東京・中目黒でプライベートキッチンを開くグレース・チョイさん(撮影:尾形 文繁)

子供の頃から料理は好き。だけど、その料理を習った経験はないーー。秘書として3つの職場をクビになったあと、43歳で自分のレストランをオープンした香港人シェフのグレース・チョイさん。フェイスブックで100万人のフォロワーを持ち、日本だけでなく、海外でも招待シェフとして活躍するまでになった軌跡。

4人しか入れないレストラン

私は今、シェフになって本当によかったと思っています。厨房は自分の心身に完全に集中できる場所です……では、自己紹介を始めましょう :)

親愛なる読者の皆さん。私の名前はグレース・チョイといいます。香港出身の中華料理シェフです。4年前に東京に移住してきました。私のレストランは現在、中目黒にあります。

私のレストランは世界最小の中華料理店かもしれませんーー。テーブルは1卓、椅子は4脚しかないのです。それでも、幸運なことに、レストランと私自身は世界中の多くの主要メディアに取り上げていただいています。

例えば、私が香港にいたときには、私のレストランはCNNによって「香港で最高のプライベートキッチン」の1つとして紹介されました。

日本に移住し、西麻布にレストランを開くと(その後、中目黒に移転)多くの日本メディアが取材に訪れました。

“隠れ家レストラン界の女王が西麻布にやってきた!グレース・チョイに突撃インタビュー” - GQ Japan

“香港セレブも夢中の優しい中華──「チョイ チョイ キッチン」。【犬養裕美子の食ガイド】” - Vogue Japan

また、私のレストランにはフェイスブックに100万人以上のフォロワーがいて、世界で最もフェイスブックでの人気が高い中華料理店となっています。もちろん、私のレストランはとても小さいので、100万人のお客様を迎えたなんてことなどありません。


東京・中目黒にある「チョイチョイキッチン」(撮影:尾形文繁)

私を支えてくれる多くの方は、私の料理を気に入ってくれるだけでなく、料理をめぐる私の身の上話にも励まされる、と言ってくださいます。

では、その身の上話をこれからしましょう。

私は田舎で生まれ育ちました。香港の「元朗(ユンロン)」というところです。父は私が5歳のときに亡くなりました。母は私と5人のきょうだいを育てながら、麻雀牌を売って生計を立てていました。

イギリスで秘書の勉強をしたけれど…

私たちが裕福な家で育ったわけではないのは明らかですが、母と姉が貯金をはたいて、私をイギリスで秘書になるためのコースに通わせてくれました。私が将来楽に暮らせるように、との願いからでした。

母が料理好きだったこともあって、12歳から料理を始めました。料理が常に私の情熱だったことを家族はもちろん知っていましたが、それを仕事にするとは思ってもみなかったようです。当時、料理人は立派な仕事と見なされていなかったのです。私自身も思ってもみませんでした。私は女性で、料理は男性優位の世界なのですからなおさらです。

だから、私は秘書の勉強を終えると、家族が思い描いていた通りに事務員になりました。

しかし、私には問題がありました。事務作業に集中できなかったのです。

これは深刻な問題だったので医師に相談したところ、ADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されました(この障害がある人は作業の継続や集中の維持や整理整頓が難しい場合がありますが、それらの問題は反抗心や理解力欠如のせいではないのです)。

私は自分の世界が崩れ落ちていくように感じました。こんな障害を持ったままどうやって生計を立てていけばいいのだろうか。どうやって家族の期待に応えればいいのか……家族は私が安定した生活を送れるようにと貯金の大半をはたいてくれたのに。

私は精一杯努力しました……。

それでも、私は3つの職場をクビになりました。

すっかり自尊心を失ってしまいました。

43歳で小さなレストランを開くことに

失うものが何もなくなった私は、貯金を使って小さなレストランを開くことにしました。43歳のときです。

田舎の生活には利点がありました。特に不動産価格に関してはそうでした。田舎家の1階にある居心地のいい物件を見つけました。居住面積が20平方メートル、庭が20平方メートルあり、香港で私が住んでいた家からわずか徒歩2分のところです。私はこの物件を購入し、居住部分を厨房に、庭を客席スペースに改装しました。

「ボス」になるのはこれが初めてでした。当時の私はどういうわけか自分のことを商売の天才だと思っていました。ボスという立場の難しさを過小評価し、自分自身の能力を過大評価していたのです。2011年1月25日にオープンした当初、店名は「51ファーム」でした。利益の51%を中国の農村地域に寄付したいと思っていたからです。

私は起業家としての仕事に集中し過ぎて、料理に対する情熱を疎かにしてしまいました。私が思う田舎暮らしの利点は不動産価格でしたが、欠点は自分が出す料理に高い値段を付けられないことでした。

そこで、技術をさほど必要としない、シンプルな低価格のメニューを出すことにしました。この商売は上手くいきませんでした。私は落ち込んで、自分は何をやっても駄目だと感じていました……。

夫はこう言ってくれました。「君は商売じゃなくて料理が好きなんでしょう?君は凄いシェフだけど商売は苦手だ。レストランをあと6カ月続けられるだけのお金はあるんだから、君がハッピーになれることをやったらどう?」。

私の料理を食べた人は皆、「才能あるよ」と褒めてくれていましたが、私にはまだ料理の腕前には自信がありませんでした。プロとしてのトレーニングを受けたことがなかったからです。

厨房はスーパーマンの電話ボックスと同じ

厨房は私が集中と尊厳を取り戻せる唯一の場所です。厨房は私だけの変身ゾーンなのです。私はそこに入るたびに違う人間になったように感じます。スーパーマンにとっての電話ボックスのようなものです。

自分の欠点に向き合わなければなりません。私は厨房以外のあらゆる場所ではADHDなのです。

私は自分の料理の才能を信じようと決心し、質の低いファストフードを作るのをやめました。利益を寄付するというアイディアも捨て(そもそも一文も稼いでいませんでした)、店名を「51ファーム」から「チョイチョイキッチン」に変えました。


キッチンで調理をするチョイさん(撮影:尾形文繁)

自分がやりたいことに邁進した途端、商売も上向きになりました。また、とても幸運なことに、多くの有名シェフの方に私のレストランに来ていただきました。彼らは親切にも料理の秘密を教えてくれたのです。

中国料理には「鹵水(ローソイ)」と呼ぶ醤油や中華スパイスなどを混ぜた有名な調味液があり、これは肉などを漬けるのに使われます。あるシェフは彼のレストランで使っている鹵水の秘伝レシピ、そして、なんとタレの一部を譲ってくれたのです(鹵水は継ぎ足して使われることが多く、レシピとタレの一部を譲るというのはビジネスの秘密を教えてくれるのと同様とも言えます)。

私の料理の腕が上がっていくにつれ、香港の主要メディアの多くが取材に訪れるようになりました。例えば、私のスペシャリティである「鶏の中華風煮込み」は、香港で最も人気のあるフードマガジンの表紙を飾りました。


鶏の中華風煮込み(写真:筆者提供)

2015年には香港の英字紙『サウス・チャイナ・モーニングポスト』で、「香港で5本の指に入る隠れ家プライベートキッチン」と書いていただきました。CNNで「香港でトップ10に入るプライベートキッチン」と評価されたこともあります。


鯛の自家製蒜蓉豆豉醤和え(撮影:尾形文繁)

女王だけれど、「王」ではない

日本のBS-TBSも香港に来て、店の中で私にインタビューをしました。

ある有力雑誌も、私のことを「プライベートキッチンの女王」と呼びました。

しかし、女王は「王」ではありません。

私は香港で最も人気のある番組にゲストシェフとして出演しました。私は25話中で唯一の女性シェフという名誉を得たものの、他の男性シェフたちが「セレブリティシェフ」と呼ばれる一方、私の肩書は「プライベートキッチンのオーナー」でした。

男性優位の職業では、女性には地位がまったくありません。地位がある女性がいると、一部の男性によって排除されてしまいます。彼らはその女性のことを影で悪く言うのです。

もちろん、全ての男性シェフがそこまで酷いわけではありませんが、女性の心の中にはつねにある種の不快感があります。

こうした中、私は日本の食材を使って中華料理を作る研究に没頭していくのです。それについてはまた今度お話ししましょう。


この連載の初回です

(グレース・チョイ : ChoyChoy Kitchenシェフ)