お年玉を子どもがマネーリテラシーを身に付ける機会にできないか。米国公認会計士の午堂登紀雄さんは「原則として、渡したあとは子どもに任せること。お年玉で節約を教えることは弊害が大きい。お年玉ではないが、ある親がした“ユニークなお金の渡し方”は一つの参考になる」という――。
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■お年玉を通じて子どものマネーリテラシーを上げる

もうすぐ新年。そして「お年玉」は正月を迎える子どもたちにとって大きな楽しみのひとつです。実際、お年玉をあげるご家庭の方が多数派だと思います。

そこでお年玉を通じて子のマネーリテラシー向上のために何ができるかを考えてみました。

ちなみに自分の子ども時代のことを思い出してみると、私もお年玉をもらっていましたが、その使い道を親から指図された記憶はありません。その使い方について、小言や説教を言われた記憶もありません。親から見てどんなにくだらない買い物でも、親は何一つ文句を言わず、私の判断・行動を尊重し見守ってくれました。

そんな自分の経験の拡大解釈だというのは自覚の上で、お年玉をあげたときの親の行動に関して、私は「子のお年玉の使い道を親が制限しない」ことは、子の自主性や判断力を養ううえでも大切なことではないかと考えています。

お年玉に限らずお小遣いであっても、あげた以上は何に使うかは子どもの判断に任せ、より満足度の高いお金の使い方を本人の経験から学び取ってほしいからです。

■「目的のない貯金」を教えてはいけない

子どもがお小遣いやお年玉をもらったとき、「貯金しなさい」と言う親がいます。本人名義の預金口座に入れて使わせなかったり、親がいったん預かって管理するという方もいるようです。

もちろん、たとえば「今度出る新しいゲームソフトを買うために貯金するんだ」と子どもが自発的に貯金する分には構いません。それは子どもながらに「目的」があり、その目的を達成するために、今は何を優先させなければならないか、わかっているからです。

そうやって子ども自身の意志があって貯金するのなら問題ありませんが、何もなくただ「貯金しなさい」と命令するのは親の思考停止です。

■失敗させることは重要

人がもっとも学ぶことができるのはやはり失敗経験からではないでしょうか。

小学校半ばくらいになれば、子どもは親に言われなくても、「あんなもの買うんじゃなかった」「あれを我慢しておけば、これが買えたのに」とわかります。

(私もこの記事を書きながら、小学生の頃、近所のプラモデル専門店で大型の戦車の模型を買ったものの自力で完成できず、後悔したのを思い出しました)

お年玉という普段は目にすることのない大金を手にし、気が大きくなって散財してしまえば、なぜこんなものを買ったのか後悔もします。次からはどうすべきか、子どもながらに考えるものです。

そうやって失敗に対する耐性、失敗から立ち直る精神力、失敗に学ぶ学習能力などを獲得します。

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だから親から見れば子どもの無駄遣いに小言の一つも言いたくなりますが、無駄にしか思えない使い方だったとしても成長の過程で必要な経験なのです。

子どものうちは失敗といっても大した金額ではありませんが、大人になってからのお金の失敗はしんどい。その意味で、お年玉は失敗をするにはちょうどよい機会と言えるでしょう(そういえば給付金の誤入金を使い込もうとした若者のニュースがありましたが、大金への耐性がはぐくまれていなかったのかもしれません)。

■「節約」は必要なしつけなのか

また、今さら言うまでもなく、お金は交換の道具であり、何かを成すための手段です。もちろん価値を保存したり保険としての機能もありますが、あまり日々を楽しめない生き方を強いないようにしたいものです。

お年玉やお小遣いに限った話ではありませんが、“節約貯金”をするとは「使えるお金を少なくする」ことであり、それは「選択肢を狭める」「できることを制限する」ことにほかなりません。

そのため、お金を使えばできたであろうさまざまな経験をしないまま日々を過ごすことになるわけです。

お友達と映画やコンサートに行って楽しむ。学校帰りにファストフード店に行っておしゃべりする。友達同士でキャンプに行く。バンド結成のために楽器を買う。お金を使えば、人生の楽しみの幅も深さももっと広がるのに、それをしないで貯金に励む。

こんな寂しい生き方ってあるでしょうか。

大人でもこういう人は多いですよね。家と会社の往復だけで何十年も過ごし、死んだときが人生でもっともお金持ちだったという笑えない話も耳にします。

特に日本人は節約貯金を美徳としていますが、可能性に満ちた多感な10代の子に「無駄遣いせず貯金しなさい」と言うのが本当に必要なしつけなのか、私には疑問です。

■「サラリーマンの小遣い」のような発想を教えるな

子どもの頃からサラリーマンの小遣いのような発想を与えるのではなく、「限りあるこのお金をいったい何に使えば自分の人生が広がるか」を考えさせたい。むろんこれには創意工夫が必要ですが、大人でさえできている人は多くないでしょう。

また、自分で使い道を決めるというのは自己決定であり、自己責任意識につながります。

他人ではなく自分で決めるからこそ、どうすれば最も満足度が高くなるか、有利になるか、不利を避けられるかを考えます。自分の判断を振り返り、次の判断の精度を上げようとします。

その思考習慣が何十年も続けば、巨大な差になるというのは想像に難くないと思います。

たとえば文章でも、誰も批判しないようなきれいごとを書いたものより、本人の独自の主義主張やリアルな体験を書く方が、生々しく迫力があり、読む人の心を揺さぶります。つまり価値あるアウトプットは自分の血肉になったものからしか出てこないということ。

それと同じく、価値あるお金の使い方は、本人のリアルな経験からしか学べないのです。

■お年玉をまったくあげない経営者、高1の子に1000万円渡した親

ちなみに私の周りの経営者の中からちょっとユニークな例をご紹介します。

ある人は、お年玉はまったくあげず、必要なものを買うときに都度渡しているそうです。

彼いわく、お金は「人の役に立ったお返し」という貢献の対価としてもらうべきものであり、本人の努力や労働と無関係にお金をあげることは、合理的ではないからだそうです。

実際、お年玉という慣習があるのはほかに中国や韓国などアジア圏くらいで、欧米にはない風習です。もっとも、キリスト教文化圏では直前にクリスマスという一大イベントがあり新年を祝うウエイトが高くないこと、アジア圏でも旧正月がメインなので日本独特かもしれません。

とはいえ、おじいちゃんやおばあちゃんなど親戚からお年玉をもらうことはあり、さすがにそれを断るような無粋なことはせず、もらったお年玉の中からおじいちゃんおばあちゃんにプレゼントを返させるそうです。

もう一つ、お年玉のケースではありませんが、親が子にお金を渡すことについて考える際に大きなヒントになる例があります。私がしばしば紹介する経営者の話です。

彼が高校生になったとき、親から突然1000万円を渡され、「これ以降は一切のお金の援助はしないから、自分なりによく考えて使いなさい」と告げられたそうです。

彼は1週間ほど考えたのち、親に証券口座を開設してほしいと言ってきた。それで株を買って運用を始め、大学の費用もその利益で賄い、海外留学までしてしまった。

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その後はいったん会社に勤めるも、3年ほどで辞めて自分で会社を立ち上げ、今は経営者として頑張っています。

もちろん子どもの個性によって適切なお金の与え方は異なりますが、こういう方法もあるのかと感心したのを覚えています。

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午堂 登紀雄(ごどう・ときお)
米国公認会計士
1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。大学卒業後、東京都内の会計事務所にて企業の税務・会計支援業務に従事。大手流通企業のマーケティング部門を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。2006年、株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。現在は不動産投資コンサルティングを手がけるかたわら、資産運用やビジネススキルに関するセミナー、講演で活躍。『捨てるべき40の「悪い」習慣』『「いい人」をやめれば、人生はうまくいく』(ともに日本実業出版社)など著書多数。「ユアFX」の監修を務める。
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(米国公認会計士 午堂 登紀雄)