自衛隊で「大佐」「少将」の呼称が復活する…!「軍国主義の再来」との批判を跳ねのける、保守派の「逆転ロジック」とは
70年のタブーを破る「新呼称」の全貌
戦後、日本の防衛を担ってきた自衛隊に、ある大きな変化が起きようとしている。1954年の発足以来、70年以上にわたって使われてきた「1等陸佐」や「将補」といった自衛隊独自の階級呼称が、「大佐」や「少将」といった、旧日本軍(=帝国陸海軍)時代と同じ名称に変更される方針が固まったのだ。
「軍国主義の復活だ」と警戒する声がある一方で、「国防を担う組織として、当然のことだ」と歓迎する声も聞かれる。しかし、言葉の響きやイデオロギーだけでこの問題を語るのは、現代の安全保障の「実務」と「現実」を見誤る危険性がある。
おりしも国会では、日本教職員組合(日教組)出身で立憲民主党の古賀千景参院議員による「経済的に厳しい子供たちが自衛隊に行く」という発言が、猛烈な批判を浴びたばかりだ。実は、この一件は、単なる失言にとどまらず、今回の「階級呼称変更」の行方を決定づける「強力な追い風」になっている側面もある。本稿では、階級名が変わることで何が起きるのかを解説するとともに、その裏にある政治と現場のリアルをひも解いていく。
まずは、防衛省が2027年通常国会での法改正を目指している「新呼称」の具体例をみておきたい。対象となるのは、尉官以上の幹部自衛官である。
興味深いのは、幹部の名称を旧日本軍や諸外国の軍隊に合わせる一方で、「曹」や「士」といった下士官・兵の呼称は変更しない。「軍曹」や「上等兵」、「二等兵」などへの変更は、旧日本軍の負のイメージを想起させるという理由から見送られたのである。
政府は、呼称変更の理由として「階級の国際標準化」「国民理解の向上」、そして「自衛官の士気向上と人材確保」の3本柱を挙げている。しかし、現場の実態や政治的背景を掘り下げると、そこには別の思惑も透けて見える。
「国際標準化」というレトリックと実務のリアル
推進派が最も強く主張するのが「他国軍との連携において、国際標準の階級名が必要だ」という実務上の理由である。近年、統合作戦司令部の発足や、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピンなど同盟国・同志国との共同訓練が日常化する中で、日本だけが独自の階級名を使っていると、指揮系統やコミュニケーションにタイムラグが生じるという論理だ。
しかし、この「国際標準化」という言葉には、多分に政治的レトリックが含まれている。なぜなら、自衛隊の公式な英語身分証や他国との名簿において、「1等陸佐=1佐」は戦後一貫して「Colonel(大佐)」、「3佐」は「Major(少佐)」と翻訳されており、NATO(北大西洋条約機構)の階級コードとも整合しているからだ。国際社会の現場において、彼らは最初から「大佐」や「少佐」として扱われており、対外的な実務上の不都合は実は限定的である。
むしろ本質は、日本語の呼称を他国の軍隊のそれに合わせるという「国内的なシンボル」の転換にある。
戦後の日本は、警察予備隊から保安隊、そして自衛隊へと、防衛を担う組織を整備していく中で、憲法9条との整合性を保つため「自衛隊は軍隊ではない」という建前を維持してきた。「1佐」といった独自の階級名は、その「平和国家としてのフィクション」を支える重要なインフラだった。今回の変更は、70年以上続いた、そのフィクションをたたみ、現実の安全保障環境に合わせて「国防組織としての姿」を名実ともに可視化させる作業に他ならない。
国会での「侮蔑発言」問題が強力な追い風に
高市政権が推進する、この「シンボル転換」は、去年10月、自民党と日本維新の会が結んだ連立政権合意書の内容を反映した対応だが、いま皮肉にも、その追い風になっているのが、あの野党議員の問題発言である。
6月15日の参議院決算委員会で、日教組出身で立憲民主党の古賀千景参院議員が「経済的に厳しい子供たちが自衛隊に行く。豊かな子供たちは自衛隊とかにならない」と発言した。自衛隊には、経済的な事情から、つまり、奨学金の返済や安定した収入を求めて入隊する若者がいるという一面を指摘したものだったが、これが、保守層や与党から「命をかけて国を守る自衛隊員への侮辱だ」「自衛隊は『貧乏人の職業だ』と差別している」などと、厳しく批判された。
小泉進次郎防衛大臣は、古賀議員の発言は「事実誤認だ」とただちに抗議した上で、「自衛隊員が、高い士気と誇りを持って任務に当たることができる環境を整備する必要がある」と反論し、自衛隊員の名誉を守る姿勢を鮮明にした。
筆者は、この一連の騒動が結果として「階級呼称変更」の議論にこれ以上ない大義名分を与えてしまったと考える。
「自衛官を単なる労働者や経済的弱者として扱うような視線を払拭し、国家の防衛を担う名誉ある存在として処遇しなければならない」--この小泉防衛大臣のロジックの延長線上に「だからこそ、世界に通じる名誉ある『大将』や『大佐』といった呼称が必要なのだ」という強いストーリーが完成したのである。野党議員の不用意な発言が、はからずも「誇りと名誉の回復」を掲げる階級呼称変更への最強の追い風(ブースター)となってしまった格好だ。
覆い隠せない「人材不足」というシビアな現実
この自衛隊員への「侮蔑的言動」をめぐる騒動の裏で、自衛隊が直面している本当の危機は「深刻な人材不足」である。
2023年度の自衛官採用達成率はわずか51%、自衛官候補生に至っては30%と過去最低を記録した。また、2024年度末の全体の充足率は25年ぶりに9割を割り込んだ。「階級の呼称が変われば、応募者が増える」という意見もあるようだが、これは、楽観的に過ぎる見方だろう。実際、現場の自衛官たちが日々直面しているのは、予算不足による装備品の共食い(部品の使い回し)や、慢性的な長時間労働といった「シビアな現実」である。
幹部の階級名だけを「大将」や「大佐」、「大尉」と勇ましく変更したところで、現場の下士官・兵(曹・士)の待遇や名称は据え置かれ、抜本的な処遇改善が伴わなければ、組織の疲弊は止まらない。
自衛隊の階級呼称が、終戦から80年の時を経て「大佐」「大尉」へと回帰することは、もはや既定路線となりつつある。自民党と日本維新の会の連立政権合意による政治的駆動力と、昨今の国会における「自衛官の誇りと士気」をめぐる論争が、その強力な追い風になっている。
私たちが持つべき視座は、「名前を変えたら軍国主義だ」と感情的に反発することでも、「名前が国際標準になれば、問題は解決する」と無邪気に喜ぶことでもない。
「軍隊ではない」という言葉のフィクションを捨て去る以上、日本の政治は、自衛隊を「真の国防組織」としてどう処遇し、どうシビリアン・コントロール(文民統制)のもとに位置づけるのかという、重い責任を引き受けることになる。階級の名称を整えた後に待っているのは、防衛予算の効率化と透明化、装備の現代化、そして「現場で血を流す覚悟を持つ隊員たち」への真の待遇改善という、現実的な課題であることを忘れてはならない。
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【著者】増田剛 1970年生、東京都出身。一橋大学法学部を卒業後、1992年にNHKに入局。政治部記者、ワシントン特派員、解説委員、NHKワールド編集長を歴任。近著に「次期戦闘機の政治史 選定過程にみる日米欧の攻防」(千倉書房、日本防衛学会猪木正道賞基金特別賞受賞)

