「超台風」「乱れとぶ奇声」…ビートルズ来日の熱狂、新聞記事から「ダイレクトに見るとこんなに面白い」
当時の様子伝える記事を1冊に
<超台風ビートルズ><乱れとぶ奇声の連呼>――。
1966年のビートルズ来日に関する当時の新聞記事をまとめた書籍「『ビートルズと日本』新聞が見た来日狂騒曲」(シンコーミュージック)からは、熱狂と偏見、異文化の衝突がない交ぜとなった時代のエネルギーがうねりとなって伝わってくる。著者のビートルズ日本史研究家、大村亨は「当時の情報をダイレクトに見ることはこんなに面白いんだと伝えたい」と語る。(鶴田裕介)
同書は主に、来日の第一報が届いた66年3月から、6月29日〜7月3日のバンドの日本滞在、同年の年末回顧まで、全国紙5紙、スポーツ紙10紙、47都道府県の地方紙の記事を、当時の表記そのままに紹介する。
<2千人の全機動隊員のほか、各方面機動隊など毎日6千人の警官を出動させ、警視庁内に総合警備本部をもうけて空港、宿舎、会場の警備にあたる>(『サンケイスポーツ』6月21日)
<あるファンは当日はスラックス、運動靴にロープをもってくるという。(略)高さ3メートルの2階スタンド最前列から飛び降りようというわけなのである>(『内外タイムス』6月28日)
今や教科書に載るほどの存在となったビートルズだが、当時はファンの熱狂を理解できない大人が多かった。警視庁は厳重な警備態勢で若者の暴走を警戒し、一部の教育委員会は「ビートルズ禁止令」を出した。無理解は新聞記者も同じで、メンバーの髪形を「キノコ刈り」とはやし立て、ライブで演奏していない「ツイスト・アンド・シャウト」をレビューした。そんな話を含め、「僕らが普段読んでいる専門書などは、要点が整理された二次情報。日本の情報の最上流を見てほしかった」と語る。
会社員として勤務する傍ら、2010年から週末は国会図書館などに通い、ビートルズが活躍していた1963年〜70年の新聞記事や週刊誌記事などを一点一点記録し、資料化。同時代の情報に基づきバンドと日本の関係を調査・研究している。日本との関係に特化して研究を続けるのは、「当時の素の情報を伝え、後は考え、感じてもらいたい」との思いからだ。「今の絶対的な評価が確立したビートルズが66年に来たわけではない」
日本武道館で見つかった、ビートルズ来日時に撮影された未公開写真102枚分のネガフィルムを鑑定するなど、研究の第一人者として引く手あまた。「自分の手で拾った、どこにもないデータベースを持っていることが強み」と力を込めた。

