■空前の「コストプッシュ圧力」が立ちはだかった

米EVメーカー、テスラCEOのイーロン・マスク氏はツイッター買収を撤回した。表向きの理由は、偽アカウントの数が正確に把握できないことだ。しかし、本当のところは、株価が不安定化したことで先行きの事業計画が不透明になったことがありそうだ。

写真=AFP PHOTO/TED CONFERENCES/Ryan LASH/時事通信フォト
米実業家イーロン・マスク氏 - 写真=AFP PHOTO/TED CONFERENCES/Ryan LASH/時事通信フォト

ウクライナ危機などの影響も大きい。エネルギー価格の上昇、名地によるコストプッシュ圧力は、世界各国企業にとって最大の脅威と化している。買収後にマスク氏が事業計画を実行し、想定された成果をあげることは難しくなった。

別の視点から考えると、マスク氏は世の中の急変を感じとった。アニマルスピリットに溢(あふ)れるマスク氏でさえ、大きなリスクテイクが難しくなった。それほど、世界経済は急激に変化している。

買収撤回の結果として、マスク氏の信義則に問題があることが確認された。トップは“社会の公器”として企業の事業運営に臨まなければならない。今回の買収では、その点が徹底されなかった。今後、世界全体でインフレが進行するだろう。IT先端分野では、コスト削減に取り組む企業が急増する。規制も強化される。その中でマスク氏がどのようにテスラなどの成長を実現するかが注目される。

■6兆円規模の超大型買収→3カ月で撤回

4月25日にマスク氏はツイッターの買収を発表した。そのポイントは、かなりの規模と高値での買収だったことだ。大きな負担を背負ったとしてもツイッターの競争力を向上させることはできる。それが当初のマスク氏の目論見だった。

買収の概要は次の通りだ。買収総額は440億ドル(1ドル=136円換算で約5兆9840億円)だ。うち255億ドル程度が借入資金だ。買収によって、既存のツイッター株主は1株当たり54.20ドルを受け取るとされた。プレミアム(上乗せ価格)は前営業日(4月22日)の終値対比で10%、3月末対比で40%だ。買収によってツイッターは非上場化される予定だった。

買収に際して、マスク氏は次のような事業運営を計画しただろう。まず、人員削減などコストカットを徹底して進める。近年のツイッターはフェイクニュースやヘイトスピーチの摘発に集中せざるを得なかった。同社は、人海戦術で取り締まりを強化した。その結果として、コストが増えた。事業運営の効率性は低下した。さらに、ウクライナ危機の発生がコストプッシュ圧力を強めた。

■「偽アカウントの開示」をツイッターに求めた理由

次に、マスク氏は人工知能(AI)など先端技術の導入を目指したはずだ。AIを用いることでより効率的な偽アカウントの摘発を目指す。人海戦術をとる必要性は低下する。ツイッター全体で事業運営の効率性は高まる。その上で得られた収益を新しいサービスの創出に再配分する。人々が安心して、自由に利用できるデジタルな表現の場を生み出す。それは競合他社との差別化要因になる。ユーザーは増え、広告収入も増す。その上でツイッター株を再上場し、利得を手に入れる。

計画遂行のために、マスク氏は偽アカウントのデータ入手にこだわった。どの程度の偽アカウントがあるか。社内のリソースが偽アカウント撲滅に十分か。追加の人員採用、システム投資は必要か。表向き、同氏はそうした問題を精査し、事業計画の実効性を高めるために偽アカウントの情報開示をツイッターに求めた。また、買収が発表された時点で、マスク氏は株価の下落は一時的というように、先行きの世界経済を楽観していただろう。

■IT業界の成長鈍化、金利上昇、資金調達コスト…

しかし、買収発表後、世界経済の状況は急激に悪化した。マスク氏が買収を実行に移すことは難しくなった。まず、世界的に株価が下落した。それは同氏にマイナスだ。事業計画が想定された実績を上げることも難しくなった。背景には複合的な要因がある。米国のIT先端分野では成長期待が剝げ落ちている。アマゾンは物流コストや人件費の急増によって収益が圧迫された。アップルは供給制約の深刻化によって需要を取りこぼしている。

SNS大手のメタ(旧フェイスブック)もコスト増加に直面している。これまでとは逆に、IT先端各社はコストカットを強化せざるを得なくなった。採用の抑制や凍結、人員削減が急ピッチで進む。

また、連邦準備制度理事会(FRB)はインフレ退治を徹底しなければならない。それもマスク氏に逆風だ。大幅な利上げと量的引き締め(QT)が同時に進む。短期を中心に金利は上昇する。期待先行で株価が上昇したIT先端銘柄の売り圧力は一段と強まる。企業の資金調達コストも増える。買収資金を借り入れるマスク氏の負担は増す。

■「交渉進められない」と表明したマスク氏の本音

その状況下、ツイッターのビジネスモデルの行き詰まり懸念が高まる。同社はSNSプラットフォーマーとして広告収入を得る。しかし、世界経済の減速によって広告収入は減少する。規制強化もマイナスだ。競争も激化している。ツイッターがクラウドコンピューティングなど新しい分野に進出することも難しい。

ウクライナ危機は長期化する可能性が高い。それによって、世界全体でのインフレも長引くだろう。ツイッターが高成長を目指すことは追加的に難しくなっている。高い株価で再上場を実現できるか否か、リスクは高まっている。このようにマスク氏は想定外の展開を懸念し始めたはずだ。

写真=iStock.com/hapabapa
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hapabapa

5月に入ると、マスク氏は買収交渉を進められないと表明した。表向きの理由は、偽アカウント情報が不十分であることだった。ただし、その本音は、買収を実行するか、取りやめるか、判断の時間を確保するためだったと考えられる。

■経営者に欠かせない信義則にもとるのではないか

最終的に、マスク氏はツイッターの買収を撤回した。ツイッターはマスク氏が買収契約を履行しなかったと批判した。同社はマスク氏を提訴した。買収契約の内容にもとづけば当然だ。要は、マスク氏には信義則を守るという認識が十分ではなかった。

米証券取引委員会(SEC)もマスク氏の姿勢を問題視している。5月にマスク氏は買収を前に進められないとツイートした。そこには買収撤回の示唆と解釈できる部分があった。その時点で、計画に重大な変更が生じていた可能性は高い。

しかし、マスク氏は買収計画を修正しなかった。今回の買収劇は多くの利害関係者を巻き込んだ。ツイッター株価は乱高下した。テスラの株価も大きく動いた。それが投資家に与えた影響は過小評価できない。一連のマスク氏の発言やツイートは、信義則にもとると言われても仕方ない。

なお、同様の懸念が浮上したのは今回が初めてではない。テスラは非公開化を示唆したマスク氏のツイートに関してSECから2度目の召喚状を受け取った。テスラはマスク氏のツイートを精査するようSECから命じられた。ただし、それを徹底することは難しい。

■本当の意味でIT先端分野の勝者になれるか

企業は社会の公器だ。非上場であれ、上場であれ、すべての企業に当てはまる。そのために、企業は環境の変化に対応しなければならない。言い換えれば、常に最悪のシナリオを想定する。変化に対応できるよう、トップは計画を練り、戦略を策定、実行する。それが企業の長期存続を支える。結果的に考えると、マスク氏はその点を十分に認識していなかったのではないか。

マスク氏がテスラの成長を実現したことは賞賛に値する。アニマルスピリット溢れる同氏の姿勢に学ぶことは多い。ただし、マスク氏は企業経営者だ。信義則は守らなければならない。公正な姿勢は欠かせない。その問題がツイッター買収劇で明らかになった。

今後、世界的に物価は高騰する。欧米の中央銀行はインフレ退治を急がなければならない。IT先端分野での優勝劣敗は鮮明となるだろう。その中でマスク氏がどのようにして社会の公器としての事業運営に取り組むかが注目される。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)