カリスマ経営者の多くが性格破綻者である理由
※本稿は、ウォルター・アイザックソン『イノベーターズI』(講談社)の一部を、講談社企画部が再構成したものです。
■アップルは「独創的な天才」と「実践的エンジニア」のチームだった
スティーブ・ジョブズのような独創的な天才型のリーダーは、画期的なアイデアを生み出す。彼らとがっちり組んだ、スティーブ・ウォズニアックのような実践的エンジニアが概念を機械じかけに変えてゆく。さらに技術者とアントレプレナー(起業家)がチームとなって発明を実際の製品に変えるのである。
では、そんな「成功するチーム」を導き、飛躍させ、歴史に残るイノベーションまで導いたリーダーとは、どのような人物なのだろう? デジタル革命史をひもといてみよう。
デジタル時代、つまり電子機器が私たちの生活のいたるところに埋め込まれる時代が真の意味で誕生したのは、1947年12月16日。この日、ベル研究所のふたりの科学者が数枚の金箔、半導体素材のチップ、折り曲げたクリップから、小さい装置をこしらえることに成功する。この装置「トランジスタ」こそ、蒸気機関が産業革命で果たしたのと同じような役割を、デジタル時代で果たすことになる。
■トランジスタを発明した「堕ちたリーダー」
現在もiPhoneから乗用車まであらゆるものに用いられている「トランジスタ」は、20世紀最大の発明と言っていい。
トランジスタの発明によってノーベル賞を受賞したのは、ウォルター・ブラッテン、ジョン・バーディーン、ウイリアム・ショックレーの3名だ。
このチームのリーダーだったショックレーは、歴史に名を残しながらも、「堕ちたリーダー」と評された人物でもある。
カリフォルニア州パロアルトで育ったショックレーの才能は卓越していた。中等学校を飛び級してカリフォルニア工科大学で学位を得ているし、のちにはMITで固体物理学の博士号を取得している。彼は鋭敏で独創的、そして野心的。手品をやってみせたり、いたずらを仕掛けたりするのを好む一面もあったが、おおらかとか気さくといった言葉とは無縁だった。
■実験者と理論家を加えてチームを組む
1936年、MITを卒業したショックレーはベル研究所のマービン・ケリーの訪問を受け、その場でウチに来いと誘われる。当時のベル研究所といえば、あらゆる知性が集結し、才能が自由に行きかうイノベーションの源のような場所だ。
「安定性が高く、丈夫で安価な素子で真空管を置き換える方法の探索」
これがケリーからショックレーに与えられた仕事だった。
「管の中でフィラメントを光らせる代わりに、シリコンのような個体素材を使えば解決策が見つかる」
3年後に解決策を出したショックレーには、量子論を視覚化する能力があった。
だが、彼の芸術家のような直観を現実の発明に変えるには、ジョブズにとってのウォズニアックのように、巧みな実験者が必要だった。そこでチームに加わったのが、口は悪いが陽気な西部人ウォルター・ブラッテン。彼は酸化銅などの半導体化合物で独創的な装置を作るのが得意だった。
また、理論系の中心はショックレーだったが、彼にはチームの監督という任務もあっため、理論家をもうひとり呼び寄せることになった。選ばれたのは、もの静かな量子論の専門家ジョン・バーディーン。プリンストン大学で博士号を取得し、大戦中は海軍兵器研究所で魚雷設計についてアインシュタインと議論したという天才だ。同僚によれば「実験家と理論家のどちらとも難なく協力する真の才能を持ち合わせていた」という。
■同じ部屋で膝を交えて何時間もブレスト
初めのうち、バーディーンには専用のオフィスがなく、ブラッテンの研究室に間借りする格好になっていた。これは賢明な選択だった。理論家と実験家が同じ部屋にいれば、膝を交えて何時間でもブレインストーミングを続けられるわけだ。
話し好きなブラッテンと違ってバーディーンは口数が少なく、「つぶやきジョン」と呼ばれるほどだった。ぼそぼそとした彼の話を聞くためには身を乗り出さねばならなかったが、耳を傾けるだけの価値があることは知られていた。
実験台の前に並んで座り、バーディーンがおだやかにアイデアを出すと、ブラッテンが夢中になってそれを試す。実験が終わると、バーディーンはブラッテンのノートに記録をとる。感謝祭の休暇が過ぎたことにも気づかないまま、ふたりはいろいろなパターンを試みた。シリコンのかわりにゲルマニウム、蠟ではなくラッカー、接点には金といった具合に。
1947年12月16日の火曜日、すばらしいことが起こった。ついに実験がうまくいったのだ。点接触型トランジスタの誕生である。
その晩の帰り道、多弁なブラッテンは相乗りの車中でこう言った。
「人生で最重要の実験だった」
そのうえで、他言しないよう同乗していた同僚に告げている。
バーディーンは、いつものようにあまり口を開かなかった。だが、帰宅後の言動はいつもと違っていた。妻が台所でにんじんをむいているとき、おだやかにこうつぶやいたのだ。
「今日、大変な発見をしたよ」
■理論家と実践家の協働がイノベーションとなる
20世紀最大級の発明であるトランジスタは、理論家と実験家がいっしょに取り組む共生的な関係のなかで、理論と結果をその場でぶつけ合うパートナーシップから生まれた。
舞台となったベル研究所は、70年も前から今日のシリコンバレーと同様の職場環境を実現していた。長い廊下を歩いていけば、ゲルマニウム中の不純物を操れる専門家や、表面準位を量子力学的に説明しても通じる人々に出会うことができる。あるいは、最新技術を知りつくしたエンジニアとカフェテリアで談義できる。
そんな「チームが自然発生する環境」がそこにはあった。
■ショックレーは部下の発明に激しく葛藤していた
点接触型トランジスタ誕生の一報を聞いたショックレーはうろたえていた。チームの成功に誇りを感じていいはずなのに、部下への激しく暗い競争心のほうが大きくなっていたのだ。後年、彼自身もこう認めている。
「感情に、かなりの葛藤があった。チームの成功を喜ぶ高揚感は、その発明に自分が加わっていなかったことで損なわれた。私自身、8年も前から努力してきたというのに、発明にあまり貢献できなかったからだ。そこにフラストレーションを感じていた」
ショックレーは、今回の点接触型トランジスタの発明についてほかのふたりと同等の功績があると主張するため、また、もっと高性能な素子を独自に作り出すため、とりつかれたように実験を始めた。ほぼ1カ月、「接合型トランジスタ」のアイデアを隠しつづけた。
「トランジスタで自分だけの重要な発明をしたいという競争心があった」
だが、バーディーンをはじめチームの研究者たちも同様の研究をスタートしていた。そのうちの一人が土台となる研究について発表したとき、ショックレーは立ち上がってその発表を引き取り、突然、水面下で進めていた自分の研究を明らかにした。
「今度ばかりは、後れをとるわけにいかなかった」
バーディーンとブラッテンはあっけにとられた。ショックレーが新しいアイデアを隠していたこと、ベル研究所の文化でもあった「共有の原則」という文化に反していたことに困惑したのだ。
■ショックレーはチームのリーダーとしては不適任者だった
成功したチームは、情熱的であればあるほど、やがて分裂してしまうことが多い。そういうチームをひとつにまとめておくには、特殊なタイプのリーダーが必要だ。
○競争心を持っているが、協力も惜しまない
○上下関係を超えた団結心を育てる力がある。
ショックレーは、こうしたリーダーとは言いがたかった。部下や同僚に対して競争心をあらわにし、秘密主義になったりするタイプなのだ。
上下関係を超えた団結心を育てるという点でも、ショックレーは失格だった。専制的で、部下の独創的なアイデアを押さえつけては意欲をそぐことも少なくなかった。
ブラッテンとバーディーンが大成功を収めたのは、ショックレーがいくつか案を出すだけで、こと細かに管理したり監督しなかったころのことだ。その後、ショックレーはどんどん威圧的になっていった。
バーディーンとブラッテンばかりか経営陣とも衝突したショックレーは、ベル研究所を退職。自分の会社を興すべく、さまざまな資本家、経営者、研究者を訪ねる。
「結局のところ、私ほど賢く情熱的で、人を理解している者は、訪問したなかにもほとんどいないんだ」
■部下の忠誠心を駆り立てられる人こそがカリスマ
リーダーのなかには、強情で要求が厳しいにもかかわらず、忠誠心を駆り立てるタイプもいる。そうしたリーダーは大胆な考え方を称賛し、その姿勢がカリスマ性を生む。たとえばスティーブ・ジョブズは、テレビ広告の形をとった自身のマニフェストをこう始めた。
「クレージーな人たちに乾杯。はみ出し者。逆らう者。厄介者。変わり者。ものごとが世間と違って見える者」
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスも、同じように、人を駆りたてる力を持っている。肝心なのは、意欲をあおって使命感を共有し、届かないだろうと思われている目標まで人を引っ張っていくことだ。
ショックレーにはその資質がなかった。身にまとったオーラのおかげで優秀な人材を集めるまではできたが、管理能力がなく、いっしょに働きはじめたとたん、反感を抱かれてしまうのだ。ブラッテンとバーディーンがかつて抱いたように。
彼は「ショックレー半導体研究所」を興し、ほぼ全員が30歳以下という若く優秀な人材を全国から集めた。人望がないのでかつての部下は誰もついてこなかったが、名声があったので、片っ端からリクルートすることに成功したのだ。
新会社でのショックレーは、研究者たちが米国物理学会に提出する論文を書いたときも、特許を出願するときも、自分の名を共同執筆者として掲載するように求めた。にもかかわらず、「どんな装置にも真の発明者はただひとりしかいない」と、矛盾としか思えないことを主張した。
さらに、オーナーでもあるアーノルド・ベックマンとも対立した。コスト削減のミーティングにベックマンが駆け付けた時、ショックレーは幹部陣の前でこう言い放ったのだ。
「アーノルド、我々のやり方が気に入らないんだったら、グループごとほかの会社に移ったっていいんだぞ」
だが、ショックレーより先に去っていったのは、彼の部下たちだった。
■「良い人柄+優れた能力=良いリーダー」というウソ
1950年代のアメリカにおいて、安定した会社を飛び出してライバル会社を起業するということはあまりなく、相当な覚悟が必要だった。若い社員ばかりなだけに、「ノーベル賞受賞者にしてカリスマであるリーダーに逆らうのは恐れ多い」という声もあった。
だが、控えめで温和な言動の裏に精緻な頭脳を隠し持った化学者、ゴードン・ムーアは、反乱軍を集める決意をする。そして集まった“8人の反逆者”はショックレー研究所を去り、フェアチャイルドセミコンダクター社を起業する。
“8人の反逆者”の中心となったゴードン・ムーアとロバート・ノイスは、成功を経てフェアチャイルドセミコンダクター社を去り、自分たちの会社を作ろうと再び起業。のちのインテルである。
だが、経営者となったこの二人は、優秀な好人物にもかかわらず、理想的なリーダーとは言えなかった。
ノイスはMITで博士号を取った半導体技術者。学園のヒーローがそのまま成長したような好人物で、人に刺激を与えるカリスマ性があったが、親切で協調性が高いぶん、強い指示ができなかった。
ムーアも似たようなもので、権威を振りかざそうとも人の上に立とうとも思わなかった。
○人に嫌われたくないという気持ちが強い
○怒らない、怒れない
○部下を指導しても、せきたてない
○意見の不一致があっても、対立を避ける
これでは理想のリーダーにはなれない。
■インテル流「外向きの人・内向きの人・実行する人」
理想のリーダー不在のインテルに登場するのが、アンディ・グローブだ。
グローブはハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人で、第二次大戦後に亡命。渡米後に独学で英語を身につけ、ニューヨーク市立大学シティーカレッジを経てバークレーで化学工学博士となった苦労人だ。新卒としてフェアチャイルドに入ったが、ムーアを慕って退職。押しかけに近い形でインテルに参加した。やがて彼は実務的な経営者として、会社を動かしていくことになる。
インテルの起業を実現させた元祖ベンチャーキャピタリスト、アーサー・ロックによると、ノイスは「人を感化する力と創業期に会社を売り込む方法を知るビジョナリー」だ。
そしてムーアは新しいテクノロジーが次々と押し寄せるなかで、インテルをパイオニアに仕立てられる人物。ロック曰く「彼は聡明な科学者で、テクノロジーを推し進める術を知っていた」。
最後にたくさんの企業が競合するようになったとき、「ビジネスとして会社をしっかり引っ張っていく現実的な経営者」が必要となり、それがグローブというわけだ。
「外向きの人・内向きの人・実行する人」
グローブはピーター・ドラッカーの『現代の経営』(ダイヤモンド社)を読み、これを自分たちに当てはめた。つまり、3人で理想のリーダーを実現したのだ。
■チームを飛躍させるリーダーは「ひとり」とは限らない
ひとりの強力なリーダーという形でなければ、効果的な経営ができないわけではない。異なる才能が正しい組み合わせでトップに立ってもいい。合金のように、元素をうまく組み合わせれば強力になるのだ。
リーダーもまた、チームワークである。インテルの文化はやがて、シリコンバレー一帯に広がっていく。
自分一人で完璧なリーダーになる必要はない。異なる才能の組み合わせが、成功の鍵なのだ。
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ウォルター・アイザックソンジャーナリスト
1952年生まれ。ハーバード大学で歴史と文学の学位を取得後、オックスフォード大学に進んで哲学、政治学、経済学の修士号を取得。英国『サンデー・タイムズ』紙、米国『TIME』誌編集長を経て、2001年にCNNのCEOに就任。ジャーナリストであるとともに伝記作家でもある。2003年よりアスペン研究所特別研究員。テュレーン大学歴史学教授。
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(ジャーナリスト ウォルター・アイザックソン)