走ることは、身体だけではなく、脳にも“メリット”が。(AFLO=写真)

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茂木健一郎「僕が毎日10km走っている理由」

以前から走るのが趣味の私であるが、今年になってから、思い立って距離を伸ばすことにした。

基本的に毎日10キロ走っている。準備などを含めて、どうしても1時間はかかってしまう。それでも、1000回走るまでは続けようと思って、ほぼ毎日、可能な限り走り続けている。

畏れ多いことであるが、最も厳しい修行として知られている「千日回峰行」にインスパイアされたのである。とても比較にはならないが、自分の中では、「千日回走行」と名付けて取り組んでいる。

走ることには、身体のコンディションが整ったり、より健康になったりといったメリットがある。さらに、走っている間に、脳がアイドリングして、特別な回路が活性化し、さまざまな記憶が整理されたり、ストレスが解消されたりといった効果もある。

このような「ご利益」は、短い距離でも、あるいは歩いても得ることができるから、ぜひ試してほしい。例えば、仕事に行くときにひと駅前で降りて歩くというのでもいいのである。

ところで、走る距離を10キロに伸ばすことは、それなりに勇気のいる「決断」であった。何しろ、毎日それだけの時間をとられるのである。走らなければできたかもしれないことができないという「機会費用」も生じる。

一方で、10キロ走ることにしたからこそ見えてきたこともあった。

■走っている間に脳がアイドリングして回路活性

一番の気づきは、1時間という「予算」の効用に関することだった。

10キロ走ると、それだけ広いエリアをカバーできる。今まで走ったことがない通り、行ったことのない場所を経由することができる。

すると、思わぬ発見や、気付きがあった。「セレンディピティ」(偶然の幸運)にもたくさん出合った。普段住んでいるエリアだけでなく、旅先でも10キロ走ることで、さまざまな出合いがあった。

走る距離を2倍、3倍にすると、出合いや発見も2倍、3倍になる。つまり、走る時間という「予算」を十分に確保することで、自分の成長がより深く、広いものになる。

これは、ランニングだけのことではないと思う。

例えば、英語の勉強を1日10分しかしていない人が、20分、30分に「予算」を広げるとする。すると、読むことができるテクストの範囲が広がるだろう。リスニングの教材も、多様で幅広いものを使うことができるようになるだろう。

忙しい中で、英語の勉強を30分やろうと決断することには、それなりの勇気が必要だろう。しかし、それだけの「予算」を用意したら、それを何に使おうといろいろと考え、計画する楽しみもできる。「予算」を大きく確保することで、想像力が膨らんでいく。

現代人は、メールやSNSなどの情報に翻弄され、時間がどうしても細切れになりがちである。そんな中で、まとまった活動の予定を立てることには、いろいろと困難があるだろう。

しかし、細切れの時間は、しょせん細切れの結果しかもたらさない。時には思い切って活動時間という「予算」を確保することが、学びの深掘り、出合いの充実につながる。

私は、これからも、10キロのランニングという「予算」を確保し続けようと思う。その中でどんなセレンディピティがあるか、今から楽しみである。

(脳科学者 茂木 健一郎 写真=AFLO)