など司法分野を中心に執筆。月刊誌「新潮45」(休刊中)では過去に「裏金太り『小沢一郎』が逮捕される日」や「なぜ『東京高検検事長』は小沢一郎を守ったか」などの特集記事を手掛けた。
デイリー新潮編集部
