橋本環奈演じる結に共感…名前を消された「人気者のきょうだい」高校受験での決断で逃れた呪縛

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名前を消された「人気者のきょうだい」の苦しみ

橋本環奈さんが主役の米田結を演じるNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』。結の姉のアユ(仲里依紗さん)は地元のギャルたちにとっては永遠の憧れだ。姉は教師や地元の人たちも記憶に深く刻まれる存在で、結に対する周囲の人たちの認識は、「アユの妹」だ。そんな結に共感するのが、フリーの編集者でライターの佐々木美和さんである。

「ドラマとは状況は異なりますが、私の場合、姉ではなく兄(仮に、名前をタケシとする)でした。結ちゃん同様、自分の名前ではなく、“タケシくんの妹”が私の名称でした。あの頃は、自分の人生の中でもっともダークサイド、暗黒の時代……、兄の呪縛に常にがんじがらめになっていました。今振り返ってみるとそんなに憤ることでもなかったのかもしれませんが、当時は私も子どもで自分という存在を感じられない苦しさがありました。

今、介護などの『きょうだい格差』をテーマに取材を進めていますが、家族の問題を探ると、結ちゃんや私のように、きょうだいの呪縛、家族からの差別や格差に苦しめられている人は少なくないと感じています」と語った。

今回、介護の『きょうだい格差』の番外編として、佐々木さんが子どもの頃に背負っていた “きょうだいの呪縛”「タケシくんの妹」について寄稿してくれた後編。前編では小学校をと卒業後も、優秀な兄に会うために小学校の校長先生や佐々木さんの担任が家に来ていた状況などを伝えた。努力して兄と同じ最難関の地元高校に合格するレベルに達した佐々木さんが「呪縛」から逃れるまでをお届けする。

わざと高校受験に失敗する「選択」

高校受験は迫っていた。親も親戚も教師も友だちもみな、私が兄と同じ進学校を受験できるようになったことを喜んでいる……。今更、違う高校に行きたいとは言えない……、私はひとり決心した「兄と同じ高校には行かない」と。わざと受験に失敗して二次募集で別の高校に行こうと。兄の高校に行ったら、きっと私は心が疲れてしまう。高校浪人になる可能性もあるけれど、それでもいい、黙って実行しよう。15歳の自分が悩んだ末に出した答えだった。今思えば一種の復讐でもあったのかもしれない。高校受験当日、私は答案用紙の半分に適当な答えを書いた。1教科目のテストでは手が震えたが、2教科目からは自分でも驚くほど肝が据わった、「私は落ちるんだ」と。

合格発表では予定通り「不合格」だった。学校や親からも「なぜ?」とすごい勢いで問われたが、「ごめんなさい、できなかったの」と言い張った。そして、その後、二次募集で別の高校を受験し、無事合格することができたときには、心からホッとして、ベッドで布団をかぶって一人泣いた。

子どもは大人が思う以上に繊細に物事を感じている

兄のことに縛られることがない高校生活はとても楽しかった。やっと肩の荷が下りた気がした。怒られるときも、褒められるときも主軸にあるのは自分だ。そんな当たり前のことがとてもうれしかった。

そして時が経ち、地元の人に会わない限り、誰も私のことを「タケシくんの妹」とは呼ばなくなった。出版社で仕事をし、その後独立をし、現在はフリーの編集者兼ライターとなった。取材では様々な人と出会う。そのたび、「兄よりもすごい人は世の中にこんなにもたくさんいる。東大出身の方もたくさんいるし、その中でもとびぬけてすごい人もいる。尊敬するほど素晴らしい功績をお持ちの方もたくさんいるではないか」ということに気づかされた。確かに兄は子ども時代目立つ子どもであったが、兄だけが特別というわけではなく、世の中には「特別な人」はたくさんいることも知った。あのときは、私も両親も地域の人も限られた狭い価値観の中で生き、「兄だけが特別」と思ってしまっていたのかもしれない。

そして、あのとき私を縛っていたものは、大人たちのデリカシーがない「マイクロアグレッション(無自覚な差別)」だったように思う。私たち家族が住んでいたのは都心から1時間半以上かかる埼玉郊外だった。新興住宅街ではあるものの、古い価値観も残り田舎特有の保守的な決めつけや噂は今も絶えない。そういった地域性が兄を神童と祭り上げ、また、両親もその空気に飲まれてしまった。

もしも、校長と担任が家に来たときに、「ありがたいことですが、タケシを特別視するのはやめてください」と親がきっぱり断っていたら……。兄よりも成績が振るわないけれど絵や図工が得意だった私の個性をもう少し評価してくれていたら……。

今になってしまえば、すべてが“たられば”で、兄への呪縛がなかったとしたら、どんな人生を歩んでいたのかはわからないが、もう少し心穏やかで伸びやかな子ども時代を過ごすことができたように思う。少なくとも兄に対して「あいつなんていなくなってしまえ」と、藤原伊周の呪詛のように呪い続けることはなかったかもしれない。そして、今介護が必要な母に対しても、子どもの頃に受けたつらい気持ちを蘇らせることなく、もう少しやさしく穏やかな気持ちでケアが出来たようにも思うのだ。

さらに自我自賛で申し訳ないが、15歳で周囲に黙って高校受験で反乱を起こした自分に対して、今改めて褒めてあげたいとも思う。介護などの『きょうだい格差』を取材していると、つらいのにその場から逃げ出せず苦しみをルーティーン化させてしまう人がいる。自分だけが我慢すればいいと、つらいことがあるのに次第にそのつらさに慣れてしまう。しかし、心にはストレスは蓄積していくのだ。本来は、つらかったらそのルーティーンから外れてもいい。負のループを断ち切ってもいいのだ。完全に外れるのが怖ければ少し距離を置いて、一旦離れてみてもいい。そして、大人たちには、何気なく発した言葉に子どもは長く苦しめられてしまうことを知ってほしいと思う。

大人になって知った、神童と呼ばれた兄側の気持ち

神童と呼ばれた兄は、現在某地方都市で大手メーカーの研究所に勤務している。今では「神童」と呼ばれた面影は正直まるでないし、周囲にもそんな話はしていないようだ。

今から10年ほど前、兄と子ども時代のことについて本音で話したことがあった。私が「学校と地元が嫌で、タケシくんの妹と言われるのが、ヘドが出るほど本当に嫌だった」と話すと、兄は「オレも大人たちが求めるいい子を演じなくちゃいけなくて、めちゃくちゃしんどかった。本当はさ、東大じゃなくて、地方の大学か海外の大学に行きたかったんだよね。そろそろ自分の好きなように生きてもいいかなと思って。もう埼玉の実家には戻らないかな……」と。

兄は兄で、大人たちが一方的に自分に夢中になっていく姿に困惑し、どうしていいかわからない気持ちを味わっていたのだ。これは盲点だった。「私だけがつらい」「私だけが不幸」と思っていたので、兄の告白はかなりの衝撃だった。しかし、この一件を兄と話せたことはとてもよかったと思っている。

兄妹、姉妹、兄弟、姉弟……“きょうだい”という存在は、身近でありながらも時として関係が難しくなることもある。そして、その関係を微妙にするのは、親や身近な周りの人であるということも忘れないでほしい。私もそうだったが、子どもは心に芽生えた本当のつらさをなかなか口に出せない。比較される、差別されるということは、「ひがみ」や「嫉妬」と捉えられてしまうこともあって表に出せないのだ。どんな子も平等に、ということは人間として難しいのかもしれないが、注目されるきょうだいだけでなく、注目からこぼれたきょうだいが自尊心や自己肯定感を失っていないか、身近な大人が気づいてケアしてあげてほしいと思うのだ。

そして、「姉・アユの呪縛」を誰にも吐き出せず抱え続けている『おむすび』の結ちゃんが、不満や不安を心に溜めず、自由に自信を持って生きられる日が来ることを心から祈っている。

「アユの妹」橋本環奈『おむすび』で思い出した、名前を消された「人気者のきょうだい」の苦しみ