本作は明治40年に描かれ、今年の3月に重要文化財に指定されたばかりの洋画です。もしかすると、ちょっと地味な絵だと感じた人もいるかもしれませんが、指定された理由は「日記や写生・習作などの資料も現存する」こと、そして「大画面群像表現の最初期の作例」であることなどです(文化庁HPより)。つまり、確かな技術による優れた作品で、しかも学術的に重要だから指定されたのです。

 作者の鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)(1874―1941)は岡山県出身の洋画家で、フランスで伝統的(アカデミックと呼ばれる)な画風で知られるジャン=ポール・ローランスに学びました。明治時代の洋画家といえば黒田清輝が有名ですが、彼が印象派の外光表現を取り入れた新しいスタイルだったのに対し、鹿子木はいわば古い(伝統的)スタイル。黒田は柔らかい人物像と明るい色彩が特徴的ですが、鹿子木は写実的な人体表現と重厚な色使いを基調にしています。


鹿子木は基礎を重んじ、正確な人体描写のため、解剖学の授業にも熱心に参加しました。本作は二度目の渡仏時に制作され、フランス芸術家協会主催のサロンに入選を果たしました。
1907年 油彩・カンヴァス 泉屋博古館蔵

 作品の舞台になったノルマンディー地方のイポールという漁村には師匠ローランスの別荘がありました。その縁もあり、鹿子木はこの漁村を舞台に大作に挑みました。資料が多数残っているため、彼がどのように構想を練り、写生を行い、どの順番で描き進めたかなどの制作プロセスが詳細に分かることは美術史的に大変貴重です。

 この絵は牧歌的に見えますが、実は当時のイポールはかなり観光地化していて、鹿子木も友人とカジノで遊んだと書き残しているくらい。また、ノルマンディーといえば海岸の絶壁が画題として人気でした。しかし鹿子木はそのどちらでもなく、最初から漁師夫婦と二人の子供を主軸にすると決めていたことが資料群から分かっています。

 フランスの伝統では、重厚な歴史・物語の場面を群像で表す「歴史画」が貴ばれてきました。そして師であるローランスは「マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち」(1877年)に見られるように、歴史画の最後の匠ともいえる存在でした。鹿子木は伝統を重んじ、群像画に不可欠な人体表現のために解剖学にも熱心に取り組み、正確なデッサン力を磨き上げました。そして、164cm×219cmという大画面に、歴史画のような厳かさで漁師一家を描いたのです。それは静けさを表すためであり、また労働者への共感もあったのかもしれません。

 構図は非常に堅牢で、4人を中央にゆるやかな三角形状に配置し、彼らの視線をやりとりさせることで安定させています。そして、漁船の輪郭、妻の左腕、複数の籠が作り出すラインが画面右奥へと集まっていく奥行のある構造にもなっています。

 鹿子木は、西洋の伝統的な写実技法を日本に持ち帰り、主に関西の洋画壇を支えました。今回の指定により、美術史界のみならず、公的にも適切な評価を得たといえます。

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「生誕151年からの鹿子木孟郎―不倒の油画道」展
岡山県立美術館にて7月5日まで
https://okayama-kenbi.info/exh-20260522-kanokogi/

(秋田 麻早子/週刊文春 2026年7月2日号)