46歳にして軽度のADHDであることをカミングアウトした小島慶子さん。発達障害と診断されてどう受け止めているのか、ご本人にうかがいました (撮影:今井康一)

最近耳にすることが多くなった「大人の発達障害」。不注意が多かったり衝動的な言動があったりするADHD(注意欠如・多動性障害)、極度のこだわりやコミュニケーションに問題のあるASD(自閉スペクトラム症)、知的な問題はないのに読み書きや計算が難しいLD(学習障害)の主に3種類に分けられ、症状の出方は人それぞれで、グラデーション状の障害だ。
発達障害について関心が高まる中、タレントでエッセイストの小島慶子さんが46歳にして軽度ADHDであることを昨年カミングアウト。筆者はこれまで若年層の発達障害当事者の生きづらさについて取材をすることが多かったが、40代で発達障害と診断された小島さんは現状をどう受け止めているのか。そして、発達障害に限らず、40代ならではの生きづらさについて話を聞いた。

時間を忘れてしまう、記憶が上書きされてしまう

――小島さんは昨年7月、『日経DUAL』のエッセイで軽度ADHDを抱えていることについてカミングアウトされました。カミングアウトされてから、周りの反応は変わりましたか?


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小島 慶子(以下、小島):身の回りの親しい人には以前からADHDと診断されたことは話していたので特に変わったことはありませんでした。でも今、週1回、新聞社の会議に出ているのですが、そこのスタッフの方から「何かお手伝いしたほうがいい工夫があったら言ってくださいね」とは言われました。

また、私のスケジュールの管理をしている方には「私からの返事がないときはどんどんリマインドしてくださいね」とお願いしています。1日にたくさんのメールが届くと混乱してしまうので……。

――ADHDの特性としてよく言われがちな、マルチタスクが苦手ということでしょうか?

小島:そうですね。予定を忘れてしまったり、記憶が上書きされたり書き換えられてしまったり。「今日は10時集合だ」とわかっていたはずなのに、シャワーを浴びて支度をしているうちに「今日は10時半集合」と脳内で記憶がすり替わっていて、気づいたときにあれっ? 10時だったっけ? となってしまう、といった困りごとはよく起こりますね。

「ニューロ・ダイバーシティ」の概念が広まってほしい

小島:以前、自分のエッセイでも書いたのですが、発達障害という名称ではなく「ニューロ・ダイバーシティ」という概念が広まれば、もっと多様性として世に受け入れらえていくのではないかと思っています。これは、主にアメリカで提唱されている概念で、定型発達、不定型発達の2つに分けるのではなく、「この人はこれが得意でこんなことが苦手な脳」「この人はこういう特徴がある脳」という、脳の多様性を認める考え方です。


「『ニューロ・ダイバーシティ』という概念が広まれば、もっと多様性として世に受け入れらえていくのではないかと思っています」と小島慶子さん(撮影:今井康一)

特徴の強さにもよりますが、それぞれの能力が発揮できるような環境さえ整えば、その人たちの能力が活かされるでしょうし、少なくとも生きづらさは軽減します。

――シリコンバレーでスタートアップのIT企業などは、発達障害の方を多く採用すると以前、元日本マイクロソフト社代表の成毛眞さんにうかがいましたが、それがまさにニューロ・ダイバーシティなのですね。

小島さんは過去に摂食障害、現在は不安障害を抱えていらっしゃるとのことですが、これは発達障害の二次障害ということですか?

小島:それが、いろいろ組み合わさって発達障害だけが原因じゃないと主治医に言われています。1つの側面だけで見ず、生育歴や生まれ持ったパーソナリティーなど、複雑な問題が絡み合っているとのことです。私の育った家庭は人の容姿に関してかなり敏感で、子どもの頃から見た目にコンプレックスがありました。

産毛が多いとか痩せすぎだとか、多感な時期にいろいろ家族に言われることが多かったんです。加えて母の過干渉もあり、15歳の頃、摂食障害の傾向が出始めました。

でも、修学旅行の集合写真などを何枚も見ていると「あれっ? 私って流行の顔ではないけど、客観的に見ると美人と言われるタイプじゃないの?」と気づいたんです。

そこから、「公認の美人」と言われるアナウンサーになれば見た目のコンプレックスから解放されるかと思い、試験を受けてなんとか1000人に1人と言われるアナウンサーの職に就けました。

――では、それ以降は見た目コンプレックスが落ち着いたと。

小島:それが、アナウンサーになった後のほうがひどくなってしまって。当時はネットなどはないので視聴者から「あの女子アナは顔がくどい」「背が高すぎる」「表情が生意気だ」などの中傷FAXが届くんです。スタッフさんからも冗談でしょうけど、「お前は顔がでかいから少し後ろに立ちなよ」なんて言われちゃう。もともと容姿に自信がなかったので、その一つひとつが刺さってしまいました。

そして、ますます過食嘔吐がひどくなり、顔はパンパンにむくみ、それでまた「顔がでかい」と言われてしまい負のサイクルに……。

不安障害や摂食障害に悩むなか、ラジオが心の支えに

――当時はまだ、摂食障害の認知度も低かったですよね。


病気だと知らなかったので、病院にも行っていませんでした(撮影:今井康一)

小島:病気だと知らなかったので、病院にも行っていませんでした。食べたものを吐くなんて、恥ずかしい癖だと思っていました。その後結婚し、出産をしたら育児が忙しすぎて摂食障害はおさまりました。ただ、2人目を生んだとき、体力や免疫力が落ちてしまい、そんなタイミングで家族の問題が発生して今度は不安障害に……。

――今はだいぶ落ち着いてらっしゃるんですか?

小島:はい。もう13年経ちますが、ほぼ寛解している状態です。発症後すぐに通院し、投薬治療とカウンセリングを続けたらなんとか落ち着き、10年以上かけて回復してきました。

――小島さんが苦しんでいた時代は、まだ精神障害に対する偏見があったり、もちろん発達障害という概念も知られていなかったりした頃ですよね。そんな中で、どう乗り越えてこられたのでしょうか。

小島:ラジオが1つの大きな支えになっていたと思います。ラジオって、闘病中の人やうつ病で会社を休んでいる方など、いろんな方が聴いてくださっているんです。ラジオだから自分の悩みを打ち明けられるというリスナーもいました。身近な人にも話せないような話も、ラジオへの投稿なら打ち明けられるんですね。

つらい思いをしている人がこんなにいるのなら、何も隠す必要はないなと感じ、不安障害についてはラジオで自然と話すようになりました。でも、摂食障害について話せるようになったのは、それから2〜3年経ってからですね。自分の中で「食べ吐き」という行為がすごく恥ずかしかったんです。「そんなのただの食いしん坊じゃん」って思われそうで。

ラジオでリスナーと接することは私にとって他者の語りに触れることでした。そうすると、だんだん自分が受け入れられているような気持ちになってきて、自分の痛みがそこにあってもいいような気がしてきたんです。だから、ラジオにはとても感謝しています。

DVは絶対にいけないけど、気持ちがわかる自分がいた

――東洋経済オンラインの読者には男性が多いのですが、男性にとって自分の痛みや弱みを認めることは苦しいことだと思うんです。そのあたり、どうすれば楽になると小島さんは考えますか?

小島:男性は、もともと働くのが当たり前という社会で生きています。それってかなり厳しいと思うんです。学校を出たら働くことが決まっていて、出世もしなきゃいけなくて、何ならカミさんと子どもも養え、という価値観に縛られています。


私は一家の大黒柱ですが、一家を養うってプレッシャーで逃げたいときもあります(撮影:今井康一)

一方、女性には働いたり仕事を辞めたり、出産をしたり、ほかにもいくつか道があって正解がありません。だからこそ、どれを選べばいいのかという悩みも生まれてしまうのですが。でも、男性は「働く」という選択肢しかない。それ以外の道が許されないのは恐怖ですよね。

私は今、一家の大黒柱をしていますが、やはり一家を養うってすごいプレッシャーで逃げたい。自分が女として育ってきたので、男は強者だと思いこんで、おじさんはいじったり、けなしてたりしてもいいし、何なら女は男を少し邪険に扱うくらいがオシャレだと思っていました。

でも、彼らはそれに「トホホ」と頭にネクタイを巻きながら耐えていたわけです。それができない人はDV(家庭内暴力)に走る。もちろん、DVは絶対やっちゃいけないし、やる人は許せない。けれど、DVをしたくなる人の気持ちがわかってしまう自分がいたんです。

だって私、こんな必死な思いをして大黒柱として働いているのに、もし息子たちに「臭いからあっち行けよババア」なんて言われたり、夫に「見た目が劣化したね」とか「もっと稼げないの?」とか言われたら椅子投げそうです(笑)。でもそれをやるとDVだからダメ。

昔は新橋のSL広場でウィ〜って酔っ払っているサラリーマンを嘲笑していましたが、今はもう、SL広場でフリーハグしたいくらい彼らの気持ちがわかります(笑)。


これからは男性だって気軽に弱音を吐ける環境を作っていかなければならないと思います(撮影:今井康一)

――男性はどのようにしてプレッシャーやストレスを解消しているのでしょうか。

小島:喫煙したり赤提灯に寄ったり、キャバクラに行ったりギャンブルをやったりする人もいるでしょうね。繰り返しますが、DVは仕方がない、という話ではありません。ただ、そういう逃げ場のないところに男たちが追いやられていたことに、私自身あまり気づいていませんでした。

「男を甘やかすな」「男は生まれたときから下駄を履いているんだ」と言う人もいるかもしれませんが、何も自分で選んで履いたわけではなく、気づいたら履いていたのに「お前、下駄を履きやがって」といきなり殴られるのは理不尽じゃないかと。今後、男の人が気楽に弱音を吐ける環境を作っていかないといけないと思います。これは、男も女も同じです。

――20代・30代前半の男性はデートが割り勘だったり、わりと従来の「男らしさ」にとらわれず、柔軟な対応ができていたりする気がします。でも、やはりロスジェネ世代は生きづらさが残っていそうです。

小島:私とほぼ同世代、ロスジェネ世代がいちばんキツいのではないでしょうか。それよりもっと下の世代、今の20代から30代前半くらいの人は、ジェンダーについての知識があるのはいいのですが、逆の意味で「男の呪縛」にかかっている男性もいます。自分の一挙手一投足がすべてマッチョなのではないかと、マッチョ恐怖症のようになっている人もいて。合意の上の性行為であっても、もしかしたら男である自分は女性にひどいことをしていることになるのではないかと、考えすぎている人もいました。

弱音を吐くことは技術

――中高年男性も弱音を吐ければいいと思いますが、きっとプライドもありますし、なかなか難しそうですよね。

小島:プライドもあるかもしれないし、弱音を吐くことは技術だと思っています。私も弱音を吐くのは苦手でした。弱音を吐くのには、吐いてもいいという「赦し」が必要です。私の場合、赦しを与えてくれたのはカウンセラーさんでした。カウンセラーさんが「あなたは苦しんでいい」と言ってくれた瞬間に、何か憑き物が落ちた感覚に陥りました。「やった。苦しんでいいの?」みたいな。

でも、苦しい自分をどう伝えればいいのかわからないのが次の関門です。これは医師であり当事者研究をされている熊谷晋一郎さんが仰ったことが印象に残っているのですが、「他者の語りを聞く」ということが大切なのだと思います。誰かが一人称で苦しみについて語るのを聞いているうちに「自分だって自分の物語を語っていいのではないか」と思えてくるという経験は私にもあるので。特に男性は、男性の話がやっぱり染みますよね。

男性が「この人の言うことなら聞こう」と思えるような著名人が一人称語りを始めたときに、「俺の物語も話してもいいのかな」と救われる男性が現れる気がします。