【国際プロレス伝】別れのとき。アニマル浜口が社長から託された夢
【第5回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
「吉原社長のそばにいたい」。アニマル浜口は、男の美学を貫く国際プロレス社長・吉原功(よしはらいさお)に惚れ込んでいた。しかも、仲間の面々は気の置けない”酒豪”ばかり。プロレスの喜びを知り、楽しい時間を過ごす日々……。しかし、ついに別れのときがやってくる。
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アニマル浜口が尊敬してやまない恩師・吉原功「アニマル」の名付け親・吉原功(5)
TBSから系列局を持たない東京12チャンネル(現・テレビ東京)にテレビ放映権が移行し、ついには東京12チャンネルのレギュラー中継も打ち切られると、1981年8月9日、北海道・羅臼(らうす)町の羅臼小学校グラウンド大会を最後に興行中止。9月30日、正式に国際プロレスは解散となり、15年に及ぶ歴史に幕が下ろされた。
「国際プロレスとして最後の興行となった羅臼大会、僕は肝臓を患ったりして長期欠場中だったんです。だから、申し訳ないし、情けないんだけど何もできず、よくわからないこともあるんです。その後、吉原社長の意向であり、社長が敷いてくれたレールなんだと僕は思って、ラッシャー木村さんや寺西勇さんと『国際軍団』を組んで新日本プロレスに乗り込みました。国際プロレスの誇りを忘れず、国際プロレスの魂を持って戦いましたが……。
吉原社長はその後、1984年かな、新日本プロレスの顧問になられたときに、女房がやっていた浅草の『香寿美』という店に来てくれたんです。僕は店の3階の自宅にいて、『社長がいらしたわよ』と女房が教えてくれたんだけど、1階に降りて行けませんでしたね。社長の心情がわかっていたから。
それから1年もしないうちに、社長は胃ガンで倒れられました。木村さんと最初にウイスキーを持って見舞いに行ったときは、まだお元気で。『よく来たな』なんて喜んでくれて、『俺も練習しなきゃいかん』と言っていましたし、ベッドから起きて見送ってもくれました。それが2度目にうかがったときは、ガンが全身に転移されて、『もう誰にも見せられない』と奥さんがおっしゃりながらも、僕と木村さんだけは病室に入れてくれたんです。ガンとの壮絶な戦いを見せられました。それが、お会いした最後でした」
吉原功、1985年6月10日死去。享年55歳。
「55歳ということは、僕なら2002年、京子が釜山アジア競技大会で金メダルを獲得し、ギリシャのハルキダで行なわれた世界選手権で優勝した年か。
1997年から世界選手権3連覇を遂げながらも、2000年と2001年は世界選手権で優勝できずに3位と4位。『浜口京子の時代は終わった。女子レスリングはオリンピック種目に決まって一気に進化している。浜口のレスリングではもう勝てない』と批判されたときで、京子が『自分にレスリングを教えてくれた父親の指導者としての評価が下がるのは我慢できない。絶対に世界チャンピオンに返り咲いて、父親を世界一のコーチと言わせてみせる』と発奮して、チャンピオンに返り咲いたときですね。
吉原社長は短い人生でしたけど、そのなかでものすごいことを成し遂げられた。そして、僕たちに夢の続きを託された。アニマル浜口は、社長の分まで生かされているのかな。『俺が寡黙を貫いた分まで、お前が叫べ』と、天から社長に言われているんじゃないかと勝手に思っていますよ。
国際プロレスをひとりで背負って、苦労されたんですね。僕たち選手はリングの上で戦っていればいいけど、国際プロレスを生き残らせるためには大変なことがあったんでしょう。アニマル浜口と一緒に呑んで、騒いで、発散してもらえればよかった。今だったら、アテネオリンピックの後、京子を闘争の連続から解放するために僕が考案した”笑い”で救ってあげられたのに……」
葬儀では、ラッシャー木村が弔辞を読み上げた。
「我々はバラバラになってしまいましたが、国際プロレス精神を忘れることなく戦っていきます」
「まさに、木村さんが言ったとおりですね。僕は今、吉原社長の教えを忘れず、自分を育ててくれたプロレス界に恩返しすべく、プロレスラーや格闘家を目指す若者を育てていますが、道場でみんなと一緒に汗をかきながら指導していると、ふと思うことがあるんです。『自分は吉原社長と似ているのかな』と。アニマル浜口と吉原社長は、見た目も性格も似ても似つかぬようですけど、どこか根っこのほうでは……。育てるのが好きで、いつまでも道場が好きだし。
人を育てるということは、難しい。レスリングや関節技を教えるにしても、まったく経験のない若者にイチから手取り足取り教えるのは、生半可なことではできない。だからこそ、人の上に立つ者は、すべてを包み込む度量がなくてはならない。どんなときでも、どんな者でも、いつくしみ、真心をもって接しなければならない。『己を修めずして、人を治めず』です。
そして、巣立っていった教え子たちをいつまでも励まし、勇気づけ、彼らがどんなに立派になっても、何年経とうとも、いつか必ず帰ってきて、心安らかに過ごすことができる”故郷”のような温かさを失ってはならない。僕はね、道場生たちに『お前にはどこそこの団体が合っている』なんてアドバイスぐらいはしますが、決めたりすることはありません。それぞれ自分で団体を選んで、入門テストを受けて、巣立っていく。
彼らが自分の力を存分に発揮できるところへ行き、そこで輝けばいい。目指すは、世界一のプロレスラー、世界一の格闘家――。自らの力で、この日本に、世界に、新しい時代をつくればいいんです。アニマル浜口は、そのことを吉原社長に教えていただきました。
アニマル浜口は、吉原社長が愛し、人生をかけたレスリングとプロレスの発展のため、全身全霊をかけ、日々戦っていきます。国際プロレスの灯(ともしび)は、このアニマル浜口の胸のなかで今も熱く、燃えたぎっています。絶対に、消させません」
浜口はいつも吉原社長を想い、手を合わせてそう誓っている。
(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
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