田中角栄が「盟友」の大平正芳にチエをつけた史上初の昭和55年6月の衆参ダブル選挙は、田中の思惑通り自民党が圧勝した。しかし、大平はこの選挙期間中に心筋梗塞を発症して急死、選挙後の後継は大平派の大番頭、鈴木善幸であった。
 その鈴木を強く推したのは「闇将軍」の田中だったが、そもそも総理・総裁になる気のなかった鈴木は政策推進を何ら発揮できず、田中いわくの「早く芝居の幕を上げないと客は帰ってしまうぞ」との“不興”を買った揚げ句、自ら次の総選挙で不出馬を決めてしまった。その鈴木の後釜には、やはり田中の推挽を得て、昭和57年11月、中曽根康弘が座ることになった。このあたりの経緯については、すでに前回記している通りである。

 さて、その中曽根政権が1年ほど経過した昭和58年10月12日、田中にロッキード事件の6年8カ月以上に及ぶ長い裁判の一審判決が出た。懲役4年の実刑、追徴金5億円であった。
 この日、保釈手続きとともに東京地裁から目白の自宅に戻った田中は、何人かの田中派議員を前にオールド・パーの濃い水割りをあおり、顔を真っ赤にして怒り狂った。それから3日後、自らの事務所に現われた田中はなおイライラを隠さず、秘書にして愛人の佐藤昭子にこうブチまけた。
 「バカな判決だッ。(罪にならぬことを約束した)嘱託尋問で聞いたコーチャンの証言ばかり取り上げられている。こんなことでは、誰だって犯人にされてしまう。この裁判には、日本国総理大臣という尊厳もかかっている。冤罪を晴らせなかったら、オレは死んでも死に切れない。百年戦争になってもオレは戦うッ」

 しかし、一審の実刑判決による世論の反発は凄まじく、中曽根首相は総選挙で「国民に信を問う」ことを迫られた。一時は、与野党から田中への議員辞職勧告決議案提出が取り沙汰されたが、田中はこれを断固拒否、中曽根は総選挙を選択するより術がなかった。
 昭和58年12月18日投開票のこの選挙は、「ロッキード選挙」と呼ばれたのだった。
 この選挙では自民党は世論の厳しい声を背に惨敗、しかし、田中はメディアの大苦戦予測を裏切る形でトップ当選、有効投票の実に47%、22万761票というとてつもない“お化け票”を獲得した。田中は周囲の心配をよそに投票日の4、5日前にはすでに「22万票取れる」と豪語、実際の獲得数とはわずか761票差だったことで、まさに「選挙の神様」を実証した形だった。また、これまで田中から受けた数々の“恩恵”に対し、選挙民の“報恩”ということでもあったのである。

 ちなみに、この選挙には当時、参院議員だった作家の野坂昭如が「打倒金権政治」を掲げて田中の選挙区(旧・新潟3区)から出馬、2万8000票で次点落選した。その敵である野坂に、あえて「塩」を送った田中のこんなエピソードが残っている。
 「田中は野坂が新潟の冬の寒さを知らないだろうという配慮から、手袋などの防寒具を贈っていた。田中の選挙の余裕を見る一方で、“人間力”もまた見たということです。野坂は選挙戦で『打倒金権政治』はブチ上げてはいたが、田中個人の名前を執拗に挙げることはなかった」(当時の選挙戦を取材した地元記者)

 この総選挙の自民党敗北から1週間が経った日、敗北の責任を迫られた苦境の中曽根首相は「いわゆる田中氏の政治的影響を一切排除する」とする“田中排除声明文”を発表した。
 ところがこの声明文、何と筆を取ったのが田中の腹心の二階堂進幹事長であったことが明らかになった。そしてこのことは、間もなくの田中派瓦解へ向けての幕を開けることになったのだった。

 “田中排除声明文”から約10カ月後の昭和59年10月、もともと田中の影響力を受ける中曽根の政治手法をよしとしなかった鈴木善幸前首相や福田赳夫元首相らが突然、公明、民社両党を巻き込み、二階堂副総裁を首相として担ぎ上げる「連合政権構想」を打ち出した。二階堂としては自らが首相となるこうした連合政権となれば、自民党内、あるいは世論の反発から、ひいては田中と田中派を守れるとの意識があったようだ。
 ところが、この「二階堂擁立劇」は実を結ばなかった。田中派の小沢一郎(現・自由党代表)ら若手を中心に、先の“声明文”の張本人であることなどから、二階堂への不信感が根強かったことが大きかった。しかし、最終的には、田中と二階堂がサシで話し合い、二階堂が擁立劇に乗らないことで一応の決着を見たということだった。この話し合いの後、田中は言った。
 「オレと二階堂は夫婦みたいなもの。たまにケンカもするが、何でも言い合えば後はスッキリしたものだ」

 田中は二階堂を制することには成功したが、また新たな“難題”が持ち上がっていた。もう1人の田中派幹部、竹下登が動き始めていたのであった。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。