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「ちょっと面倒だな」と、飲食店のスマホ注文にためらった経験はないだろうか。人手不足の現場を支える便利な仕組みだが、操作に戸惑う客がいるのも確かだ。調査では利用経験者が6割を超える一方、シニア世代には拒否感も強いという。今回は、そんな新しい仕組みをめぐる、ある夜の居酒屋での出来事を紹介したい。
◆スマホで注文する店でのひと悶着

山本聡さん(仮名・22歳)は友人4人と、いつもの居酒屋で楽しい時間を過ごしていた。

隣のテーブルにスーツ姿の男性3人組が入ってきたのは、山本さんたちが2杯目を頼んだ頃だった。

「最初は普通のサラリーマングループという印象で、特に気に留めていませんでした。定年間近に見える3人組でした」と山本さんは振り返る。

ところが数分後、そのうちの1人が突然「なんだこれは」と声を荒らげた。

「実は以前まで卓上にあったメニュー冊子が消えて、今はQRコードが貼られた小さなプレートだけになっていたんです」

一覧できるメニュー表がないことに、男性は相当戸惑っている様子だった。

◆年配には無理だと店員に怒鳴りはじめ…

男性はスマホを取り出してコードにかざしたものの、操作がうまくいかない。苛立ちのあまり、スマホをテーブルに叩きつけるように置いた。

そのまま近くを通った若い店員を呼び止め、「どうやって頼むんだ」と詰め寄る。

店員は横に寄り添い、丁寧に説明を始めた。しかし、男性の表情は一向にほぐれない。操作でつまずくたびに、小さく舌打ちを繰り返す。

「おい、もう紙のメニューを持ってこい。こんなんじゃ頼めない」

店員が「当店はQRコードのみの対応でして」と答えると、男性の声はさらに大きくなった。

「客のことを考えていない店だな。年配には無理だろ、こんなの。不便すぎる」

同席していた同僚たちは苦笑いを浮かべるばかりで、誰も止めようとはしない。面白がっているのか、それとも困っているのか、判然としない表情で見守るだけだった。

奥から店長らしき人物が駆けつけ「申し訳ございません」と頭を下げたが、それが逆効果だったのか、謝罪を受けるたびに男性の勢いは増していく一方だった。

◆緊迫した空気を変えた若者の提案

気がつけば、山本さんたちのテーブルでは会話がぴたりと止まっていた。

「周りの客も、なんとなく目を伏せている感じでした。罵声を浴びてうつむいている店員さんが、見ていて気の毒で」

しばらく様子をうかがっていた山本さんは、友人に「ちょっと行ってくる」と目配せし、静かに席を立った。

「知らないおじさんに声をかけて怒られたらどうしようとか、余計なお節介と思われないかなとか、いろいろ頭を巡りました。それでも、あの空気に耐えられなくて」

深呼吸をして、思い切って男性のテーブルへ。

「あの、すみません」と山本さんは笑顔で声をかけた。男性の顔をまっすぐ見つめ、「スマホで頼めますよ。よかったら、一緒に操作しましょうか?」と申し出る。

顔を真っ赤にして怒っていた男性は、一瞬、言葉に詰まったように沈黙した。静寂のなかで、ふと我に返ったような表情を浮かべる。

「身体の力がすっと抜けたみたいでした。さっきまで店員さんに向けていた剣幕が、目に見えて引いていったんです」

店員も、同僚も、周囲の客も、誰もが固唾をのんだ数秒間。沈黙を破るように、男性は絞り出すような声で言った。

「……頼む」

その言葉を聞いた山本さんは男性の隣に移動。スマホを借りると、手慣れた様子であっという間に注文を完了させた。

「終わりましたよ。このボタンを押すだけなので、次からも大丈夫だと思います」

山本さんが伝えると、男性は「……ありがとう」と小さくつぶやき、深く頭を下げた。それ以降、さっきまでの怒声が嘘だったかのように、静かに過ごした。

◆わからないと言えるようになりたい

山本さんはこう振り返る。

「怒鳴ったって、QRコードの操作が急にできるようになるわけではないじゃないですか。最初から『わからないから教えて』と一言あれば、それだけで済んだ話だと思うんですよね」

責めているわけでも、見下しているわけでもない。ただシンプルにそう感じたのだという。

「時代の流れに逆らうんじゃなくて、ただ教えてもらえばいいだけなのに。本当にそれだけなんですけどね」

怒鳴って場を動かそうとした男と、笑顔のひひとことで場を収めた22歳。あの夜、どちらが頼もしく見えたかは、その場にいた全員がわかっていたはずだ。

できないことを「できない」と言える人間が、じつは一番強い。怒鳴ることで誰かを動かそうとする前に、その一言が言えるかどうか。それが、今の時代の「大人の器」を測る基準になっているのかもしれない。

<TEXT/maki>

【maki】
ライター・エッセイストとして活動中。趣味は人間観察と読書。取材からエッセイ、コラムまで幅広く執筆している