最後にキャッチボールしようよ――。

 昨年、斎藤佑樹が声をかけたのは、大学時代をともに過ごした同級生だった。

「キャッチボールを映像に残しておきたかったんです。だからプロのカメラマンの方にお願いして、僕らのキャッチボールを撮って、編集してもらって……それがこれなんです」

 斎藤のスマホには、大石達也とキャッチボールをする動画が保存されていた。BGMがついたドキュメントタッチの映像は、ふたりがとある室内練習場へやってくるところから始まる。リラックスした表情でそれぞれが着替え、やおらボールを投げ始める。


プロ10年目を迎えた日本ハム・斎藤佑樹

 ともに早大を支え、チームを大学日本一へと導いた先発の柱と、抑えの切り札。東京六大学のリーグ戦で60試合、155回を投げて217の三振を奪った大石はドラフトで6球団競合の末、1位でライオンズへ入団した。六大学史上6人目となる通算30勝、300奪三振を達成し、4球団が競合した斎藤は1位でファイターズへ入団する。同学年だった福井優也(カープにドラフト1位で入団、現在はイーグルス)と3人で”早大ドラ1トリオ”として注目を浴びながら、プロ入り後はそれぞれがもがき苦しみ、昨年、大石が現役を引退。ドラ1トリオの中では最初にユニフォームを脱ぐことになった。斎藤がこう話す。

「大石と最初にキャッチボールをしたのは大学1年の時だったと思います。僕の相手はずっと福井だったんで、それがどのタイミングだったのかは覚えていないんですけど、大石は最初、野手をやっていたので、あまり彼とは一緒にキャッチボールはしていなかったんですよね」

 早実出身の斎藤は夏の甲子園の優勝投手であり、福井も済美高校でセンバツの優勝投手となっている。ふたりの野球エリートとは対照的に福岡大大濠の大石は甲子園とは無縁で、大学に入学する際はショートとして期待されていた。だから斎藤にとってピッチャーとしての大石の存在は当初、眼中になかった。

「正直、それはあったと思います。大石もまだ150キロを投げていたわけではなかったし、球筋はきれいだなと思っていましたけど、そういう選手はたくさんいましたからね。それが1年の秋、ピッチャーに専念することになった大石が試合で投げたら、バッターが大石の真っすぐにほとんどバットを当てられないんです。僕は変化球で空振りを取っていましたけど、大石は真っすぐで空振りを取る。いったい、どんな真っすぐを投げているんだろうって……大石が突然、眼中に入ってきました(笑)」

 高校時代に五合目まで辿り着いていた斎藤と福井が、そこから大学野球の頂を目指して山を上っていたら、思いもしない登山口から知らないルートを辿って大石が上ってきた。七合目あたりで合流して、そこから3人で山頂を目指す。日本一の山への登頂を成功させたとき、お互いが一目置く存在になっていたというわけだ。

「大石は感覚派なんです。プロに入ってからは年に2、3度、食事に行くんですけど、そういうとき、『投球フォーム、見せてよ』って言うじゃないですか。それは今、ここで投げてくれって意味じゃなくて(笑)、スマホに入ってるでしょ、自分のピッチングフォームが……でも大石はそういう動画を一個も持っていない。やっと見つけたと思ったら、軽ーいキャッチボールとかで、これじゃ、全然、わかんないよって。大石は『オレは感覚でやっている人間だから、それでいいんだ』って言っていました。そういう考え方ができるのって、羨ましいんです。大石みたいにシンプルに考えられれば頭の中がクリアになるのに、僕はいつも頭の中が忙しくて、頭のキャパがいっぱいになっているタイプですからね」

 感覚に頼ってきた大石は、プロの世界でフォームを狂わせたとき、ロジックに頼ることができなかった。テイクバックのとき、あるはずのない位置に腕がある。ここじゃないと元に戻そうとしても、簡単に戻るものではない。あれこれ試行錯誤を続けているうちに、大学時代に投げていたフォームがわからなくなってしまった。

 逆に理詰めで物事を考える斎藤は、プロ入り後もいろんな考え方に興味を抱き、さまざまなアプローチによって、フォームのことや身体のことを研究し尽くしてきた。こうすべきだ、ああしようと正解を追い求めているうちに、本来、持っていた本能に近い感覚がぼやけてしまったのかもしれないと、斎藤が話していたことがある。


大石達也とキャッチボールした理由を明かした斎藤佑樹

 考え方も、性格も、ピッチャーとしての持ち味も、何もかもが両極端なふたり――大石はプロ9年目を終えたところでユニフォームを脱いだ。そして斎藤は今年、プロ10年目を迎えようとしている。

「よく周りから『大石くんがやめたね』って言われるんですけど、そういう時って僕、何て言えばいいんですかね。よく頑張ったよね、なんて言えないし、僕ももっと頑張りますとしか言えないでしょう。僕も自分のことで必死だし、大石も、もちろん福井も、それぞれそうだったと思うんです。ただ、大石は僕らのなかで最初に次へのスタートを切った。それを僕は、何かの節目と感じたんでしょうね。もともと僕は昔のことは忘れちゃうタイプなんですけど、時々、ポンと自分の気持ちが熱くなる瞬間が来るんです。

 もう、大石とはプロ野球選手として一緒に野球をすることはないんだと思ったら、キャッチボールをしたくなった。だから大石に訊いたんです。キャッチボール、しようよって。そしたら『ああ、いいよ』って返ってきたんで、最後のキャッチボールをやることになりました。それにしても大石の投げるボール、そのままそっくりオレにちょうだいって思いましたよ。アニメにあるじゃないですか、そのパーツだけもらう、みたいな(笑)。大石の真っすぐ、低いところから筒の中をシューッと通って、ポンッと出てくる感じなんです。シューッ、ポンって……そのきれいな真っすぐ、オレにドッキングしてくれと、ホント、そう思いました」

 だからといって、大石の分まで何かを背負おうとしているわけではない。斎藤はその時々の自身のピッチングフォームと同じように、大石とのキャッチボールを記憶だけでなく、記録として残しておきたかったのだ。どこか冷めていてどこかで熱い、リアリストとロマンチストが同居する斎藤らしい発想だ。

 6月に始まって11月まで続く、短くも長いシーズン。斎藤には間違いなく、チャンスがある。そして、その結果をシビアに問われることは斎藤自身が誰よりも身に染みてわかっている。