カッコいいだけじゃ生き抜けない 7代目トヨタセリカは悲哀に満ちたクルマ
今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第98回目に取り上げるのは1999年に登場した7代目トヨタセリカだ。
2000年問題に沸く1999年に登場
7代目セリカがデビューしたのは1999年9月。世紀末感はまだなかったが、コンピュータが誤作動を起こすのではないかと危惧された『2000年問題』が世間を騒がせていた。何が問題なのかも把握していなかったパソコンなどに疎い筆者は事の重大さに気づいていなかった。幸いにも騒がれていたような混乱はなかったと記憶している。
そんな1999年の年初に開催されたデトロイトショー(アメリカ)で、トヨタはXYRという一台のコンセプトカーを世界初公開。XYRとはエクストリーム・ヤング・レーサーの略で、トヨタが若者向けのスポーツクーペの提案モデルだった。既存のスポーティカーとは一線を画す、明らかに新しいデザインは世界的に注目を集めた。デザインを手掛けたのは、トヨタの北米のデザインスタジオ(1973年設立)で、人目を引く斬新なデザインを十八番としていた。過去の例に漏れずXYRは斬新だった。1999年1月はまだ6代目セリカが販売されていたが、次期型(7代目)セリカを噂されていた。

1999年のデトロイトショーで世界初公開されたコンセプトカーのXYR
ほぼショーモデルのままデビュー
XYRはコンセプトカーではあったが絵空事ではなくいつ市販されてもいいくらいの完成度だった。しかし、大型のGTウイングこそ装着されていなかったがほぼそのままのデザインで7代目セリカとしてデビューした時は衝撃的だった。というよりもショーモデルよりも市販モデルのほうがカッコいい!!
セリカのエクステリアデザインは当時のクルマとしては何にも似ていなかった。シャープなエッジが特徴的で新しさも持ち合わせていた。
7代目セリカの開発コンセプトは、『見て、見られて、操って楽しい』というもので、セリカらしく見た目を重視していたことがわかる。

ショーモデルよりもカッコよくなった7代目セリカ
大胆なまでのダウンサイジング
7代目セリカのボディサイズは全長4335×全幅1735×全高1305mm。これは旧型(6代目モデル)に対し、全長がマイナス100mm、全幅がマイナス15mm、全高が±0で、大幅にダウンサイジングされていた。その一方でホイールベースは+65mmの2600mm。全長が大幅に短くなっているのにホイールベースは延長。これはすなわち前後のオーバーハング(前後タイヤから先)を切り詰めて対処したことを意味している。実際に7代目セリカではフロントが85mm、リアが80mm短縮されている。それもあって、7代目セリカは真横からのアングルが最も美しい。

前後のオーバーハングが切り詰められている。リアフェンダーは鋭いエッジによりワイド感を強調
デザイン命の伝統を継承
歴代セリカは日本車のデザインリーダー的存在であり続けた。マスタングに影響を受けた初代、日本車で初めて三次曲面サイドガラスを採用した2代目、超個性的なセミリトラクタブルの3代目、流面形で一世を風靡した4代目、ニューエアロフォルムを大々的にアピールした5代目(スゴスバセリカ)、斬新な丸目4灯ヘッドライトの6代目と、歴代モデルとも他社と一線を画すデザインはセリカの真骨頂。7代目もよき伝統を受け継いでいた。
7代目はプロポーションが美しいが、トヨタ車として初採用となった縦目のヘッドライトもデザイン上のポイントとなっていた。

1970年に初代がデビューして以来、セリカは日本車のデザインリーダーに君臨
室内はスポーティ&シック
エクステリアに負けず劣らずインテリアデザインもチャレンジングだった。特にドライバー側にオフセットさせたセンターコンソールの形状は独特。スポーティさとシックさを耕演出。ドアトリムからコンソールへつながる円弧のラインも特徴的だった。

曲線を多用したインパネ回り。センターコンソールのデザインが先進的だった
インテリアカラーはブラックを基調としていたが、スポーツシートのシートサイド色にレッド、ブルー、アメジストの3色のアクセントカラーを用意し、うまくメリハリをつけていた。
ロングホイールベース化したことによりリアシートの居住性が大幅に向上。自動車雑誌『ベストカー』のテストでも、インテグラに次ぐ広さだったと記憶している。

アクセル、ブレーキ、クラッチのペダルにはアルミ製を採用
トヨタ初のバルブリフト機構付きエンジン
エンジンは1.8L、直4DOHCのみだが、145ps/17.4kgmの1ZZ-FEと190ps/18.4kgmの2ZZ-GE2種類が用意されていた。注目は2ZZ-GE。これは1ZZ-FEをベースにヤマハがヘッド回りを開発、いわゆるヤマハが手掛けたトヨタのスポーツエンジンの”G系ヘッド”が採用されている。このエンジンはバルブタイミングに加えてバルブリフト機構を備えていた。そう、ホンダのVTECと同じ機構だ。

2ZZ-GEはトヨタ初のバルブリフト制御エンジン
このバルブリフト付きエンジンの元祖はホンダのVTECで1989年に登場。続いて三菱が1992年にMIVEC、1997年にNEO VVLを登場させているが、トヨタはホンダのVTC登場から10年たって初登場させた。
2ZZ-GEの8200rpmまで回るエンジンフィールは痛快だった。特にカムが切り替わってからの高回転域が気持ちよかった。しかし2ZZ-GEには6MT(1ZZ-FEには5MT)が用意されていたのだが、せっかく追加された6速がハイギアード化された高速クルージング用だったのが残念だった。高回転を楽しむにはクロスした1〜5速を多用することとなり、燃費が悪化傾向にあった。ただエンジン単体での性能は申し分なく、1ZZ-FE、2ZZ-GEともに『平成12年基準排出ガス25%レベル』の☆ひとつをマークとなっていた。

このアングルから見るとセリカのリアフェンダーのボリューム感がよくわかる
操る楽しさを具現化する秘密兵器
サスペンションはフロントがストラット、リアがダブルウィッシュボーン。1ZZ-FEを搭載するSS-Iと2ZZ-GEを搭載するSS-IIの2グレードといたってシンプルだった。トランスミッションはSS-Iが5MT/4AT、SS-IIが6MT/4ATで、同じ4ATでもSS-IIにはパドルシフト付きのスポーツシフトステアマチックと差別化。
そしてSS-IIにはスーパーストラットサスペンションの設定車を用意。スーパーストラットほかにはカローラレビン/スプリンタートレノにも設定。このスーパーストラットサスはキャンバー変化を最適化し、コーナリング時にタイヤの設置面積を最大化することでスタビリティを高める7代目セリカの秘密兵器で、前述の開発コンセプトのひとつである『操る楽しさ』を具現化するための重要アイテムだった。

軽量だった目加速性能にも優れていた
スーパーストラットはストラットに対し小回りがきかない(最小回転半径が大きくなる)、部品点数が増えるためバネ下重量が重くなる、メンテナンスが高いなどのデメリットも指摘されていたが、大きな問題にはならなかったと記憶している。

スーパーストラットサスはコーナリング時のスタビリティが高い
セリカの代名詞の4WDがない!!
7代目セリカの駆動方式はFFのみ。実はこれは往年のセリカファンをがっかりさせた要因でもある。セリカは4代目(ST165)でフルタイム4WDのGT-FOURを登場させ、5代目(ST185)、6代目(ST205)と進化させ、セリカのトップグレードに君臨。WRCにも参戦し、すべてのモデルでチャンピオン(ST165はドライバーのみ)を獲得したこともあり、セリカ=4WDのGT-FOURというイメージが強かった。
7代目セリカがデビューした時には、トヨタワークスのWRCマシンはWRカーのカローラWRCとなっていたため設定する必要がなかったのかもしれないが、7代目の販売に大きな影を落とすことになったのは間違いないだろう。

7代目にGT-FOURがなかったのは販売面で大きく不利になった(写真は6代目)
安全性にも配慮
エンジンのクリーンさ、燃費性能とともに当時求められていたのが衝突安全性能だ。7代目セリカはトヨタの安全ボディのGOA採用、ピラーやルーフサイドレースの内装材に衝撃を収集するリブ内蔵、デュアルSRSエアバッグを全車標準、サイドエアバックをオプション設定、衝突時に首への衝撃を緩和する構造のシート採用などなど抜かりはなかった。
前席のプリテンショナーシートベルトも含め、今では当たり前となっている安全技術も安全黎明期の当時としては充分に満足できるレベルだったのだ。

カッコいいだけでなく安全性能も高かった
発売されなかった幻のセリカ
7代目セリカには数台の発売されなかった幻のモデルがある。そのうちの2台を紹介しておきたい。
1台目はアルティメットセリカ。GT-FOURの不在を嘆く声が高かったなか、トヨタ車でパイクスピークに参戦していたこともあり関係の深いロッド・ミレン氏率いるロッド・ミレン・モータースポーツとTRDが共同で開発したのがアルティメットセリカで、500psの4WDスポーツとして開発が進められていた。F1マシンのフロントウイングを組み込んだようなフロントマスクが印象的な一台だったが、市販されることはなかった。

F1のフロントウイング&ノーズを組み込んだデザインが強烈なアルティメットセリカ
もう一台はセリカコンバーチブル。6代目セリカにコンバーチブルが設定されていたため、市販化に期待がかかった。しかも6代目のコンバーチブルよりも明らかにカッコいい。しかしこちらもお蔵入り。コンバーチブルは数が出るクルマではないため開発費をペイするのが難しいし、セリカの販売アップには貢献しないというのがお蔵入りの理由だ。今のイケイケ状態のトヨタなら絶対に市販していたはず。残念な一台だ。

いつ市販されてもおかしくないほどの完成度、クォリティを誇ったコンバーチブルは市販化されず
買い得感の高い価格設定
7代目セリカはデビュー時に一番安いSS-1(5MT)が168万、一番高いSS-IIのスーパーストラットパッケージ(4AT)でも226万4000円とライバルに比べてかなりリーズナブルな価格設定だった。今考えると羨ましくなるほど安いわけだが、販売面で苦戦が続いた。
その理由のひとつは、若者のクルマ離れ。1980年代、1990年代初頭は若者にとって人生を楽しむアイテムの最上位にクルマが位置していたが、徐々にクルマのポジションが下がってきたのが1990年代の後半。これはセリカのような2ドアクーペだけでなく、セダン系の衰退も激しかった。しかし、時代的な要因だけではない。

縦目+小さなグリルのデザインは賛否あったが、新しさを大々的にアピール
ライバルに対し特別感がなかった
7代目セリカのライバルは日産シルビア、ホンダインテグラ&インテグラタイプRだったが、セリカが最も影が薄いのは否定できない事実。重要なのはここなのだ。FR(後輪駆動)という絶対的な魅力を持ったシルビア、タイプRという究極のFF(前輪駆動)という突き抜けた魅力を持ったインテグラタイプRに対し、クルマ好きへの訴求力で劣っていた。前衛的なデザイン、優れた走りのFFというだけでは弱かった。前述の4〜6代目までにあったGT-FOURがないのも大きく響いた。ライバルとの関係を考えると、セリカGT-FOURはライバルにないスペシャルな魅力となっていた。芸能人は容姿がいいだけでは売れないと言われるがクルマも同じ。7代目セリカを見ればそれを痛感する。

同じFFでもインテRは突き抜けた魅力を持っていた
2006年に36年の歴史に幕
7代目セリカはデビュー時に月販目標として2000台を掲げていた。時代を考えるとかなり強気な数字だった。しかし、デビュー当初こそバックオーダーを抱えていたがそれも長続きせず販売は低いレベルで安定。2002年にマイナーチェンジを受けたが、その時に月販目標を400台に下方修正。これはトヨタとしては珍しい。
セリカは初代以来、北米でも人気モデルとなり、スペシャルティカーの代表格として認知されていたが、日本だけでなく北米での販売も大きく落とした。これは欧州もしかり。7代目になってセリカは世界的に販売を落としてしまった。

日本だけでなく北米でも販売を落としたのがセリカが終焉を迎えた要因
そして7代目セリカは2006年4月に販売終了となり、スペシャルティカーのトップランナーとしてひた走ってきたが36年の歴史に幕を下ろした。
セリカが復活することはトヨタ自身でも公表ずみで、2027年のデビューが有力視されている。初のお披露目は2027年の東京オートサロンという可能性が高い。21年ぶりに復活するセリカは、7代目のような安いモデルではなく、高額車となりそうだが、内燃機関の最終幕で輝きを放ってほしい。

新型セリカに期待したい(ベストカーの予想CG)
【7代目トヨタセリカSS-IIスーパーストラットパッケージ主要諸元】
全長:4335mm
全幅:1735mm
全高:1305mm
ホイールベース:2600mm
車両重量:1140kg
エンジン:1795cc、直列4気筒DOHC
最高出力:190ps/7600rpm
最大トルク:18.4kgm/6800rpm
価格:222万円
※1999年9月デビュー時のスペック

セリカは7代目で36年の歴史に幕を下ろした
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975〜1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/TOYOTA、ベストカー編集部

