「ここにあったお金がない」突然変わってしまった義母が認知症と診断されるまで。一切目を離すことが出来なくなり…
厚生労働省の「令和4年度 国民生活基礎調査」によると、同居している家族が介護を行う割合は全体の45.9%で、そのうち<子の配偶者>は5.4%だそうです。そのようななか、翻訳家・エッセイストとして活躍する村井理子さんは、仕事と家事を抱えながら、認知症の義母と脳梗塞で倒れた義父の介護を続けています。そこで今回は、村井さんの著書『義父母の介護』から一部引用、再編集してお届けします。
【書影】ホンネ150%、キレイごとゼロの超リアルな介護奮闘記。村井理子『義父母の介護』
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義母、認知症と診断される
夫婦の確信
義父が脳梗塞で搬送された総合病院からリハビリ専門病院に転院したのは、2019年9月終わりのことだった。入院していた義父のもとに、一日も欠かさず通い詰めた義母だったが、「車の運転に自信がない」といい、駅前からバスに乗って行くようになっていた。病院から次々と言い渡される手続きや、義父の介護認定を行うためのケアマネとの折衝など、義母はそのすべてを「わからない」といい、私と夫で担うようになっていた。
家から着替えを運ぶはずの義母が、「同じ服ばかり持って来る」と義父は連日怒っていた。セーターやコートや靴下ばかり持って来て、肝心の下着やタオルを持って来ないというのだ。病室のロッカーに詰め込まれた何枚ものセーターを私に見せ、義父はますます怒りを露わにした。
リハビリ病院に転院するまえにしばらく入院していた総合病院でも、同じことは起きていた。頼んだものを持ってきてくれないと義父が訴え、義母の代わりに夫や私が持って行くようになった。義母は、夜になるとわが家に電話をかけてきては、「庭を誰かが歩いている」と訴えたかと思えば、「お父さんの生命保険の証書がない。あなたが盗んだ」と夫を責めることもあった。
私に対しても、「ここにあったお金がない」「テレビのリモコンを持って行ったでしょう?」と疑いの目を向けた。この頃にはもう、私たち夫婦のなかには確信めいたものが生まれつつあった。義母は認知症なのではないか、ということだ。
当時の義母のメモにはこうある。
車のキーをどこかにかくして(保管のつもりが)出てこない。
つらい つらい つらい!
義母から夫に、「車の鍵がどこかへ行ってしまった。あなたが持って行ったでしょ」と聞く電話の回数が格段に増えた。「これはもう、まずいことになってきたよ」と言う私に、夫はまだ信じられないような表情をしていた。義母の状態は、それほどまで突然に悪化の一途を辿ったのだ。
要介護認定を申請
義父の担当ケアマネに、義母の様子がおかしいことを打ち明け、アドバイスを求めた。彼女は、それであれば地域の窓口があると教えてくれた。
私たちが地域包括支援センター(介護スタートにあたり相談に応じる地域の総合窓口)に向かったのは、義父がリハビリ病院に転院した直後、2019年9月のことだ。要介護認定の申請を行い、義母を担当するケアマネHさんがすぐに決まった。翌週には、ケアマネと私が話合いの機会を持ち、義母の現状の確認を行った。その次の週には、介護認定調査員が義母と面談し、聞き取り調査が行われた。
要介護認定とは、介護サービスがどの程度必要なのかを判断するためのものだ。市町村の窓口に申請が必要で、まずはコンピュータによる一次判定、介護認定審査会による二次判定が行われ、主治医の意見書などから総合的に判断され、決定される。
要支援には1から2が、要介護には1から5までの段階がある。わが家の場合、2024年5月現在は義父が要支援1(基本的な生活はほぼ自分で行うことができる)、そして義母が要介護3(中等度の介護が必要な状態。着替え、身の回りのことは、一人ではできない。理解の著しい低下などがある)である。
義母から目が離せない
義父の入院中、義母を一人で実家に住まわせることは危険だとのケアマネの意見から、私と夫は義母をとりあえず一週間、わが家で預かることを決めた。
身の回りの荷物とともに義母を車に乗せてわが家に向かう道中、義母は「どこに行くの?」「誰の家に行くの?」とひっきりなしに聞いてきた。まるで、わが家への道のりを一切記憶していないかのような言い方だった。夫は怒った口調で「俺の家だよ!」と答えていた。

(写真提供:Photo AC)
わが家に到着した義母は完全に混乱していた。
きょろきょろと辺りを見回し、不安そうだった。もちろん義母は、わが家には何百回と来たことがある。むしろ、そう頻繁に来ないで欲しいと私が訴えるほど、遠慮なしにやってきていた。それなのに、とても居心地が悪そうにし、あれだけ溺愛していた孫たちにも素っ気ない。双子で似ていることもあって、どっちがどっちかの区別もついていない。お義母さん、ここで寝て下さいねとベッドを示しても、不安そうに座ったままで横になろうとしない。私はそんな義母を見て、大いに不安になった。
義母は「失礼致しました……」と小さい声でつぶやきながら、帰り支度をし続けた。少しでも目を離すと、玄関から出て行こうとする。
この日から数日、私は義母から一切目を離すことが出来なくなった。私が仕事をしている隙を見て、義母がすっと玄関から出て行ってしまうのだ。薄着のまま家を出て、どこに向かうのかと観察していると、どんどん山道に向かって歩いて行って、大慌てで追いかけたこともあった。家の周りをぐるぐると、ただ歩いている日もあった。家の外構に背中をつけ、忍び足で歩く姿を目撃したときはショックだった。何を警戒しているのか。
私は変わってしまった義母の姿を見て、恐怖を感じるようになった。もしかしたら彼女は、私の存在すら、わかっていないかもしれない。パソコンに向かっているとき、ふと感じる義母からの視線。ドアの隙間から私のことをじっと観察し続ける義母。私はキッチンに無造作に置いてあった包丁を隠した。山道に向かう義母の手を掴んだとき振り返った彼女の目が、他人を見るそれだったからだ。
人生はジェットコースターのように
私はケアマネに義母の様子を必死に説明し、助けを求めた。ケアマネは、「急いだほうがいいですね」といい、要介護認定に必要な「かかりつけ医からの意見書」取得のため、認知症専門病院を大急ぎで受診することになった。
初診日、義母だけではなく、実は私までも大混乱に陥っていた。世の中には、「未知のウイルスによる感染症患者が増加しつつある」というニュースがちらほらと出始めていた時期だ(後に、新型コロナウイルス感染症の世界的パンデミックとなる)。
実は義母の受診の数日前、警察署から突然入電し、東北のとある街に住んでいた実兄が、アパートで突然死したとの連絡を受けていたのだ。初めての場所に緊張した面持ちの義母を院内の待合室に残し、私は病院の外でケータイ越しに葬儀会社と兄の葬儀の打ち合わせをしていた。不思議なことに、悲しさは感じられなかった。
冷たい人間だと思われるかもしれないが、脳内がアドレナリンで満ちていた私は、無慈悲に次々とタスクをこなすモードに入っていた。思考もこれ以上ないほどクリアだった。頭のなかは8割が兄の葬式、そして2割が義母の介護認定で占められた。同時進行する、この上なく難解なタスク。
「気持ちで負けたら、そこで終わり」
私は診察室から出てくる困惑しきった義母の顔を見て、そう自分に言い聞かせた。人生は、突然猛スピードで進み出すジェットコースターだ。
結局、様々な検査を経て、義母は初期の認知症との診断を受けた。2019年11月初旬のことだった。
※本稿は、『義父母の介護』(村井理子)の一部を再編集したものです。
