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 90年W杯イタリア大会得点王に輝き、磐田でも活躍した元イタリア代表FWサルバトーレ・スキラッチさんが18日、故郷パレルモの病院で結腸がんのため死去した。59歳だった。2年前に結腸がんを患い2度、手術をしていた。

 「トト」の愛称で知られたストライカーはユベントスでの活躍が認められてメンバーに滑り込んだ90年W杯で当初は控えも、オーストリアとの初戦に途中出場して決勝点。大会途中から先発に定着すると、7試合で6得点を挙げた。地元開催で3位に食い込む原動力になり、優勝した西ドイツのマテウスと準優勝したアルゼンチンのマラドーナを抑えて大会MVPに選ばれた。

 インテル・ミラノを経て94〜97年には磐田に在籍。95年はJリーグ得点ランキングで2位に入る31点を挙げるなど通算78試合で56得点を記録して日本のファンにも親しまれた。

 ユベントスは「我々はすぐにトトと恋に落ちた。彼の意欲、物語、情熱に。我々はイタリア全土が熱狂した90年のあの素晴らしい夏を迎える前に彼を知って興奮する幸運に恵まれた」とメッセージを発表。メローニ首相もSNSで「我々に夢を見させ、国旗を振らせたあなたの感情に感謝しています」と追悼した。イタリア・サッカー連盟のグラビナ会長は今週中に同国で行われる試合では同氏に対する黙とうがささげられると発表。各スタジアムが伝説のストライカーを悼む場になる。

 サルバトーレ・スキラッチ 1964年12月1日生まれ、イタリア・パレルモ出身。メッシーナから89年にユベントス入りして1年目にイタリア杯、UEFA杯を制覇。90年W杯で6得点を挙げて得点王となり、イタリアの3位に貢献。大会MVPに選ばれ、同年のバロンドール(当時欧州最優秀選手賞)投票で2位。インテル・ミラノ、磐田でもプレー。代表通算16試合7得点。

 ▼中山雅史氏 相棒の早すぎる旅立ちに悔しさしかありません。思い出は語り尽くせぬほどいろいろあります。こわもてのトトの表情に恐怖を感じていた方も多いかもしれません。ただ私には、メチャクチャ優しすぎる瞳の印象しかありません。ストライカーとしての素晴らしい技術を盗むことはできませんでしたが、ストライカーとしての気持ちの持ち方、ゴールに向かう姿勢、それはしっかりと今でも心に刻まれています。偉大なストライカーとプレーできたことは僕の財産として輝いています。(94〜97年に磐田でコンビを組む、現J3沼津監督)

 ▼藤田俊哉氏 あまりにも早い突然の別れに驚くばかりです。W杯の得点王と、ジュビロで一緒にプレーできたことは、サッカー選手としての宝物です。素晴らしいストライカーでした。彼のプレーから多くのものを学びました。ご冥福をお祈り申し上げます。(大卒1年目の94年から97年途中までともにプレー、現磐田スポーツダイレクター)