長谷川穂積は、死に場所を探し彷徨(さまよ)っているように見えた。

 2011年4月、WBC世界フェザー級王座から陥落。2014年4月、IBF世界スーパーバンタム級のベルトに挑み、壮絶なTKO負け。翌年1月に現役続行を宣言し、同年5月に再起戦で判定勝ちするも、そこに往年の輝きはなかった。

 その試合、たしかに右足首じん帯断裂の影響や左ひじに痛みを抱え、満身創痍ではあった。それでも、全盛期の面影すらない姿に、ボクシングを"続けたい"のではなく、"辞められない"のではないか、そう思えてならなかった。ここではないどこか、自身の死に場所を求めて――。

 復帰2戦目となった2015年12月、WBO世界スーパーフェザー級5位のカルロス・ルイス(メキシコ)とのスーパーフェザー級10回戦。取材ノートに、この試合の走り書きが残っている。

「5R 被弾 セコンド タオル」

 長谷川は、3Rにもダウンを喫していた。5Rのダウンでセコンドは、タオルを投げ込もうとする。それを別のセコンドが必死に止めた。その後、立ち上がった長谷川に対し、セコンドからは何度も、「楽しんで!」との声が飛ぶ。それは言外に、「この試合が最後なのだから」という意味合いを含んでいるように思えた。試合中、長谷川がクリンチするたびに巻き起こる拍手は、観客からの「今日までよくがんばった」という労(ねぎら)いのようですらあった。

 この試合、長谷川の判定勝ち。勝利者インタビューで、「素晴らしい勝利でした! 次につながりますね!」とハイテンションのリングアナ。淡々と、「劣化したんじゃないですか」と自嘲気味に語る長谷川。両者の温度差に、どこまでも噛み合わないインタビューが続いた。

 肩を落とし、リングを降りる長谷川。いったい勝者は誰なのか? この試合が、現役最後の試合になるかもしれないと思えてならなかった。

 だが、長谷川はふたたびリングに立った。

 今年7月、WBC世界スーパーバンタム級王者のウーゴ・ルイス(メキシコ)への挑戦が決定。長谷川は、「ラストチャレンジだと思っている。悔いのない試合、最後、笑って終われるようなボクシングをしたい」と会見で語る。そして、キャリアで初めて公言した。

「負けたら引退」

 チャンピオンベルトをかけた、この試合こそが、かつて10度の防衛に成功した英雄の死に場所にふさわしく思えた。

 それを多くのファンも察知したのか、チケットは即刻完売。プログラム的には山中慎介の防衛戦がメインイベントだが、心のなかでは長谷川のラストダンスをメインに据え、会場を訪れたファンも多かったはず。

 9月16日、エディオンアリーナ大阪。詰めかけた観客は、満員の6500人。大歓声に包まれ、ラストダンスのゴングは鳴った。

 長谷川、上々の出だし。しかし、偶然のバッティングによって減点。長谷川のボディストレートが小気味よく決まるが、時折見せるルイスの左フックが危険な香りを放つ。

 4R終了後の途中採点は、減点の影響もあり、ルイスが2−1でリード。5R、ロープを背負いひやりとするシーンも、長谷川が右を確実に当て、ルイスが鼻血を流す。7R、今度はルイスがバッティングにより減点。長谷川は左目尻から出血する。8R終了後の途中採点では、2−1で長谷川が逆転した。

 しかし9R、長谷川はルイスの強烈な左アッパーを被弾し、ぐらつく。ロープ際まで追い込まれ、会場には悲鳴がこだました。ルイスの連打が続く。だが、この絶体絶命の状況下、長谷川はガードを解き放ち応酬した。

 その瞬間を、試合後こう語る。

「クリンチを振りほどかれて打ってきた。もう逃げられないな、と。ロープを背負って、勝負をかけようと」

 殴り勝ったのは、長谷川だった。左ストレートを叩き込み、リングの中央まで押し返す。右目が腫れ上がった王者は、10R開始のゴングが鳴っても、コーナーから立ち上がることはできなかった。

 それは、35歳9ヶ月――日本人最年長世界王座奪取の瞬間であり、長谷川が3階級制覇を成し遂げた瞬間だった。だが、どんな偉業達成の瞬間であるよりも、長谷川穂積が愛されるボクサーであることを証明した瞬間だったと言えるのではないだろうか。会場の観客が、これほど勝利に喜びを爆発させた試合を、ほかに知らない。

 何度も「辞めて安定した生活を」と訴えていた父・大二朗さんは、勝利の瞬間、子どものように飛び跳ねて喜んでいた。

「ウィラポン戦(2006年)が蘇った。やられてもやり返す、すごい息子です」

 リング上の勝利者インタビューで、長谷川は「夢のようです」と満面の笑顔で語った。

「"負けたら引退"を覚悟した選手は負けると、たくさんの人に言われました。でも、僕は負ける気は一切なかった」

 前回敗れたキコ・マルチネス(スペイン)との世界戦は、2014年4月23日。それは、6年前に55歳で死去した母・裕美子さんの誕生日でもあった。安堵の表情で、長谷川が続ける。

「(前回の世界戦で)誕生日プレゼントを渡すと決めて試合に臨んだんですけど、負けてしまって。2年越しになりましたけど、誕生日プレゼントを渡せて幸せです」

 マルチネスとの試合に敗れ、引退が囁(ささや)かれたとき、長谷川はこんなことを言っていた。

「自分が偉大なボクサーとして人の記憶になんか、残らなくていい。それよりも、母が、いろんな人の記憶から薄れていくことが寂しい」

 勝利者インタビューで、「この対戦を受けてくれたウーゴ・ルイスに尊敬の念を込めて、拍手をお願いします」と対戦相手への敬意を表し、「この勝利は、まだ半分。次の山中選手の試合に僕以上の声援をお願いします」と、7月に合同キャンプを行なった山中へのエールを求めたのが、なんとも長谷川らしかった。

 試合直後に行なわれた控え室での囲み取材。興奮しているのは報道陣だった。そこで初めて、「勝ったから言えるんですが」と、長谷川の口から、8月に左親指を脱臼骨折して手術し、翌日から座薬を入れて右手だけで練習を再開したこと。痛みが和らいだのは、試合2週間前であったことを明かされた。そして、山中の入場曲が流れると、「申し訳ありませんが、試合が見たいので」と、今後の進退についての明言を避け、囲みは打ち切られた。

 山中の試合後、長谷川の控え室にはひっきりなしに友人や知人、関係者が祝福に訪れた。一瞬の合間に、長谷川に、ひとつだけ聞いた。

「もう思い描くボクシングができないと、あきらめそうになった瞬間はなかったですか?」

 知人たちに見せていた笑顔が、一瞬で真顔になった。

「それはないです。1回もないです」

 そして、続けた。

「復帰後の2試合があったから、今日の試合ができた。左指のケガがあったから、右のトレーニングを余計に積め、今日の試合でルイスの左フックをガードできた。あきらめたことはなかったし、今日までの日々で、無駄だったことも、ひとつもなかった」

 言い終えると笑顔に戻り、長谷川はごった返す控え室で、友人らの子どもたちを集め、記念写真を撮り始めた。

 失礼な質問をしたことを、今すぐにでも詫びたい。どんなボクサーか忘れていたわけでは決してない。「あった」などと、この男が言うわけがないことは、わかりきっていたはずだ。

 逆境でより真価を発揮するボクサー。絶対にあきらめない男。その腰のベルトが、誰よりもよく似合う。家族想いで、友情に厚く、子どもに優しい――。彼の名は、長谷川穂積。

 ただ、同時に思う。その進退に注目が集まるが、ベルトがあろうとなかろうと、長谷川穂積は長谷川穂積だ。現役だろうが、引退しようが、長谷川穂積は長谷川穂積だ。その拳の記録と記憶は、すでに歴史と多くの人々の胸のなかに深く刻まれている。

水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro