絶望、悲劇、悪夢、虚無......。あの夜を、なんと表現していいのか、今もわからない。

 4月27日、ジェスレル・コラレス(パナマ)とのWBA世界スーパーフェザー級王座統一戦。誰もが、内山高志が白星をまたひとつ積み上げることを信じて疑わなかったはずだ。

 しかし、2ラウンド2分59秒。コラレスの左フックに内山は沈む。

 6年3ヵ月守り抜いた王座から陥落。心焦がしたラスベガスへの足がかりとなるはずだった一戦を落とし、長年の夢は霧散した。当時36歳という年齢を考えれば、あまりにも重すぎる初めての黒星――。

 敗戦の翌朝、浅いまどろみから目覚めた内山を現実が襲った。

「あぁ、本当に負けたんだ。夢じゃなかったんだ......」

 その瞬間の心境を表現するなら、「呆然」だと、内山は言う。

「最初は、猛烈に悔しいって感情じゃなかったですね。悔しいと思う前に、どこかボーッとしたような感じ。絶望? はい、最初はそう思いましたね。それと、『自分は世界一、不幸だ』と。具志堅(用高)さんの防衛記録(13回)に王手だなんだと騒ぎ立てられ、結果あんな負け方。無様すぎるって」

 敗戦翌日から2日間、内山は自宅に引きこもる。外に出れば、道行く人に「大丈夫?」と声をかけられるだろう。その優しさや同情に、耐えられそうになかったからだ。

 だが、3日目の朝、ボクサーの難儀な性(さが)か、心より先に身体がうずいた。

「試合でほとんど動いてない。2ラウンドしかやっていないので、疲労もダメージも残っていない。身体だけは元気で、なぜか走りたくなったんですよね」

 街を走れば、予想どおり何人かに声をかけられた。しかし、優しい言葉の数々は予想に反し、素直に心に染みわたった。それどころか、噴き出す汗とともに、からまった思考が整理されていく。

「死んだわけじゃねーしな」

 ジョグを終え自宅に戻るころには、そんな境地にたどり着いていた。

「不謹慎なたとえ話ですが、もし僕が事故や病気で2度とボクシングができない身体になったのなら、もし震災や何かでボクシングどころではなくなったら......。それこそ絶望だと思ったんですよね。間違っても、今、僕の置かれた状況は、絶望や不幸なんかじゃない」

 きっと内山高志は、本当の絶望を知っている。

 2005年11月、プロ第3戦のわずか2週間前、内山の父はこの世を去った。

 内山がプロになることを伝えると、激しい親子喧嘩になった。安定した職に就くことを望んだ父。夢を追うことを決めた息子。お互い一歩も引かず、落としどころは見出せなかった。

 最後は仲違いする形で、内山が家を出ている。もちろん、父は息子が憎かったのではない。その逆。かたくなだったのは、ガンに侵された自身の余命がいくばくもないことを知っていたから。もしも愛息の夢が叶わなかったとき、その人生を長くは背負ってあげられないことを知っていたから――。

 以前、「なぜ、ボクシングに対し、そこまでストイックなのか?」と聞いたことがある。内山は「いい風に話したいわけじゃないんですが......」と前置きしてから、言葉を慎重に選び語り出した。

「僕は、父にものすごく愛情を注がれ育ちました。小さいときは、毎年のようにキャンプや海に連れて行ってもらって。それなのに、最期は......。親父にあんなにいろいろしてもらったのに、まったくなんも返してない。してあげられることは、もう何ひとつない。親父が亡くなり、これでもし、テキトーにボクシングをやっちゃったら、それこそ『こんなクソ野郎、いねーよな』って思ったんですよね。もちろん、成功しようと思っても成功できないこともある。でも、妥協しないことならできる。だから、とにかくボクシングだけは真剣にやろうって決めたんです」

 取り返しがつくならば、それは絶望などではない。内山は言った。

「ただ試合に負けただけ。何かを失ったわけじゃない。家族や友だちを失ったわけでもない。悩んだことが小さいな、と。好きなことをやって、好きなことで負けて、好きなことをやった結果に悔しがっている。しかも、もし僕が望むなら、再戦の可能性だって残されている。これは絶望や不幸じゃない......幸せなんじゃないかって。だから、負けてから一度も、ボクシングをやめようとは思いませんでした」

 コラレスと、もう一度やりたい......。

 その想いだけを胸に、内山はトレーニングを始める。6月にはジムワークも再開。10月12日に再起を正式発表し、10月21日には大晦日にコラレスとダイレクトリマッチ(他の試合を挟まず同じ相手と再戦すること)を行なうことが報道された。

―― 初戦の敗者が不利とデータも出ているダイレクトリマッチです。勝算は?

「もちろん、勝ちたい。ただ、正直言うと、コラレスとの相性は悪い。身長が低くて、踏み込みのスピードがあるタイプが苦手だってことは、以前からわかっていたんで。明らかに、僕が苦手とするタイプのボクサーです。でも単純に、前回やられたからやりたい。それだけです。とにかくもう一度、コラレスとやりたいだけ」

―― なぜ、あえて危険な橋を渡ろうとするのか? 組みやすい相手との再起戦も可能だったのでは?

「僕、しつこいんですよ。昔から、ねちっこい(笑)。ただ、僕たちボクサーは、落ちるのか落ちないのか、わからない橋を渡るのが仕事ですから。その橋を渡り切ったひと握りのボクサーだけが、名声やお金を得て、ボクシングだけで生活ができる。そもそも、少ないわけです、橋の数が。その道を、みんなが先を競うように殺到するんで、当然、熾烈な争いが生まれる。だから、『渡らない』という選択肢はないですし、そもそも渡らないのならボクサーではない」

―― なるほど。

「再戦の勝敗どうこう以前に、負けたままというか、あのやられ方じゃ終われない。何も出し切ってないんで。負けたとしても、打ち合い判定の末の負けだったり、技術を全部出し切ったうえで、『全部上、行かれたな』って負けならいいんです。でも、前回はそうじゃなかった」

―― データ上では不利。負けるかもしれない戦いに挑むことは怖くないですか?

「まったく。ワクワクします。だって、今回の試合は面白いじゃないですか。お客さんにとっても。いつもは『今日も勝つんだろうな』みたいな空気がありましたよね。今回は、倒された記憶が鮮明にみなさんにも残っている。初めてかもしれないですね、『大丈夫なのか?』って空気のなかでの試合は。だから、僕のなかでも楽しみです。お客さんが楽しんでくれるのが一番いいじゃないですか。今回の試合は、間違いなく会場に緊張感があるだろうし、盛り上がるだろうなって」

―― ただ、多くのボクシングファンは、内山高志の勝利を心から望んでいます。

「もちろん、誰よりも僕自身が勝ちたい。ただ、結果はお約束できないですが、少なくとも姿勢のようなものだけはお見せしようと思います。挫折したって、転んだって、何度だって立ち上がればいいし、必ず立ち上がれるはず。そんな姿勢が伝わる試合を間違いなくすることをお約束します」

 大晦日、どうか見せてほしい。内山高志がふたたび、その腰にベルトを巻く姿を。一敗地に塗(まみ)れたボクサーが、いや人が、ふたたび歩を進める姿を――。

【profile】
内山高志(うちやま・たかし)
1979年11月10日生まれ、埼玉県春日部市出身。ワタナベボクシングジム所属。2005年7月にプロデビューし、プロ8戦目でOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座を奪取。2010年1月、WBA世界スーパーフェザー王者のファン・カルロス・サルガドに挑み、最終ラウンドでTKO勝利して世界王座を獲得する。日本におけるボクシング世界王者として、歴代2位となる11回連続防衛の記録を保持。172センチ、右ボクサーファイター。26戦24勝(20KO)1敗1分。

水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro