「寝たきりになると思った…」結婚58年、高齢の妻殺害の「引き金」となったものは

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結婚してから58年を迎えていました。

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当時81歳の妻の首を絞めて殺害したとして、87歳の夫が、裁判員裁判で殺人罪に問われています。

足が悪かった妻の介護に、将来を悲観するようになっていった夫は、裁判で殺害する「引き金」になったことを挙げました。それは些細なことのように思えました。

これまでの公判記録や取材から経緯をたどります。

(社会部 角詠之、吉田遥、秋本大輔)

■「それなりの家庭」見合い結婚、子宝にも恵まれ

結婚してから58年を迎えていました。
吉田春男被告は、前回の東京五輪の翌年、1965年に、妻の京子さんとお見合い結婚し、子宝にも恵まれました。
1999年には勤めていた会社で定年退職を迎えました。

「車で旅行に行ったり、父とは野球とかよく遊んでもらった。足が悪くなる前の母を台湾に連れて行った。それなりの家庭ではある」(長男の証人尋問から)

ただ、昔から夫婦仲は良くなかったということです。

「子どものころからよくけんかをしていた」(次男の陳述書から)
「父は几帳面で、母はずぼらで些細なことで口論になっていた」(長男の供述調書から)

事件当時、両親は東京・練馬区内の一軒家で長男と次男と4人で暮らしていました。
息子2人は働いており、夫婦は年金で暮らしていたといいます。

■妻が転倒事故 足痛め関係に変化が

そんななか、京子さんが転倒事故で足を悪くします。
事件から約1年前のことでした。

それ以降、京子さんは風呂に入りたがらなくなったといいます。

その回数は「週に1回や2回だった」(長男の証人尋問から)ため、春男被告は、京子さんのにおいを気にするようになり、注意もしていました。

ほかにも、耳が遠い京子さんが深夜にテレビを見ていると、音量が大きくなり、春男被告が眠れない日がありました。

朝、京子さんが使っていた目覚まし時計が鳴りっぱなしになっていて春男被告が止めることがありました。

「同じ空間で過ごすことはありましたか?」という質問に「あまり話はしませんでした」と答えた春男被告。

弁護側から「京子さんの日ごろの行動にイライラが募っていましたか」という質問に対し、春男被告は「ないっていえばウソになります」と言いました。

ただ、京子さんとの関係について「50何年と過ごしてきた。
けんかの話ばかり出るけど、それくらいの年齢まで一緒にいたわけですから、皆さんが思っているほど仲が悪かったというわけではない。それは理解してほしい」と裁判員に訴えかける場面もありました。

■家事は妻任せ 「ごはんも炊いたことない」

家庭内の様子の話も出ました。京子さんが足を悪くするまで、家の中のほとんどの家事は京子さんが担っていたといいます。
春男被告は「ごはんも炊いたことがなかった」と公判で振り返っています。

事件の1カ月ほど前から春男被告の精神状態が悪くなっていたこともうかがえます。
自分のタブレット端末で「終活」「管財人」「親の介護 兄弟 不仲」と検索したり、息子に「老人ホームに入りたい」と相談したり。

春男被告が日常的な不満を一方的に募らせるなかで、事件当日の2023年12月14日を迎えます。

■昼食めぐり口論 犯行のきっかけに

当日昼、昼食を食べた春男被告が京子さんに対して昼食を食べるよう忠告したことから事件が起こります。

京子さんが「まだ(時間が)早いんだ」と言い返します。
春男被告はこの口論が「きっかけを作る引き金になりました」と振り返ります。

検察側の主張によると、春男被告は午後1時から午後3時22分ごろまでの間に、居間から出た京子さんの両肩を押し、トイレの前で押し倒した後、床に倒れた京子さんの首を両手で絞め殺しました。

■この先の介護を憂う気持ち強く

13日にあった被告人質問で、春男被告は次のように答えました。

検察官「殺害の動機は」被告「介護の問題だと思います。うちは家内、私、子ども2人。家事とかは一切できない。そういう人が介護をするというのは普通に生活して要求されてもできないと思う」検察官「介護をする前に殺そうと?」被告「丸く言えばそうですかね」検察官「京子さんを介護施設に入れようとは考えなかった?」被告「それは考えた。ただ、介護の認定をもっていませんでした」検察官「どうして早く食べた方がいいと言ったのか」被告「口癖みたいになっていたので、深い理由があるわけではないです」検察官「京子さんの介護を心配していた。あなたが残るか、京子さんが残るか、どっちがいいか、ということ?」被告「はい」検察官「あなたが残った方が子どもとの関係がいい、と?」被告「それもあるし、同性というのもある」

弁護側「将来、京子さんはどうなると考えていた?」被告「寝たきり老人になると思っていました」弁護側「自分が亡き後に息子が介護できる、と?」被告「完璧な介護はできないと思います」弁護側「息子や自分では介護できない、と。これまでに殺そうと思ったことは?」被告「極端なことは考えていませんが、私が先に逝ったと仮定すると、(妻は)外のことまでやらないといけなくなるので。逆に妻が先に逝けば、私が残った方が子どもとコミュニケーションは取りやすいと思いました」弁護側「そういうことはいつから思っていましたか?」被告「(妻が)健康の時は考えなかったと思います。前からではありません」弁護側「なぜトイレの方に押していった?」被告「狭い場所なら暴れ方も少ないんじゃないか、と思いました」弁護側「トイレに押していった時点で殺そうと思っていました?」被告「介護のこととかが念頭にありました。2人で共倒れ、というか、後に残したら大変なんじゃないかという気持ちがありました」弁護側「京子さんは苦しそうでしたか?」被告「当然、苦しい、と。バタつくというか、そういう風に」

傍聴席では、被告夫婦の親戚の女性が鼻をすする声が響き、女性はハンカチで目元をおさえていました。

■犯行後、「妻を殺害した」と紙に

被告は、犯行後に冷静な行動をとりました。

子どもたちに電話をしたうえ、警察にも電話をします。
紙に「妻を殺害しました」と書いて居間の机の上に置きました。
自分の犯行とわかりやすいマイナンバーカードや通帳も用意しました。

「警察に向けて書いた。迷惑がかかるな、と思って。逃げようなんて気はさらさらありませんでした」と春男被告は振り返りました。

また、京子さんの弟も公判に出廷しました。京子さんに対して「もういないんだというさみしい思いはある」と語った一方で、春男被告への思いを語りました。

「長いこと献身的に姉を支えていただいて力になってくれて本当にありがたい。そういう思いの方が強い」「このようなことを起こしてしまったのが信じられないような気持ちです」と答えました。

春男被告の長男も「正常な意識をもって犯行に及んだとは思っていない」「本当に父がやったのかと今でも信じられないところであります」と話しました。

■検察、懲役12年を求刑 弁護側「自首成立してる」

17日の論告で、検察側は「首の骨が折れるほどの力で首を絞め続けた」
「『介護を避けるためには妻を犠牲にするしかない』などと考えて殺害したのはあまりにも理不尽」として懲役12年を求刑しました。

弁護側は「自分が先に死んで子どもが介護をすることになれば大変な面倒になるという不安への解決策を見つけられなかった」「自首が成立している」などとして、「懲役5年が相当」と主張しました。

補聴器のイヤホンを耳につけてじっと聞いていた春男被告は、裁判官に「最後に言っておきたいこと」を聞かれ、「特に、ございません」と答え、結審しました。

判決は、20日午後3時から東京地裁で言い渡されます。