【会見】関口メンディ―がGENERATIONS卒業へ 想い語る

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5月1日、関口メンディーのグループ卒業および所属事務所LDH JAPANの退所についてGENERATIONSが会見を開き、それぞれの思いや今後の活動などについて報告した。

▼以下、会見でのメンディーのコメントを抜粋

皆さんこんにちは。関口メンディーです。この辺りは本当に足元の悪い中、ここに足を運んでくださり、本当にありがとうございます。

私、関口メンディーは約13年間ですかね、20歳の頃から今日に至るまでお世話になってきたLDHを6月25日をもって卒業させていただくことになりました。
そして、ここにいま一緒にいてくれている、ずっと苦楽を共にしてきたGENERATIONSも同時に卒業となっております。
加えて、LDHの所属する全てのグループも卒業になっております。
自分が20歳の頃から13年間、出来の悪い自分を育ててくださったHIROさんはじめスタッフの皆さんには感謝してもしれない気持ちでいっぱいです。

ここにいるGENERATIONSメンバーは本当に家族と同じぐらいの時間を共に過ごしてきた仲間です。
結成当初は、僕が最年長にも関わらず、1番ダンスが下手で遅刻もするというところで、本当に出来の悪い人間だったんですけれども、時には伴走してくれて、ここまで走り切れたこの時間っていうのは、自分にとっても本当にかけがえのない時間でした。

生き様であったりとか、大きな背中で様々なことを教えてくださった先輩の皆さん、そして新しい世代としてたくさんの刺激をくれた後輩たちにも本当に感謝してます。
そして何より、自分のことを見つけてくれて、ここまで温かく応援してくださったファンの皆さんにも心から感謝しています。この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございます。

そして、本当にこういった形で突然の発表になってしまい、ファンの皆さんにはとても不安な思いをさせてしまったと思います。
そのことも本当に申し訳なく思ってます。ごめんなさい。

この決断に至るまですごくたくさんの時間を費やしました。
HIROさんであったりとか、LDHのスタッフの皆さん、そしてGENERATIONSメンバーと何度も何度も話し合いを重ねてこの決断に至ったんですが、その理由と今の自分の率直な思いを今日は皆さんにお伝えしたく、お話しさせていただきたいと思います。

13年間、自分はLDHという場所で本当に愛を持って育てていただいたっていう風に思っていて、その活動の中でこのLDHという場所が自分にとって家族であり、実家のような場所になっていったという風に思ってます。

実家は愛があってとても温かいです。
家族もいて、温かいご飯も出て、お風呂もあって、布団もあって、とても安全な場所という風に僕は思ってます。
なんですが、いつからか、この実家という場所に自分は本当に居続けていいんだろうか。という風に思うようになりました。

僕はおそらくですが、この中で1番意志が弱いです。会議中、HIROさんの横で寝てしまうぐらいなので、本当に意志が弱いんですけれども、そんな僕ですから、やはりここをずっといると、この環境に甘えてしまうんじゃないかなという風に強く思うようになりました。

この環境に居続けることは、もしかしたらお父さんの背中に近づくことも、追い越すこともできないかもしれないという風に同時に思いました。
今こそ、自分の足で立って頑張っていくことが親孝行に繋がるんじゃないのかなという風に思ったというのがひとつの理由です。

もう1つが家族のことです。自分は、もしかしたら皆さんご存知ないかもしれませんけれども、日本人の母とナイジェリア人の父の間の子で、いわゆるハーフで、アメリカ生まれであります。
両親は僕が小学校1年生の頃に離婚していて、それ以来は母子家庭で育ちました。
父とはそれ以来ほとんど会っていなくて、正直生きているかもわからない状態です。

小学4年生の頃なんですが、学校行事の2分の1成人式というものがあって、そこで母が僕に手紙を読んでくれた。
で、小学生だったってのもあって、すごく恥ずかしい気持ちもありながら、あまり手紙に耳を傾けていなかったですし、ほとんどの内容覚えていないんですが、ひとつだけ覚えてる言葉があって。

「メンディーには日本と世界の架け橋になってほしい」という風に母が言ったんですね。
それが、その言葉だけはなぜかすごく自分の心の中にすっと入ってきて、小学生ながらに架け橋ってなんだろうとか、これどういう意味なのかなっていう風に思ったんですけれども、漠然とそういう風に自分はなっていくんだろうなっていう風に思った記憶があります。

あれから22、3年ですかね。
日本と世界の駆け足になれているか。と自分に疑問自答したところ、合格点はあげれませんでした。

当時10歳だったメンディー少年に日本と世界の駆け足になっている自分を見せてあげたい。いまは強くそう思ってます。
それに、自分のルーツを辿れば辿っていくほど、日本のみならず、世界で活躍できる人になりたいなという思いが強くなっていきました。

とてもわがままなことを言ってるなと自分自身も思いますし、これを聞いても何を言ってるんだという風に思う方もいるかもしれませんが、僕は世界で、世界のエンターテイメントの中で活躍できる人間になりたいと思ってますし、それができるかどうかはわかりませんけれども、人生一度きり挑戦してみたいという思いがとても強いです。

そして、自分が日本のみならず世界で活躍できるエンターテイナーになった時に、僕をメンディーとして生んでくれた両親に対しての恩返しにもなるという風に信じてます。
このような理由も僕はLDHを卒業させていただくという決断に至りました。

本当にこのような機会を設けていただき、発表させていただき、本当に感謝しております。ありがとうございます。