失敗だ、と思っていたのは自分だけだった。――週末北欧部chika【learn learn FINLAND―北欧で、生き方を学ぶ記録】
北欧好きをこじらせて、ついにかの地への移住を果たしたコミック作家、週末北欧部chikaさん。そこで出会ったのは、「学び」によって人生を耕す人々と、それを後押しする社会。学びをとおして“世界の見え方”が更新され、新しい人生が形作られてゆく――そんな「学びの先にあったもの」を見つめるエッセイです。(毎月第1水曜日更新)
※NHK出版公式note「本がひらく」の連載「learn learn FINLAND ――北欧で、生き方を学ぶ記録」より
#06 「失敗を、そのまま“失敗”にしない」こと
フィンランドの芸術大学で受けていた3か月コースでは、“自分の名前で働くこと”を考える授業があった。
けれどそこで教えてもらっていたことは、フリーランスやアーティストだけに限らないものでもあった。
どんな働き方をしていても、仕事の中では、自分の考えや判断が外に見える場面がある。
提案したり、説明したりすること。
任された仕事を進めること。
何かを選んで、人に渡すこと。
そのひとつひとつが、思った通りに進むとは限らない。
自分の準備不足に気づくこともあれば、伝えたつもりのことがうまく届かないこともある。
そんな時、その出来事を「失敗」として閉じてしまうのか。
それとも、そこから何かを受け取って次につなげていくのか……。
授業では、そうした視点について何度も話してくれた。
この3か月で何度も教わったのは、失敗を恐れないことというよりも、起きてしまったことを「どう扱うか」ということだった。
この授業をしてくれたのは、長く柔道を続けていて、週末にはコーチもしている日本好きなフィンランド人の先生だった。
そんな先生が最初に教えてくれたのは、英語のことわざ。
“When life gives you lemons, make lemonade.”
「人生が酸っぱいレモンを渡してきたら、それでレモネードを作りなさい」
直訳すると少し不思議だけれど、つらいことや予想外のこと(酸っぱいレモン)が起きた時にも、それをただ悪い出来事として終わらせず、何か良い形(レモネード)に変えていこう、という意味なのだそうだ。
先生は、
「大事なのは”失敗しないようにすること”より、起きてしまったものを何に変えられるかを考えることです。
柔道でも、相手の力をなくすんじゃなくて、その力を使って自分の技に変えることがありますよね。
人生のレモンも、ちょっと似ています。
あ、もちろん作るのはレモネードじゃなくて、お好みでレモンケーキでもいいんですよ」
と、少しおどけたように笑った。
そんな一言で、この言葉がさらに身近になった気がした。
私の頭の中には、早速レモンを前にして「さて、何にしよう」と考える小さなミツバチの姿が浮かんでいた。
最近の小さな落ち込みも、見方を変えれば、「今ここで気づけて本当によかった、次はこうしてみよう」という学びのレモネードにできるかもしれない。
そんなふうにイメージごと受け取れたことで、この言葉はただの教訓ではなく、感覚として残ってくれた気がした。
さらに先生は「人は失敗を恐れがちだけど、それが本当に失敗だったかどうか、ひとつの見方だけではわからない」と話してくれた。
柔道だけでなく音楽も続けている先生は、以前、東京でライブをした時の話をしてくれた。
ある本番の途中で、楽器のコードが抜けてビートが止まってしまったことがあったのだそう。
その瞬間、先生は「ああ、このショーは完全に失敗した……!」と思いながらも、どうにか最後まで演奏を続けたそうだ。
けれどライブが終わってみると、何人ものお客さんが
「あの途中のアレンジ、すごく斬新だった!」
「急に音が跳ねたみたいだったよ!」
と声をかけてくれた。
自分では失敗だと思っていたものが、相手にはまったく違う形で届いていることもある。
それどころか、こちらの予想もしなかった良さとして受け取られることすらある。
そんな話を聞きながら、失敗そのものがなくなるわけではないけれど、
「失敗だ」と決める視点はひとつではないのかもしれないと思った。
そして先生は、うまくいかなかった時にそこで終わりにしないことも大事だと話してくれた。
「失敗したと終わらせる前に、もう一歩だけ先を見てみてください。
必要なら、興味を持って相手に聞いてみてもいいんです」
断られた時も、止まってしまった時も、その出来事をそこで閉じるのではなくもう少し先まで見に行く……。
その姿勢もまた、失敗との向き合い方のひとつなのだと思った。
ライブの話のあと、先生は「人間らしさ」にも魅力があるのだと話してくれた。
きれいに整ったものは、もちろん美しい。
けれど少し揺らぎがあったり、どこかに不完全さが残っていたりするもののほうが、ふと心に残ることがあるのだという。
整いすぎているものは、そのまま通り過ぎてしまうことがある。
けれど、どこかに小さな引っかかりがあるものは、なぜだかもう一度見返したくなる。
それはきっと、人の揺らぎや失敗が、誰にとっても遠いものではないからなのだと思う。
完璧であることだけが価値ではなく、少し足りなさが残っていることにも、意味はある。
先生の話を聞きながら、そんなことを静かに感じた。
また別の先生の講義では、「失敗を祝おう」という話も心に残った。
その先生の会社では、誰かがした失敗をポストイットに書いて壁に貼っていき、10枚たまったらケーキでお祝いするのだそう。
最初は「なんて面白い仕組みなんだろう!」と思ったけれど、
話を聞いていくうちに、それはただのユニークな社内文化ではなく「失敗を学びとして共有するための仕組み」なのだとわかってきた。
「失敗は、学びとほとんど同じ意味なんです」と先生は言った。
誰かが挑戦して、うまくいかなかったことを見せてくれる。
そして、そこから何を学んだのかを共有する。
そうすると、その経験は一人のものではなく、チームの中に少しずつ積み重なっていく。
失敗してもいい場所なのだと感じられると、人は少し安心して、次の挑戦もしやすくなるのかもしれない。
その話を、私はとてもいいなと思った。
一人で仕事をしていると、うまくいかなかったことは、自分の中にしまいこみやすい。
けれど本当は、そういうところにこそ意味があるのかもしれない。
自分にとっての失敗が、いつか誰かの勇気になったり、別の形で役に立ったりすることもある。
そう思うと、しまいこんだ失敗にも、まだ役割が残っている気がした。
こうして授業を受ける中で印象に残ったのは、立派に見える人たちが「失敗しない方法」を知っていたわけではなく、むしろ予定外のことやうまくいかなかったことが起きたあとに「それをどう見て、どう次につなげるか」を知っていたことだった。
さらに先生たちが、それを「練習して身につけられるもの」として授業の中で伝えてくれたことが、ただ「前向きに考えましょう」と言われるのとは少し違う希望をくれた気がした。
うまくいかなかった出来事を、すぐに甘いレモネードにできなくてもいい。
ただ、そのまま黒い箱にしまいこんで「失敗」とだけ書いて閉じてしまわないこと。
机の上に置いて、少しレモンを眺めて、何に変えられるかを考えてみること。
失敗をなくすことはできなくても、失敗との付き合い方なら、少しずつ変えていける気がした。
次回はその続きとして、「未完成なものや、わからないことを見える形にしていく」ことについて授業で学んだことを書いてみたいと思う。
週末北欧部chika
フィンランドが好き過ぎて13年以上通い続け、ディープな楽しみ方を味わいつくした自他ともに認めるフィンランドオタク。移住のために会社員生活のかたわら寿司職人の修業を始め、ついに2022年春に移住。モットーは「とりあえずやってみる」。好きなものは水辺、ねこ、酒、一人旅。著書に『北欧こじらせ日記』シリーズ、『マイフィンランドルーティン100』シリーズ、『世界ともだち部』シリーズ、『フィンランド くらしのレッスン』、『Tasty! 日刊ごちそう通信』、『まいにちヘルシンキ』など多数。
バナータイトルデザイン 山崎友歌(Y&Y design studio)

