【闘病】「自分は大丈夫」が一番危ない。43歳FPが語る大腸がんと人工肛門の現実

43年間、大きな病気を経験したことがなく、健康には絶対の自信があった――。そんな中村さんは、腹痛や便秘を「そのうち治るだろう」と考え、受診を先延ばしにしていました。しかし診断されたのは大腸がんステージⅢB。さらにストーマ(人工肛門)造設後にDIC(播種性血管内凝固症候群)を発症し、家族には「生存率は良くて50%」と説明されるほど危険な状態に陥りました。1週間にわたり意識不明となりながらも奇跡的に生還した中村さん。現在は人工肛門と共に生活しながら、自身の経験を発信しています。今回は発症から治療までの経緯に加え、人工肛門との向き合い方や、保険のプロとして感じたがん治療の現実について伺いました。

中村さん(がんサバイバーの保険募集人)

43歳。保険業歴15年のファイナンシャルプランナー(FP)・保険募集人。タバコ・飲酒なし、インフルエンザやコロナへの罹患歴もなく、健康に自信を持っていた。2025年1月から腹痛と便秘が続き、同年7月にS状結腸がん(ステージⅢB)と診断。人工肛門(ストーマ)造設後に腫瘍性DIC(播種性血管内凝固症候群)を発症し1週間意識不明となるも奇跡的に生還。抗がん剤による腫瘍縮小後、同年12月にダビンチ(ロボット)手術を受け、2026年1月時点でypStageⅡ。現在は保険募集人の立場からがん治療と医療費のリアルを全国で発信している。

「ただの便秘だと思っていた」43歳で大腸がんステージⅢBが見つかるまで

編集部

最初に体の異変を感じたのはいつ頃ですか?

中村さん

2025年1月頃から軽い腹痛と便秘が続き始めました。それまで43年間、インフルエンザにも罹ったことがないほど健康だったので、最初は市販の整腸薬で様子を見ていました。ところが痛みがどんどん増して、寝込まないといけないほどになり、便もほとんど出なくなってきた3月頃にようやく近くの消化器内科を受診しました。

編集部

実際に行かれた消化器内科での診療はどのような診断でしたか?

中村さん

最初は薬を2週間飲んで様子を見ましょうということになったのですが、改善しませんでした。薬を変えながら4月頃まで経過観察が続きましたが、その間に体重が減ったり、寝汗をかいたりと、症状は明らかに重くなっていきました。今思えば、血液検査や内視鏡を早めにすべきだったのかと思います。6月頃にようやくCTを撮ることになり、「腸が腫れています」と言われ、血液検査で炎症の値がとても高く、7月に大学病院に紹介されました。

編集部

大学病院での診断はどのようなものでしたか?

中村さん

大学病院ではすぐに大腸カメラを行いましたが、カメラを通している最中、意識が半分ある状態で自分の大腸の中を見て、腫瘍が大きく広がっておりカメラが通れないほどでした。さらに腸壁を貫いて周囲組織にまで及んでいることも分かりました。この時点では手術はできないと言われました。告知されたステージはⅢBでした。まず人工肛門を造設して腸を休ませながら、抗がん剤で腫瘍を縮小させてから切除する計画が立てられました。

生存率50%以下――DICで1週間意識不明となった壮絶な闘病

編集部

人工肛門造設手術の後、播種性血管内凝固症候群(DIC)を発症したとのことですが、どのような状況でしたか?

中村さん

人工肛門の手術自体は順調に終わったんですが、その10日後くらいに40度の熱が出て、看護師さんに伝えた後、そこから記憶が全くなくなりました。熱が上がった際に暴れて点滴の管を全部抜いてしまったらしく、看護師さんが5~6人で抑えたけれど抑えられなかったと後から聞きました。そのままICUに運ばれて、1週間意識がない状態でした。

編集部

ご家族はどのような説明を受けていたのでしょうか?

中村さん

家族には「生存率は良くて50%、戻ってきたとしても脳や身体に障害が残るかもしれない、覚悟してください」と説明されたそうです。腫瘍マーカー(がん細胞が作ったり、がんに反応して体内で増えたりする物質)が通常の40倍という状況で、先生方も厳しいと思っていたのではないかと思います。そのような状態のなか、主治医の先生がDICの状態のまま抗がん剤を投与するという決断をされました。通常ではあまりしない選択で、先生方も経験が少ない、いちかばちかの決断だったと聞いています。それが奏功して、徐々に全身状態が回復しました。

編集部

意識が戻った後の状況を教えてください。

中村さん

意識のない間に、三途の川のようなものが見えていました。ICU(集中治療室)で目が覚めた時は、ベッドの上に自分がふわふわ浮いていて、空から手が伸びてきて引っ張られたら目が覚めたという記憶があります。その後しばらくはせん妄状態(一時的に意識や認知機能が混乱した状態)で、2メートルくらいの黒い人影が10人ほど自分を見ていたり、手から糸が天井に向かって刺さって痛いと看護師さんに訴えたりしていたそうです。でも心配されていた意識障害も身体障害も何も残らず、8月末には一般病棟に戻ることができました。

人工肛門と共に生きる選択。保険のプロが伝えたい大腸がんの現実

編集部

抗がん剤治療から手術に至った経緯を教えてください。

中村さん

8月末に一時退院した後、本格的な抗がん剤治療をスタートし、約2ヶ月半にわたって投与しました。最初は副作用もあまりなかったのですが、後半になって副作用の症状が出てきました。特に辛かったのはしびれで、服が皮膚に触れただけで全身に痛みが走るほどでした。しかし、抗がん剤がよく効き、腫瘍が縮小し、12月にダビンチ(ロボット)手術を行いました。6時間に及ぶ手術で、S状結腸・盲腸・膀胱の一部・神経の一部を切除しましたが、なんとか人工膀胱になることはなく終えました。

編集部

現在、人工肛門はどのような状況ですか?また、再発リスクについて先生からはどのように説明を受けていますか?

中村さん

当初は一時的な人工肛門で、がんを切除した後に戻す予定でした。しかし、実際には切除した部分がかなり長く、もともと私の腸が人より少し短いこともあって、つなぎ合わせた場合のリスクが高いと判断しました。人工肛門を外した場合に1日30~40回トイレに行くようになった方の話も聞いていたので、仕事も含めた生活の質を考えると、このままの方が安定していると自分で判断し、先生にも相談して今も人工肛門のままにしています。現在は障害者申請をしている状況です。術後、2026年1月にypStageⅡ(手術前に化学療法(抗がん剤)や放射線治療を行った後、摘出された組織の病理検査に基づいて判定された進行度)と診断され、再発リスクについては、リンパ節転移・遠隔転移はないが周囲の臓器への局所浸潤があったため「比較的高い部類」と言われています。

編集部

術後にガーダントリビール検査(血液中のがん由来の遺伝子を調べ、治療選択の参考にする検査)を受けられたとのことですが、どのような検査でしょうか?

中村さん

先生から提案していただいた検査で、血液中に流れているがん由来のDNA(ctDNA:血中循環腫瘍DNA)を検出するものです。大腸がんを切除できたとしても、手術後も体内に微量ながん細胞が残っていることがあり、それを「微小残存病変(MRD)」と呼ぶそうです。この検査では、血液から早期に検出することで、再発の兆候を画像で異常が出るより前の段階で察知できるようです。アメリカに送って検査するもので、私が行った病院では30万円程度の自費診療でした。結果は約2週間で「異常なし」と返ってきて、すごく安心できました。その後のCT検査でも現時点では異常は見つかっていません。私の場合はたまたま入っていたがん保険2社からこの検査費用が給付されましたが、生命保険系のがん保険では支払われないことが多いです。

編集部

保険業15年のプロとして、自身のがん体験を経て感じたことと、読者へのメッセージを教えてください。

中村さん

保険会社からもらっている情報と実際の医療現場は全然違うと痛感しました。自費診療の検査や治療はこれからも増えていくので、保険を扱う人が何が給付されて何が出ないかを正確に知って提案できないといけないと感じています。そして何より、健康に自信があっても大腸カメラは必ず受けてほしいと思います。私の投稿を見て初めて大腸カメラを受けた40~50代の方から「ポリープが3つ見つかり、がんになりかけのものもあった、行ってよかった」というメッセージをいただいたことがあります。その方の命を救えたかもしれないと思うと、発信を続ける意味があると感じています。

編集後記

大腸がんと聞くと、高齢者の病気という印象を持つ人もいるかもしれません。しかし中村さんは43歳で発症し、半年以上続く腹痛や便秘をきっかけに診断へと至りました。さらにDICという重篤な合併症を乗り越え、現在は人工肛門と共に生活されています。印象的だったのは、「元の体に戻すこと」だけを目指すのではなく、自身の仕事や生活の質を考えたうえで、人工肛門を維持する選択をしたことです。がん治療は病気と向き合うだけでなく、その後の生き方やお金の問題とも向き合うことになります。中村さんの体験が、症状を放置しないことや検診を受ける大切さを考えるきっかけとなりましたら幸いです。

なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。