(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

写真拡大 (全2枚)

事件、事故、自殺、または孤独死などが原因で、人が亡くなった不動産を指す「事故物件」。古典エッセイスト・大塚ひかりさんは、古典文学に登場する曰く付きの邸宅を長年ファイリングするなかで「事故物件で不幸に遭う人がいる一方、大きく運が開ける人もいる」ことに気が付いたそうです。そこで今回は大塚さんの著書『事故物件の日本史』より一部引用、再編集してお届けします。

【書影】事故物件で不幸になる人と運が開ける人、その違いとは?大筭ひかり『事故物件の日本史』

* * * * * * *

「大島てる」というサイト

「大島てる」というサイトをご存じだろうか。事故物件を地図上に掲載したウェブサイトで、運営者の祖母の名前を取っていると言い、運営者はイベント・執筆活動などもこの名で行っている。

サイトの存在を知った時、激しくテンションが上がったものだ。

なぜなら、古典文学には曰く付きの邸宅、言わば事故物件がけっこうあって、私はそれを長年ファイリングしていたからだ。

平安中期の『源氏物語』にしても、その舞台は当時の事故物件的な屋敷がモデルになっている。

有名な神社仏閣なども、非業の死を遂げた人を祀っていたり、不幸が続いた家をそのまま寺にしたりといった、言わば事故物件であることが少なくない。

日本には古戦場跡も多く、歴史のある町ほど、事件の現場となった場所も多い。

古い歴史を持つ建造物は、すべてが事故物件と言っても過言ではない。

孤独死の部屋の悲惨さ

古典文学にはまればはまるほど、歴史を学べば学ぶほど、事故物件への興味が増した私は、大島てる氏の著書を読み、イベントにも二度ほど足を運んだ。

そこで印象的だったのは、大島氏の伝える孤独死の部屋の悲惨さだ。

殺人事件の起きた部屋は事故からすぐに処理されることが多いため、意外とその後の状態は良い。けれど何日も発見されない孤独死の場合、体液が床にしみこんで、虫も大量発生し、その後始末は、感染症の危険があり、専門知識も必要とされ、非常に難儀であるという。

しかも超高齢社会となった現代日本では、こうした孤独死による事故物件は増加の一途を辿っている。誰もが事故物件と無縁ではいられぬ時代が来ているのである。

事故物件の中には、繰り返し不幸が起きる、曰く付きの物件もある。

一度ミソのついた物件は審査が甘くなるなどして、不審者が集まりやすいのか? と思いきや、さにあらず。大島氏によれば、

「事故物件だと入居審査は逆に厳しくなることが多い」(主婦の友インフォス情報社編『事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件』)

という。

「家主が最も嫌がるのが、続けて事故を起こされることだから」(前掲書)

である。

なぜ「多重事故物件」が生まれるのか

では、なぜ殺人が多発するような「多重事故物件」が生まれるのか。

大島氏によると、その原因は「間取りや周辺環境」が精神に与える悪影響や、「極端に低い賃料」などにある。

「事故物件」という事実そのものが「入居者の精神に影響を及ぼす」ために、不安感から情緒不安定になって自殺……というルートもあるらしい。言わばマインドコントロールによる事故物件化で、こうした傾向は、古典文学の事故物件の中にも見いだされる。

古典文学にはこの手の、繰り返し不幸が起きる事故物件に対する呼び名もある。

“凶宅”だ。

凶宅とは古代中国の「風水説に基づく一種の俗信」で、「居住する者に祟りをなす不吉な邸宅」を指す(岡村繁『新釈漢文大系97 白氏文集一』「凶宅詩」解題)。

もちろん古典文学には、凶宅と名指しこそされないものの、明らかな凶宅もあるし、歴史上の人物にもこうした曰く付きの物件に関わってしまった人たちも少なくない。

このように、事故物件はずっと昔から存在し、注目されてきたのである。

「事故物件」に秘められたメッセージ

なぜと考えるに、場所には記憶が宿るからではないか。その場所に行くと、そこで起きた出来事が蘇るということがある。生まれ育った駅に降り立つと子ども時代のことが思い出され、受験勉強をした散歩道を通りかかると覚えた単語が蘇る。こうしたことから、家・土地にはそこで起きた出来事がしみつくと考えられたのではないかと思う。

もう一つ大きな要因としては、不幸のあった家に住むと、不幸が「伝染する」という考え方があるからだろう。


(写真提供:Photo AC)

朱に交われば赤くなると言うが、ただでさえ人は環境に左右されやすい。そんな環境の一つに「住まい」がある。我が子の教育のため、三度も引っ越しをした「孟母三遷」の故事を引くまでもなく、住まいや土地が心身に与える影響は大きい。

だからこそ、人は家相を気にし、土地柄を選ぶ。

そして何か不幸が起きた場合は、「家土地のせいだったのではないか?」と思う。

その家土地が曰く付きであれば、なおさらである。

凶宅を福に転じる

けれど家土地との向き合い方によっては、凶を吉に、凶宅を、言わば「福宅」(というのは私の造語だが)に変えることができるとしたら……。

実は、凶宅を私が面白く感じるのは、凶宅で不幸に遭う人がいる一方、凶宅と呼ばれる家に住むことによって、むしろ大きく運の開けた人がいることなのである。

つまりは凶宅を福に転じる人たちがいる。

その違いは一体どこにあるのか……を考えることは、孤独死や空き家率の増加で、今後ますます事故物件に遭遇する確率の高い世界に住むことになる我々にとって、一条の光を見いだすことに重なるはずだ。

※本稿は、『事故物件の日本史』(祥伝社)の一部を再編集したものです。