元WBA世界ジュニアフライ級王者の具志堅用高、56歳。“カンムリワシ”と呼ばれたチャンピオン時代、世界王座を13度防衛。これはいまだ破られていない偉大な日本記録だ。まさにボクシング界の生ける伝説といえる具志堅氏だが、その現役時代を知らない人からすれば、数々の“具志堅伝説”のほうが有名だろう。

 たとえば、高校受験のとき答案用紙に名前を書き忘れて不合格になったという伝説。にわかには信じがたい話だが、本人にその真偽を確認すると、「名前を書く欄がどこにあるのかわからなかったんだよ。一番上にあるらしいね」とのこと。つまり真実だったのである。

 さらに、高校3年生で全国制覇を果たした後、オリンピック出場を目指して拓殖大学に進学する予定で、手続きまで済ませていた。しかし、急にプロ転向を表明してしまう。このときは、沖縄から上京するために降り立った羽田空港で道に迷ったことが原因となっているが、本当か?

「(出口がわからず迷っているところを)拓大の関係者ではなく、協栄ジムのマネジャーにキャッチされちゃった。で、そのままタクシーに乗せられ、ジムに着いたら報道陣が大勢集まっているんですよ。翌日のスポーツ紙に『海老原(博幸。当時、協栄ジム所属の世界王者)二世がプロ入り』ってデカデカと書かれて、もう後戻りできなくなってしまったんです」

 そして、当時の日本最速記録だったプロ9戦目で迎えた世界王座挑戦。なんとその試合前日に、ぶどうを盗んで怒られていたというのだが。

「試合会場が山梨県でさ。農道を走っていると、目の前にぶどうが垂れ下がっていたんだよ。それをつまみ食いしたら……中にいたんだ、農場の主が(笑)。『コラー!!』って怒られたんだけど、翌日にオレの試合をテレビで見たようで、宿にカゴいっぱいのぶどうを持ってきてくれました。ありがたかったねぇ」

 農場の人が心の広い方でなかったら、間違いなく犯罪者だ。その後は前述のとおり、偉大なチャンピオンとして5年半もの間君臨する。ところが、5回目の防衛戦までは「とんかつ屋でアルバイトしていた」という。

「でも、7回目の防衛戦以降はファイトマネーも上がって、長者番付に載るほどだったな。当時は年に4回防衛戦をやっていたからさ。年間のファイトマネーだけで約1億2千万円。王さんに次いでスポーツ選手の長者番付2位にランクインしたんだ。スゴかったね」

 伝説のみならず、収入までケタ違いだった具志堅氏。現在の目標は「俺のトレードマークのメガネと、大好きなアイスクリームのCMに出てみたい。あとは世界王者をオレのジムから生み出すこと。あと2年ぐらいで実現させたい」とのこと。今度は、誇れる伝説が生まれるかもしれない。

(取材/高篠友一)

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