AIBO(左)とaibo。約20年でロボット技術は劇的に進化を遂げた(左写真撮影:吉野純治、右写真:ソニーストアホームページ)

あの大企業の新規事業はなぜ失敗に終わったのか。世界有数の企業20社の製品・サービスの事例を分析した新著『世界「失敗」製品図鑑』を上梓した荒木博行氏が全3回で3社のケースを読み解きます。

第3回は「ソニー/AIBO」編。時代を先取りしたコンセプトを持ち、世界中に熱狂的ユーザーを擁していたAIBOですが、ソニーショック後に事業縮小し、生産中止に追い込まれてしまいます。その道のりから、私たちが学ぶべき教訓とは?(本稿は新刊の一部を再編集したものです)。

役に立たないが革新的なロボット

ソニーはペット型ロボットの「AIBO(アイボ)」を開発し、1999年6月1日より販売を開始しました。ソニーはなぜこのようなロボットを開発したのでしょうか。その開発ストーリーを振り返ってみましょう。

ソニーコンピュータサイエンス研究所の創設者であり当時ソニー株式会社取締役であった土井利忠氏は、コンピュータが、メインフレームからパソコン、ゲームに至るという歴史の変遷を踏まえ、次世代のコンピュータに人は「癒やし」を求める、という可能性を見いだします。

土井氏はその仮説をもとに、「エンターテインメント型ロボット」というコンセプトをまとめ、1994年4月、「ペット型ロボット」の開発プロジェクトを立ち上げたのです。しかし、この「役に立たないロボット」は先例がないことから社内からの懐疑的な声は大きく、決して歓迎されたスタートではありませんでした。製品開発も多くの壁にぶつかります。

AIBO特有の開発上の問題は、ハードウェアデザインの難しさにありました。高いデザイン性を求められるハードウェアは、通常、最初にデザインを決定し、次に内部の設計に入るというプロセスを踏みます。しかし、AIBOの場合、動きを実現するための内部機構の設計がまったく読めなかったため、外部デザインだけを先に決めることが困難でした。

複雑で読めない内部機構と高いデザイン性というジレンマの中で、設計者たちが繰り返し調整を行い、「あと1ミリ内側に入ると内部の機構やプリント配線基板に干渉してしまうギリギリの外形」に仕上げたのです。

ソニー社内ではこの商品を世に出すべきか、出すのだとしたらいくらでどれくらい販売するか、直前まで紛糾します。プロジェクトチームはAIBOの販売価格を25万円、販売台数を5000体として提案します。しかし、役員会議では、使途が明確ではない高額商品で5000体も製造することは無謀だという意見が大勢を占め、その根拠を問われました。

事業責任者だった大槻正氏は、「もし1000体しか売れなかったらプロジェクトを解散します。3000体しか売れなかったら売れなかった理由を分析します。もし5000体売れたなら私たちのビジネスプランのままやらせてください」と役員を前に宣言します。AIBOの生みの親でもある土井氏も、ハードウェア事業に猛反対していた出井会長を直接説得しました。

1999年6月1日、とうとう前例のないAIBOというイノベーティブな商品がこうして世の中に送り出されたのでした。

「ソニーショック」の余波を受け規模縮小

1999年6月1日朝9時、AIBOの販売サイトがオープンになりました。そして、完売までなんとわずか17分。社内の不安をよそに、最初の5000体のAIBOはあっという間に売り切れてしまったのです。

さらに1万体の追加販売をした11月分の申込者は13万人に達し、「電話がつながらない」という苦情が殺到するほどの大きな反響を得ました。それを受けて、ソニーは2000年春から月産1万体の量産に踏み切る、という決定を下します。AIBOが事業として軌道に乗った瞬間でした。

AIBOはその後も順調に販売台数を積み重ね、1年半の間に4万5000体の販売実績を作ります。そして2000年11月には、AIBOの第2世代の受注を開始。デザインコンセプトを初代の子犬から尻尾と耳のデザインを変更して「ライオンの子」に変え、音声認識機能や写真撮影機能、名前登録機能など新たな機能を盛り込みます。価格は15万円と値下げし、販売数量の拡大を目指しました。

この第2世代のAIBOでは、規格を公開することにより、サードパーティのメーカーの参画を促し、ロボット市場におけるプラットフォームに育てることを目指しました。

しかし、発売開始当初の盛り上がりとは裏腹に、その後市場は思った以上には伸びず、徐々に手詰まり感が漂い始めます。ソニーは機能の追加やデザインの変更など改良を続けるものの、AIBO発売から4年の2003年時点で販売台数が十数万台と、初期の期待値に反して苦戦を続けるのです。

そのような中、2003年4月にソニーに大きな衝撃が訪れます。その年度の連結営業利益が予想より1000億円下回る見通しが明らかになり、ソニー株は売り一色に。株価は最終的にストップ安の3220円まで急落します。世に言う「ソニーショック」です。経営危機が囁かれ、出井会長はリストラ策として事業の取捨選択に舵を切ります。

ソニーは、エレクトロニクス事業の再建を最優先課題とし、プラズマテレビからの完全撤退など8事業のリストラを発表します。ロボット事業も、そのリストラ対象事業に含まれ、研究開発を縮小することを言い渡されます。なかなか停滞から抜け出せないロボット事業は、当初からハードウェアには反対であり、もはや余裕を失った出井会長の再建ストーリーと整合しなくなってきたのです。

そして2004年には、土井氏が開発し発表直前までこぎつけていた2足歩行のロボット「QRIO(キュリオ)」の発売中止が社内決定されました。これからのロボットのポテンシャルを信じ、AIBOに引き続きQRIOに望みをかけていた土井氏は、発売直前でのこの中止命令を下した出井会長に対して猛反発をしますが、決定は覆りませんでした。

そして、時を置いて2006年1月、とうとうAIBOにも生産中止の判断が下されます。世界で約15万体売れ、まだ熱狂的なファンがいる段階で、この画期的なプロダクトは無情にもその愛くるしい姿を表舞台から消すことになるのです。

短期的収益というモノサシには合わなかった

画期的とも言われたAIBOの生産がなぜ打ち切られてしまったのか。端的に言えば、短期的な収益を期待するのが難しい商品が、その可能性を理解されずに、短期的な収益を求められる環境に置かれてしまった……ということにほかなりません。

AIBO事業のメンバーにとっては、徐々にマーケットを育てながら、もう少しすれば芽が出始めるというタイミングでのこと。会社全体がリストラ局面にあったとはいえ、受け入れがたい意思決定だったはずです。

自社以外のサードパーティも含めた「エコシステム」が育ち、ビジネスとして採算が取れるようになるにはそれなりの時間がかかります。消費者にとっても、直接役に立つ必需品ではないので、最初は理解されにくい。だからこそ、企業側もそれを長い目で見て待ち、育てなくてはなりません。

残念ながら、2000年初頭のソニーには、判断の尺度に「遊び」がなく、短期的な収益というモノサシしか持てなかった。AIBOの撤退はそのモノサシで測られてしまった結果の悲劇というしかないでしょう。

このAIBOにはまだその後のストーリーがあります。2006年に生産終了したAIBOですが、2018年1月11日に「aibo」としてバージョンアップしたロボットとなって再度登場するのです。その背景には、家庭用ロボット需要がようやく見えてきたことに加えて、「復活するソニー」のストーリーに整合する、ということがありました。

2018年度に20年ぶりの営業最高益を出したソニーにとって、かつての輝きある「自由闊達にして愉快なる理想工場」としてのソニーブランドへの期待値を高めるためには、「遊び心」や「ユニークさの追求」のシンボルが必要だったのです。

先代のAIBOは、「ソニー冬の時代」を象徴するプロダクトでした。新生aiboは、それとは逆に、「ソニー春の時代」の期待として、経営のストーリーと整合したからこそ復活したとも言えるでしょう。

aibo開発チームであるAIロビティクスビジネスグループは、ドローンの「エアピーク」と、EVの試作車「VISION-S」の開発にも手を伸ばします。川西氏は「aiboと共通するロボティクスの要素技術は多い」と語り、aibo開発を通じて得たハードウェアとソフトウェアの融合にさらなる展開の可能性を見いだします。

ソニーはAIBOの悲劇から何を学び、どう生かしていくのか。そして、どんな尺度でもってaiboをはじめとする新規事業を再評価していくのか。その意味で、これらの新規事業は、新たなソニー経営陣の真の力量が問われるサービスになるでしょう。AIBOは果たして失敗だったのか、それはこの新たな事業次第と言えるのでしょう。

経営陣のストーリーに新規事業を乗せられるか

企業内の新規事業は、「対マーケット」における事業価値も重要ですが、「対経営陣」の事業価値も重要です。つまり、その新規事業が当該企業の経営課題に即しているか、そしてその尺度と事業が整合しているか、ということです。AIBOは「対経営陣」という側面において、その尺度にハマらなかった事業の代表例と言えるでしょう。


ここでの大きなジレンマは、どれだけ「対マーケット」でポテンシャルがあったとしても、「対経営陣」で文脈に乗らなければ新規事業として存続できないということです。その意味で、社内新規事業というのは、経営陣の一存で成否が決められてしまう極めて脆弱な存在でもあります。だからこそ、新規事業は、経営陣の描くストーリーや尺度をつねに意識し、そこに自分たちの事業がどうやって整合するのかを語らなくてはなりません。

私たちは、事業に集中するあまりに、視野をマーケットだけに集中させがちですが、その一方では会社がどのような状態であり、何を今求めているのか、ということも忘れてはならないのです。

AIBOからaiboへ。このストーリーは、事業そのものの価値もさることながら、企業の変化を理解することを伝えてくれる題材として読み取ることができるのかもしれません。