50歳を機に、「心に棲みついていた相手」を探し求めると――

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【前後編の後編/前編を読む】長年の恋人を「おまえに譲る」と言って、兄は一週間後に亡くなった。通夜に現れた彼女が僕に告げたこと

 小泉泰典さん(52歳・仮名)は、小学校に上がるときに叔父夫婦の養子となり、その後さらに遠い親戚宅に預けられて育った。就職後、兄から長年つきあっていた美都里さんを「譲る」と告げられる。泰典さんにとって彼女は、中学時代の憧れの先輩だった。不快になって店を出た泰典さんだったが、その1週間後、兄は急死。通夜に現れた美都里さんは、「私はあなたのほうが好きだったのに」とつぶやいた。その夜、主のいない実家でふたりは一夜をともにするが、それきり長い間、会うことはなく、泰典さんは28歳のときに結婚した。

50歳を機に、「心に棲みついていた相手」を探し求めると――

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 兄の分までちゃんと生きようなどと思ったわけではないと泰典さんは言う。ただ、「自分は自分として、大きな期待をされなくてもお金持ちになれなくても、ごく普通に生きていく」と決めた。彼の勤める中堅企業では、賃金もたかが知れている。それでも「他人である妻」と力を合わせて生きていければいいと思っていた。

「妻の郁子は保育関係の仕事をしています。チャキチャキさっぱりした江戸っ子で、一緒にいても気疲れしない。最初に会ったときから、けっこう言いたいことを言えました。こういう言葉を遣ったら気に障るかなと考えないですんだ。つきあってすぐに意見の相違があったとき、『意見が合わないのはいいけど、あなたの言い方には悪意があった。私をバカにしてる』と怒られました。ちょっと皮肉っぽく言うことがあるみたいです。彼女から言われると、素直にわかった、直すよと言えるのは相性がいいからなんでしょうね」

 30歳のときに男の子を、その3年後に女の子を授かった。かわいくておもしろくて、ときどきイライラさせられながらも、夫婦は子育てを最優先した。

「自分の子ってなかなかイメージできなかったけど、とにかくかわいいですよね。こんなにかわいい自分の子を、自分の兄弟に養子にやるとか親戚に預けるとか、僕にはとても想像できなかった。僕があまりに猫かわいがりするので、郁子にはよく怒られましたね。でも小さいときはいいんじゃないですかねえ、かわいがるだけで」

妻と良い家庭を築いて

 妻には「叱ってもいいけど怒るな」と泰典さんはよく言った。善悪の判断ができないことは危険を生むことでもあるので、そこはよく注意しなければいけないけど、たとえ子どもでも頭ごなしに怒るのはよくない。親の怒鳴り声は子どもを萎縮させる。泰典さんはそう信じていた。それは彼が父親から罵声を浴びせられたことが多かったからだ。

「叔父の家で暮らすようになって父の罵声からは解放されましたが、ときどき脳内でよみがえることがありましたね。ああいう思いを自分の子にはさせたくない」

 妻もそれにはもちろん賛成だったから、家族は話し合い重視、最後は必ず笑って解決を目指した。反抗期もあったが、息子は「オレ、今、反抗期だと思う。おとうさんとおかあさんの言うことが全部違うような気がしてならない」とあっさり打ち明けてくれた。

「あるあるだよねと、郁子も僕も納得しちゃって。そうしたら息子も拍子抜けしたみたいで、それからは反抗するのではなく、議論する家族になりました。どこまでも議論したがるので体力がもたないこともありますが、妻も僕も子どもたちの意見は目から鱗だったりするので、それはずっと続いています」

50歳 心には美都里さんのことが…

 50歳になったとき、子どもたちは20歳と17歳。大きくなったなあと感慨にふける一方で、彼はふと人生を見つめ直す気になった。

「見つめ直すというか、人生がすうっと1本の道になったような気がしたんです。どこが本筋なのかわからなかった僕の人生だけど、家族ができて道ができた。この道を、もう少し外から見てみたい。そんな思いにとらわれました」

 たまたま中学を卒業して35年にあたるので、大規模な同窓会があると連絡があり、実家近辺に行ってみたのもきっかけとなった。当然、泰典さんの心にあったのは美都里さんのことだ。彼女があれからどうなったのか、そして今、どうなっているのか。知りたかった。

「簡単にわかるだろうと思いました。彼女の実家もわかっているわけだし。でも実際、行ってみて驚きました。町並みがすでに当時と違っていた。僕の実家は兄の死後、処分してしまいましたが、周りも軒並み家がなくなっていてマンションが建っていて。美都里の実家もありませんでした」

 同窓会の出席者に、美都里さんと仲がよかった人がいないかを尋ねてもわからない。会場の人すべてに聞きたいと焦っていると、ひとりの女性が近づいてきた。

「美都里先輩のことを探してるんですかと。『彼女は10年もつきあった男性に死なれて自暴自棄になった。自殺未遂を繰り返したけど死ねず、近所の既婚男性と駆け落ちしたが、その男性にも捨てられたんです』と。そんな典型的な転落人生ってあるのかよと思いながら聞いていました。その後はやっぱり行方不明とかなのかなと思ったら、なんと彼女は美都里の行方を知っていました。ただ、誰にも言わないでと言われている。あなたと美都里先輩の関係を聞いて、それを彼女に伝えてから連絡すると」

連絡をとるべきか、とらざるべきか…

 数日後、その彼女から連絡があり、美都里さんの連絡先が伝えられた。だが、泰典さんは怖くてなかなか連絡ができなかった。あのときの美都里さんの体の柔らかさ、肌のぬくもりを、実は彼はずっと覚えていた。それを思い出して眠ることもあった。

「憧れの女性と結ばれた、しかも一夜限りの関係。あのままになったことを悔やんでいました。かといって、兄の思ったとおりに僕が彼女とつきあうわけにもいかない。それは嫌だった、でも彼女への思いは変わっていなかった。自分の気持ちを見ないようにしてきたんですが、50歳を機に心にひっかかっているものを解決したかった。一歩踏み出すには勇気がいりました」

 1週間、考えに考えて、ようやく連絡をとった。彼女は入院していた。都心から2時間離れた小さな町だった。見舞いに行くと伝えると、「あなたに会う決心がつかない」という返事だった。数日に1回、どうしても会いたいとメッセージを送った。

「やっと、じゃあ来てと言われたのは1ヶ月後でした。まだ入院しているのかと心配しながら行ってみると、彼女は小さな病院でげっそりやつれ果てて横たわっていました。昔の面影もなかった。『こんな姿で会いたくなかったわ』と無理に笑おうとして涙がこぼれているのを見て、僕も胸が痛みました」

「もう先が長くないの」

 あなたやおにいさんのせいで、こんなふうになったわけじゃないの。気にしないでと彼女は言った。連絡役をしてくれた後輩は、個人的にあなたとおにいさんのことを怒っているから、表現も誇張されていたんだと思うけど、私自身は怒ってないのよと彼女は微笑んだ。

「ただ、やはりどこか生きる目的を失ったのは確かなんでしょう。あのあとはときどき行っていた飲み屋のママに救われて、自分も水商売の道に入った。そこの客だった人と駆け落ちまがいのことをしたのは確かだけど、すぐに帰ってきたんだと。それ以来はまじめに働いてきたんだけどねと、彼女は、おそらく大事なことを端折りながら言いました。もう、先が長くないのよ、もういいよねと彼女はにこやかでした」

 彼女は何か隠していると泰典さんは直感で思った。だが、今の状態ではなにも話さないだろうこともわかっていた。その後、彼はちょくちょく見舞いに行った。主治医とも話した。彼女が言うように、このままだと命には期限があるが、それ以前に彼女自身が積極的な治療を望んでいないこともわかった。

「週に1度は見舞いに行きました。何度目かに彼女が『あなたの貴重な時間やお金を私のために使わないで』って。『今さらどうにかなるものでもないでしょう』とも言われた。でも僕は彼女に会いたいだけ、会って話したいだけ。ダメかなと言ったら、『もういいから』の一点張りでした。『あなたの顔を見ると、私のほうがつらくなるの。もう勘弁して』と言われ、彼女を苦しめるのは本意ではないとあきらめました」

 代わりに手紙を出した。返事は来なかったが、主治医に尋ねるとよく手紙を読んでいるという。彼はせっせと手紙を書いた。あのころのこと、兄になりかわって謝罪もした。一夜だけの関係についても、「瞬間的な関わりだったかもしれないけど、あの日のことが生きるエネルギー源になったような気がする」と書いた。それが正直な気持ちだったかどうかはわからないが、彼女に生きる力を貸したかった。

残された手紙

 彼はときどき病院に行き、彼女に会わずに様子だけ見届けた。どうしてそこまでするのか自分でもわからなかったが、それが「何かのけじめ」のように感じられてならなかったという。

「再会してから4ヶ月、彼女が亡くなったと病院から連絡がありました。彼女には家族がいなかったから、僕が身元引受人になっていたんです。彼女は生活保護をもらっていたから、財産があるわけでもない。僕には現実的なメリットはなにもないと病院や行政にはわかってもらっていました」

 彼女の遺品を受け取り、荼毘に付した。美都里さんは泰典さんに手紙を残していた。薄々、心のどこかで感じていたことだが、美都里さんはやはり子どもを生んでいた。女の子だという。兄の子なのか自分の子なのかはわからなかった。子どもはそのまま里子に出した。どこにいるかもわからないが、おそらくこの国のどこかにいるはず。

「決して会えないけど、娘がいるということだけは確か。それを頼りに生きていきたかったけど、あの子のことを思うたびに自分が情けなくて、後悔ばかりでどうにもならなかったと美都里は手紙に書いていました」

 兄の子か自分の子かはわからないが、兄の子だとしても縁がないわけではない。せめて言ってくれればよかったのにと泰典さんも身を削られるような痛みを覚えた。

「いろいろあって、彼女の件がすっかり片づくまで半年近くかかりました。虎の子の貯金をはたいて、マンション形式ですが彼女のお墓を買ったんです。肩の荷が下りた気がしました。その日、妻が『今年、結婚25年目だよ』と言ったのを覚えています。ふたりで食事に行ったら、『このところ疲れているみたいだけど大丈夫?』と。妻はすべて知っているのかもしれない。でも大丈夫だと答えたら、それ以上は突っ込んできませんでした」

 いつかは妻にも話さなければいけないのかもしれない。結婚生活を送りながら、実は美都里さんのことをずっと思っていたことは隠すとしても。

「ここから僕は、後半生を生きていこうと思います。誰かの分も生きるということではなく、僕だけの充実した人生を送りたい。生まれて初めてそう思いました」

 泰典さんはニコッと笑った。人たらしの笑顔が、急に清濁併せのむ大人のそれに見えた。

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 美都里さんの死を経て、泰典さんは「人生」を考え始めた。記事前編では、彼が美都里さんと出会い、兄の通夜の夜に一度だけ一緒に過ごすまでの経緯を紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部