ホームの福岡戦は、『この試合で勝たないと本当にまずい』という緊張感に包まれたなか、ゴールを決めて、3-0で勝つことができた。
 
 残り2試合で迎えたアウェーの一戦は、さらに難しい状況になっていた。『このクラブをJ2に落とすわけにはいかない』という強い気持ちで臨み、先制点を与える苦しい展開になったけれど、逆転できた(33節、柏木、マルシオ・リシャルデスのゴールで2-1の逆転勝利を収め、得失点差などから事実上の残留が決定した)」
 
 彼は「自分のなかではACL決勝よりも大きな試合だった」と言う。そんな言葉からも、鈴木がクラブの“責任”ともいえる部分を背負っていたことが伝わってきた。
 
 数々の選手と出会い、そして数々の選手と対戦してきた。そのなかでも「衝撃」を受けたのは、一体誰だったのか。
 
 鈴木は「上手かった選手を挙げればきりがありませんが……」と語ったあと、次のように続けた。
 
「衝撃を受けたのが、内舘(秀樹)さん(現・浦和ジュニアユースコーチ)。正直、浦和への入団が決まるまで、内館さんのことは知らなかったんです……。鹿児島の指宿キャンプでボール回しをしたんです。
 
 若かったし『絶対に負けない』という気持ちだったけど、内舘さんはひとつのトラップで状況を変えてしまった。プロの凄さを見せ付けられました。自分はまだまだだと実感させられました。とても思い出に残っています。
 
 中村俊輔選手、遠藤選手、小野伸二選手……衝撃を受けた選手はたくさんいます。
 
 ただ、『これぐらいできなければ、やっていくのは難しいよ』と、内舘さんからプロの世界の厳しさを思い知らされた瞬間でした」
 
 内舘は96年から08年まで、鈴木と同じく浦和ひと筋でプレーした「守備の職人」。確かにそのDNAを引き継ぐかのように、鈴木のプレーには内舘の“面影”も残っていた。鈴木にとっては、今でも最も変わらず偉大な存在だ。
 
 そして記者会見の最後、2016年のシーズンを迎える浦和の選手たちに向けて、鈴木は次のようなメッセージを送った。
 
「一生懸命、走ってください(笑)。でも、もう選手に対して、なにかを言える立場にはないと思っている。厳しい1年になるが、悔いなく戦ってもらいたい。ひとりのファン、サポーターとして、タイトルを獲ってほしい。その期待に応えられるだけの力を養ってきたはずなので、『今シーズン優勝してください』と。今言えるのは、それだけです」