介護疲れで居眠り運転、集団下校の小学生に突っ込み…そんな事故を防ぐために「今すぐやれること」

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■当時、半年前に病で倒れた夫の介護で疲労が蓄積

居眠り運転の乗用車が、集団下校の小学生の列に突っ込んだ。2年生の女児(8歳)が死亡、4人が重軽傷という重大死傷事故の、控訴審判決を東京高裁で傍聴した。

被告人は63歳の女性だ。沈痛な感じでうなだれている。染めた髪の、根本のほうがだいぶ白い。傍聴席に遺族、被害者が何人もいる。法廷中央、証言台のところに被告人を立たせ、裁判長が主文を言い渡した。

裁判長 「主文。本件控訴を棄却する」

原審はさいたま地裁。その判決は禁錮3年4月(求刑は禁錮4年)。「重すぎる。執行猶予を付けてほしい」と被告人側は控訴したが、高裁は棄却、つまり原判決を維持したってことだ。

被告人は事故当時、半年前に病で倒れた夫の介護で疲労が蓄積していた。睡眠不足のまま運転、眠気を催したが運転を続け、ついに居眠り状態に。乗用車は逸走し、路側帯を縦1列で集団下校中の小学生たちを次々とはねた。ブロック塀に衝突してようやく気がついたという。

裁判長 「結果の重大さは多言を要しない…(小学生たちは)突然、避けることもできないまま…(軽症だった小学生たちも)眼前で親しかった友だちが生命を落とすのを…(死亡した女児の両親は)いまだに立ち直れず(役所に)提出する家族構成を変更できないまま…」

運転者の側に同情すべき点があるとしても、クルマは一瞬で凶器になり得るのであり、運転をする以上「こういう事情だったので」は通用しない、との趣旨を裁判長は述べた。まったくそのとおりだと私も思う。

9分間の言渡しを終え、うなだれる被告人に裁判長が声をかけた。

裁判長 「被害者のご家族も、あなたの境遇を理解していないわけではない。しかし、その怒りの矛先を遺族はあなたへ向けるしかない。それをあなたが受け止めるしかない。(夫の)介護はあなたが適任、しかしそれはあなたの側の事情です。それでも(遺族が実刑を)と思うのはごくごく自然と思います」

これを世間はどう聞くのだろう。私は傍聴席で「嗚呼、そんなことだから同種の事故が起こり続けるのだ。バカ野郎!」と叫びたかった。悔しくてたまらなかった。どういうことか、ご説明しよう。こんなことを言うのは日本で私だけかも。



■前提「人間はもともと不注意な生き物」

人間に「ついうっかり」はつきものだ。ブレーキとアクセルの踏み間違いも、ついうっかりに含まれる。ながらスマホとか、もともと不注意な人はいるし、普段は注意深い人でも不注意な瞬間はある。運転者が人間である以上、どうしようもない。

ついうっかり、不注意で進路を外れたクルマは、ブロック塀や電柱に衝突したり、田畑へ落ちたり。ときに、通学の生徒らに突っ込む。どうすればいいのか。2つの考え方がある。

A、規則を守れば事故は起こらない。守らない者を取り締まる。事故を起こしたら厳しく処罰する。

B、うっかりや不注意のクルマが進路を外れても、通学の生徒らに簡単に突っ込むことがないよう、ガードレールを設けるなりして物理的に生徒らを守る。

日本ではAが主流だ。Bはマイナーだ。そうして裁判長が言ったのである。

裁判長 「その怒りの矛先を遺族はあなたへ向けるしかない。それをあなたが受け止めるしかない」

裁判長は主流のA派に属するようだ。ところで、この裁判を傍聴したのは、じつは2009年8月だ。当時、ブログ「今井亮一の交通違反バカ一代(いちだい)」に私はこう書いた。

「人間はもともと不注意な生き物。居眠りもすればカーラジオや伝票へ脇見してハンドル操作を誤ることだってある。