元SKE48のメンバーで、新たなグループでのアイドルデビューが決まっていた鈴木愛來(さら)さん(19)。しかし、2026年1月24日。電車内で立っていられないほどに体調が悪化し、後日「脳こうそく」だと発覚。ファンも待ち望んでいた再びのアイドルデビューは幻となり、闘病生活がはじまった。

【衝撃画像】「注射の跡が23箇所も残り、身体にアザがたくさんできた」“頭を開く”壮絶手術で、頭に傷が残った鈴木愛來さん19歳を写真で見る

 19歳という若さで、まさか自分が脳こうそくに「なるわけない」と思っていたと振り返る鈴木さんに、発症から入院までの過程、入院中の複雑な心境などを聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)


鈴木愛來さん ©榎本麻美/文藝春秋

◆◆◆

出演イベント帰りの電車内で立っていられないほどの体調不良に

――1月24日、仕事として出演したイベント帰りの電車内で、急に体調が悪くなったそうですね。

鈴木愛來さん(以下、鈴木) その日は、混雑した電車内で、急に具合が悪くなってきて。視界がグラグラして、手すりにつかまっても立っていられないぐらいでした。その状態からうずくまってしまい、10分ほど、身動きが取れなかったです。

 声も出せないし、顔も上げられないほどの私を心配して、声をかけてくださった方もいました。2駅分ぐらいはそのままだったと思います。

 ようやく身体を動かせるようになったタイミングで、お母さんに「貧血かもしれない」と連絡をして、迎えに来てもらいました。

――迎えに来てくださったお母さんも、だいぶ心配していたのではないですか?

鈴木 そうですね。帰り道では「病院に行ったほうがいいんじゃない?」と言われていたんですけど、翌日には撮影のお仕事があったので、(病院は)無理だなと思ったんです。

 電車で倒れた日からしばらくは、頭痛薬でしのぎながら、仕事をしていました。

経験したことのないような頭痛が続き、耐えきれなくて吐いてしまい…

――でも毎日、体調はすぐれなかったんですね。

鈴木 37.2度の微熱が、ずっと続いていました。経験したことのないような頭痛もずっと続いていて、吐き気もあり、耐えきれなくて吐いてしまったこともありました。手がしびれていることもあったんです。

 気になってネットで症状を調べたら「脳卒中」という結果が出てきたんですけど、若い子がなるとは書いていなかったし、自分が「なるわけない」とすら思ってたので、両親はずっと「病院に行ってみたら?」と言ってくれていたんですけど、無理をして仕事に行っていました。

――発症から10日後にようやく病院に行ったそうですが、きっかけがあったんですか?

鈴木 病院へ行くまでの期間がちょうど、新しく加入したグループのお披露目を控えていた時期だったんです。

 自宅でダンスの練習をしていたら、息が上がって気持ち悪くなり、倒れ込むような状態になってしまって。明らかにおかしかったので、病院に行こうと決めました。

医者から「脳こうそくが見つかりました」と言われ、即日入院に

――病院へ行った当日について詳しく教えてください。

鈴木 まず、病院へ行く前にお母さんがこれまでのことと一緒に「娘は手にしびれがあるようで」と、電話であらかじめ伝えてくれたんです。なので、病院では内科などには行かず、最初から脳外科の診察を受けました。

 そして、先生にその日までの症状を説明したら「詳しく検査した方がいい」と言われて、MRI検査を受けました。

 検査後に看護師さんが車椅子を持ってきてくれたので、私もお母さんも「あれっ?」となって。車椅子に乗って診察室へ入ったら、先生に「脳こうそくが見つかりました」と言われました。

――その後すぐ、入院となったんですね。

鈴木 はい。診察室から、車椅子でSCUの個室(脳卒中集中治療室)に運ばれました。けっこうバタバタしていて、お母さんとは診察室で別々になってしまったんです。

 SCUには脈拍などを表示するモニター、見守り用の監視カメラも付いていて、看護師さんが常に状態を把握してくださっている環境でした。

「あ、自分って今ヤバい状況なんだ」入院中に涙を流した理由

――いわゆる閉鎖的な空間だったんでしょうか?

鈴木 ベッドから少し離れた場所には窓がありました。でも、腕には点滴を付けられているし、脈拍などを測るモニターも付いていたし、1人では立ち上がれなかったので、窓の外は見に行けなかったですね。

――どのような入院生活を送っていたんでしょう?

鈴木 最初の5日ほどは、点滴を打つだけの生活でした。種類は様々で、血流を増やす薬や、ストレスによって血管が縮まるのを防ぐための薬も打っていたと聞きました。だから、入院中は改造人間みたいな感覚でした。

 その後、頭痛などの症状がやわらいできた頃に、リハビリがはじまって。毎日、脳こうそくが悪化していないかどうかの検査と診察の合間に、1日3回、リハビリがありました。

――入院中には毎晩、悪夢を見ていたそうですね。

鈴木 はい。退院後も、2週間ほどは見ていました。私がどこかで迷っている夢で、場所は毎回違うんですけど、最後は絶対に自分が倒れて死んでしまうんです。見るたびに起きたら汗だくで「またか」と思っていました。

 夜中になると、色々と考えてしまうんです。日中は、先生や看護師さん、リハビリの先生、それから、家族もお見舞いに来てくれるので寂しくはなかったんですけど、夜中は孤独だし、ふと「あ、自分って今ヤバい状況なんだ」と考えてしまって、自然と涙も出てきました。

「こんなに人ってあっけなく死んじゃうのかな」

――涙を流しながら、何を考えていたんでしょう?

鈴木 アイドルはもう難しいという状況になってしまって。それがすごくショックで。先生とも相談した結果、今は治療に専念するべきだという結論に至ったんです。

 でも、私にとって一番やりたかったのはアイドルだったし、「いつ治るか分からない」という不安と、「いつまでこれが続くんだろう」という不安も頭をよぎっていました。

 それに当時は、ファンのみなさんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

――その気持ちを、わずかでも吐き出す機会はあったんですか?

鈴木 なかったですね。入院中は、自分の中に溜め込んでいました。常に死がそばにある感覚だったし「こんなに人ってあっけなく死んじゃうのかな……」とも思っていました。

撮影=榎本麻美/文藝春秋

「想像の10倍大変だった」「頭から血を抜いて…」19歳で“脳梗塞”発覚→“頭を開く”壮絶な手術…元SKE48・鈴木愛來が語る、過酷な闘病生活〉へ続く

(カネコシュウヘイ)