【高校野球】健大高崎にまた怪物出現 2年生エース・石垣聡志、ロッテ1位右腕から受け継いだ魂で群馬3連覇に挑む
次代を担う逸材たち〜アマチュア野球最前線
第15回 健大高崎・石垣聡志
今年も健大高崎の「石垣」が、群馬を、そして甲子園を席巻する。夏の群馬大会3連覇を狙う健大高崎は、2年生エース右腕の石垣聡志(いしがき・そうし)が、充実の投手陣を引っ張る。
「1年生からベンチに入れていただき、新チームが始まったこの代から自分が中心になってやらないといけなかったのですが、ケガをしてしまって、昨秋はベンチ入りすることができずに迷惑をかけてしまいました。そこで、今春の大会はいつも以上に気合が入って、チームのために力にならないといけないと思っていました」

健大高崎の2年生エース・石垣聡志 photo by Katsuharu Uchida
その言葉どおり、今春の群馬大会ではエースナンバーを背負い、メンバーの輪に戻ると、準決勝の高崎商大付戦で8回をわずか1安打無失点に抑える好投。チームの春4連覇に大きく貢献すると、関東大会初戦となる2回戦の佐野日大(栃木)戦では、選抜帰りの打線を相手に8回を5安打7奪三振2失点でまとめ、3対2で勝利した。
つづく準々決勝の横浜(神奈川)戦では登板の機会なく、チームも3対4で逆転負けを喫してしまったが、収穫がなかったわけではない。今秋ドラフト上位候補に挙がる横浜の最速154キロ右腕・織田翔希(おだ・しょうき/3年)の投球をベンチから食い入るように見つめた。
「やっぱり自分のやっていることとは違うことをやっているなというイメージでした。織田さんは、テークバックは大きいのですが、脱力ができていてしなやかで、タイミングが合っていると言いますか......。自分はただ思いっきり投げきっているだけなので、やはり違うなと思いました」
【偉大な先輩たちが残した財産】尊敬できる先輩投手を手本に、自らの投球スタイルを模索し続けてきた。昨春の高校入学時には、3年生に158キロ右腕の石垣元気(いしがき・げんき/ロッテドラフト1位)と、147キロ左腕の佐藤龍月(さとう・りゅうが/オリックスドラフト3位)がいた。とくに石垣元気からは、名字が同じという縁もあり、普段から気にかけてもらっていた。
「技術的には真っすぐの握りだったり、悪くなった時の修正方法などを教えてもらいました。自分はけっこう荒れることが多いので、元気さんならそういうなかで、どんなことを考えているのかを聞いたりもしました。でも、一番は、マウンドに上がった時に球場の雰囲気をガラリと変えてしまう存在感、大きな背中がすごく印象に残っています」
佐藤からも多くのことを学んだ。当時、左肘の内側側副じん帯再建術(通称トミー・ジョン手術)からの復帰を目指し、懸命にリハビリを行なう左腕の背中をずっと見続けてきた。
「龍月さんは投手に復帰して、期間は短かったのですが、技術的にもすごく教えてもらいました。マウンドに上がるなかでの立ち居振る舞いであったり、気持ちの持ちようであったり、メンタル的なことも教わりました」
プロに進んだ好投手ふたりのエキスを吸収しながら、1年春の関東大会からベンチ入りすると、準々決勝の習志野(千葉)戦、そして決勝の専大松戸(千葉)戦に先発。それぞれ3回1失点、2回無失点に抑え、2年ぶり4度目の関東制覇に貢献した。
その後もアピールを重ね、夏の群馬大会、そして甲子園でもメンバー入り。聖地での登板こそ叶わなかったが、1年生にして、その雰囲気をグラウンドレベルで味わえただけでも十分だった。
「(甲子園は)これまで経験したことのないような暑さで、熱気がすごかったです。その緊張感のあるなかでプレーするのが高校野球の醍醐味だと思うので、これからは自分がそんな舞台で活躍できるように頑張っていきたいです」
【石垣島への移住が変えた野球人生】東京都生まれ。神奈川県横浜市内に転居した5歳から野球を始めた。小学時代は軟式チームに所属。投手のほかに捕手や内野手もこなしながら、野球の技術を磨いていった。
転機は小学5年、父の仕事の都合で、横浜から石垣島へ、2度目の引っ越しをすることになった時だ。東京、横浜と渡り歩いてきた「都会っ子」が、自然豊かな島へと移ることに抵抗はなかったのだろうか。
「自分は人とのコミュニケーションであったり、そういうのはどこへ行っても基本的には大丈夫なタイプです。石垣島の人たちもすごく優しく接してくれました」
ちょうど島に移住したタイミングで、活動を休止していた「八重山ポニーズ」が7年ぶりに復活。それまでに大嶺祐太(元ロッテほか)や嘉弥真新也(元ソフトバンクほか)、平良海馬(西武)らを輩出した島唯一となる中学硬式野球チームの活動再開は「中学で硬式をやりたかった」という石垣にとっては朗報だった。
八重山ポニーズでは投手として順調に成長を遂げ、3年時にはU16ポニー日本代表でアジア王者として世界大会に出場。外国の強打者を相手に「真っすぐだけをすごく打たれたので、変化球であったり、コースを投げきることの大切さを学ぶことができました」という。
高校進学の際、関東の強豪校などから勧誘を受けたが、石垣島でキャンプを行なう健大高崎のレベルの高さに憧れて入学を決めた。ちょうど中3に上がる春、健大高崎が石垣元気、佐藤龍月の活躍で選抜優勝を決めたことも決め手のひとつだった。
「2学年上に元気さんや龍月さんがいるのは大きなポイントでした。それまでは石垣島の高校の練習しか見たことがなかったので、健大高崎のキャンプを見た時は驚かされました。レベルの高い高校でやるなら健大高崎かなと思い、入学を決めました」
【世代ナンバーワン右腕への挑戦】今冬は昨秋に負傷した太もも裏肉離れの完治と強化を最優先としながら、腹筋、背筋を中心とした体幹部分を鍛え上げ、今春の公式戦では最速143キロをマーク。中学時代の140キロから3キロアップした。好きな言葉である「日進月歩」のとおり、絶え間なく、日々進歩を続けている。
「球速アップはずっと頭にありましたが、なかなか141キロ以上が出ない状況でした。まだまだこれからですが、投手としての完成度や、投球術に関しては成長があったなと思っています」
エースとして臨む高校2度目の夏が間もなく始まる。群馬3連覇はあくまで通過点。目標は、石垣元気や佐藤龍月のように、甲子園で活躍できる投手になることだ。
「高校3年間で155キロは投げたいです。そのためには『この方法だったら球速は上がる』という考え方を、いろんな試合や選手を見ていきながら、自分のなかで正解を見つけていくことが大切だと思っています。そして世代ナンバーワン右腕になって、将来はプロ野球の一流のなかで結果を残し続けられる投手になりたいです」
偉大な先輩の後に続くため、石垣は力の限り右腕を振る。
内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida
