戦後、裁判官となった寅子が着る法服。戦前は華やかな刺しゅうが印象的だったが…(写真提供:NHK)

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現在放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』では、日本初の女性弁護士のひとりで、後に裁判官となった三淵嘉子さんをモデルにした主人公・佐田寅子(ともこ)を、伊藤沙莉さんが好演中だ。

戦後、寅子は裁判官となり、最近では新潟地家裁三条⽀部の支部長として法廷に臨んでいる。しかし、法廷で寅子が着ている法服が、戦前のものと比べてかなり“シンプル”になっていることに気がついた人も多いのではないだろうか。

さらに、戦前に法服を着用していた検察官と弁護士は今や、胸元にバッジを付けるのみになっている。ドラマでは描かれなかった法服廃止の経緯、そして戦前の法服のデザインが生まれた背景について、『虎に翼』の制服考証を担当している刑部芳則教授(日本大学商学部)に聞いた。

戦前の法服は「聖徳太子の服」がモチーフ

戦前の法服は、物語の舞台が戦後に移った今も、ドラマのオープニングで見ることができる。米津玄師さんが歌う主題歌「さよーならまたいつか!」に合わせて踊る寅子がまとう、黒地に白い刺しゅうが入った法服は弁護士のもの。そのほか、判事(裁判官)は紫、検事(検察官)は赤の刺しゅうと決まっていた。

詰め襟のコートのような、少し不思議な印象を受けるデザインについて、制服考証を担当した刑部教授は「飛鳥・奈良時代に役人(官吏)が着用していた『朝服(ちょうふく)』がモチーフになっています。聖徳太子が着ている服、と言えば分かりやすいでしょうか」と説明する。

「日本で法服が取り入れられたのは明治20年代のこと。近代化が進むなか、初代司法大臣(現在の法務大臣)の山田顕義が『ヨーロッパ諸国にならって日本でも法廷で制服を取り入れるべきでは』と発案したのが始まりでした。

デザインも、ヨーロッパ諸国のような古典的なものにしようということで、白羽の矢が立ったのが国学者の黒川真頼。彼はこの少し前に、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の教員らが着用する制服を考案しており、それがまさに飛鳥・奈良時代の朝服を模したものでした」

法曹三者の法服の法的根拠は、明治23年に制定された「裁判所構成法」にある。判事と検事は同年から、そして弁護士は明治26年から法服を着用し、法廷へ臨むこととなった。

“民間人”の弁護士には「五七の桐紋」がない

ところで『虎に翼』で描かれた戦前の法廷シーンから、判事と検事の法服、そして弁護士の法服とで、刺しゅうの色以外に違いがあることに気がついただろうか。

両者の違いは「五七の桐紋」の有無。国の官員である判事と検事の法服にはこれがあしらわれているのに対し、民間人である弁護士の法服は唐草模様のみとなっている。

戦前、弁護士として活躍した寅子の法服は白い唐草模様の刺しゅうのみ(写真提供:NHK)
松山ケンイチさん演じる判事・桂場等一郎(手前)の法服には紫色で「五七の桐紋」が刺しゅうされている (写真提供:NHK)

「五七の桐紋と唐草模様(蔓模様)の組み合わせが『国家の象徴』として最初に現れたのは、私が知る限りでは明治5年11月の太政官布告によって制定された文官大礼服(官員の正装)です。

なお五七の桐紋は、現在でも日本政府(国家)の紋章として受け継がれています」(刑部教授)

ちなみに五七の桐紋の数は、地方裁判所および区裁判所の判事・検事は3つ、控訴院(現在の高等裁判所)は5つ、大審院(現在の最高裁判所)は7つと、“格”が上がるごとに増えていくそうだ。

法服は各自が呉服店で仕立てていた

日本近代史を専門とし、これまでもNHK大河ドラマ『西郷どん』で軍装・洋装考証、連続テレビ小説『エール』『ブギウギ』で風俗考証を手掛けてきた刑部教授。『虎に翼』では、自身が所蔵する法服をもとに、キャストたちの着用する衣装が制作されたという。

その法服を間近で見ると、無地に見えた黒地の部分に細かい透かしの柄が入っていることが分かる。

地方裁判所および区裁判所の検事の法服。黒地に薄く柄が透けている(刑部芳則教授所蔵、弁護士JP編集部撮影)

「これは波立涌(なみたてわく)文様というものです。ドラマではここまで再現していませんが、前述のように戦前の法服は古代の朝服をモチーフにしていたことから、基本的には呉服店で着物の生地を使って仕立てていました。ちょうど今の学生服のように、各自が店へ採寸に行き注文していたため、無地ではなく薄く模様の入った生地を選ぶ人もいたようです。

さすがに黒以外の生地や、あまりにハッキリと柄が出ている生地で仕立てたら怒られてしまうでしょうが、“よく見れば分かる”というくらいのさじ加減で、おのおのがおしゃれをしていた様子が想像できます」(刑部教授)

弁護士の法服。無地だが、こちらも着物の生地で仕立てられている(刑部芳則教授所蔵、弁護士JP編集部撮影)

服の上に羽織るため、コートやマントのようにある程度の厚みがあることを想像していたが、実物は着物の生地でできているため、驚くほど薄く軽やかだ。

戦後の法服が“シンプル”になったワケ

さて、『虎に翼』の物語は進み、現在は戦後の世界が描かれている。劇中では触れられていないが、昭和22年の「裁判所構成法」廃止によって法服の法的根拠はなくなった。そして昭和24年に最高裁判所が「裁判官の制服に関する規則」を定めたことで、裁判官と書記官のみが現在と同様のガウン型の法服を着用することとなり、今に至っている。

戦後に裁判官となった寅子が着用しているのも、当然ながらガウン型の法服だ。華やかな刺しゅうが印象的だった戦前の法服と比べてかなりシンプルなデザインとなった背景には、何があったのか。

「やはり敗戦の影響が大きいと思います。まず、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わったことで、五七の桐紋のような貴族的な意匠は使いづらくなりました。また、戦前は法曹三者だけでなく、駅員、郵便配達員、警察官、刑務官なども『制服』と言えば詰め襟が当たり前でしたが、戦後は自衛隊も含めて基本的に開襟となっています。

戦後、日本にはアメリカ式のものがたくさん入ってきました。法服も、その流れで簡略化されたのではないでしょうか」(刑部教授)

『虎に翼』は後半戦に入り、ますます盛り上がりを見せている。裁判官として、寅子はガウンの法服をまとって今後どのように躍進するのか、楽しみだ。

『虎に翼』の制服考証を担当した日本大学商学部・刑部芳則教授(弁護士JP編集部撮影)