本当にサッカーが好きなら。カタールW杯は”最後まで”見るべき大会だった。
カタールW杯は、サッカーのエンターテインメント性の最大値を更新する大会だった。世の中に存在する娯楽の中でサッカーが1番だと思い、この職業に就いた筆者にとって、この先も続けていく意欲を掻き立てられた大会と言える。こちらをよりサッカー好きにさせた大会だった。
この原稿を書いている現在は、W杯の決勝が行われた12月19日(日本時間)から、まだ10日経っていない。帰国してからも1週間経っていない。非日常性に溢れていたドーハ暮らしの毎日から抜け出せずにいる。遠い星から帰還したような、1ヶ月あまり滞在したカタールW杯の現場が、妙に遠くに感じられるこの頃だ。時差ボケが依然として残ることも手伝い、夢の中にぼわんと佇んでいる感覚である。
現地のイメージを壊さぬよう、テレビ番組など極力、日本に溢れかえる情報を見ないようにしているが、それでも目に入ってしまうものもある。
先日は民放の番組が、スペイン戦で田中碧の逆転弾に繋がった三笘の折り返しをレンズに収めた通信社のカメラマンをクローズアップしていた。
後半6分、堂安律のシュート気味のクロスがゴールラインを割ったか割らぬタイミングで折り返したその瞬間の写真である。ボールがかすかにライン上に引っかかっている事実を捉えた1コマだが、それを持って決定的な1枚だと、必要以上に持ち上げる理由が分からない。
この写真に対する疑問は、まず撮影したカメラマンがリモートカメラを設置した場所にある。本当にゴールラインの真上だったのか。場所を特定させることが大前提だ。
何と言っても1ミリを争う話である。次にカメラの性能だ。最新式でも100分の1秒のレベルには大きく届かない。言い換えれば、秒間100コマではとても写せない。そうした中であの1枚をボールが最深部に達した瞬間だと、どうして断定することができるのか。数コマ前からのカットを連続写真として発表しない理由は分かりやすい。秒間のコマ数が自ずと判明するからだ。
それなしに決定的な証拠とするのは、そうであって欲しいという願望と深くリンクしていると言われても仕方がない。実際、2分半に及んだVARによる審議で用いられた証拠写真は、当然のことながら通信社のカメラマンが撮影したこの1枚ではない。本当に見たいのはそちらだ。なぜその決定的な1枚(瞬間の映像)をFIFAは開示しないのか。
それはさておき、先日は槙野智章元選手の引退が報じられた。カタールW杯では現地リポーター役を務めたそうだが、グループリーグ終了とともに帰国したと言う。
この原稿を書いている現在は、W杯の決勝が行われた12月19日(日本時間)から、まだ10日経っていない。帰国してからも1週間経っていない。非日常性に溢れていたドーハ暮らしの毎日から抜け出せずにいる。遠い星から帰還したような、1ヶ月あまり滞在したカタールW杯の現場が、妙に遠くに感じられるこの頃だ。時差ボケが依然として残ることも手伝い、夢の中にぼわんと佇んでいる感覚である。
先日は民放の番組が、スペイン戦で田中碧の逆転弾に繋がった三笘の折り返しをレンズに収めた通信社のカメラマンをクローズアップしていた。
後半6分、堂安律のシュート気味のクロスがゴールラインを割ったか割らぬタイミングで折り返したその瞬間の写真である。ボールがかすかにライン上に引っかかっている事実を捉えた1コマだが、それを持って決定的な1枚だと、必要以上に持ち上げる理由が分からない。
この写真に対する疑問は、まず撮影したカメラマンがリモートカメラを設置した場所にある。本当にゴールラインの真上だったのか。場所を特定させることが大前提だ。
何と言っても1ミリを争う話である。次にカメラの性能だ。最新式でも100分の1秒のレベルには大きく届かない。言い換えれば、秒間100コマではとても写せない。そうした中であの1枚をボールが最深部に達した瞬間だと、どうして断定することができるのか。数コマ前からのカットを連続写真として発表しない理由は分かりやすい。秒間のコマ数が自ずと判明するからだ。
それなしに決定的な証拠とするのは、そうであって欲しいという願望と深くリンクしていると言われても仕方がない。実際、2分半に及んだVARによる審議で用いられた証拠写真は、当然のことながら通信社のカメラマンが撮影したこの1枚ではない。本当に見たいのはそちらだ。なぜその決定的な1枚(瞬間の映像)をFIFAは開示しないのか。
それはさておき、先日は槙野智章元選手の引退が報じられた。カタールW杯では現地リポーター役を務めたそうだが、グループリーグ終了とともに帰国したと言う。