「なんで聴こえない子に産んだの?」小4で限界を迎え、母に一度だけぶつけた言葉…難聴うさぎ(31)が明かす、“少女漫画を読んで絶望した”思春期の葛藤
〈初めて声を出してバズった動画に「声がヘン」というコメントが…それを逆手に取った総フォロワー86万人のインフルエンサー・難聴うさぎ(31)が語った転機〉から続く
今では明るく難聴について発信する難聴うさぎさん。しかし子ども時代は、自分の障がいを周囲に認識されることを避けていました。その心境を変えたきっかけは……インタビューの第2回は思春期の葛藤や悩み、そして人生の転機についてうかがいます。
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難聴うさぎさん ©文藝春秋 撮影・細田忠
小学生時代の記憶に残る「嫌だった言葉」
――学生時代、聴こえないことで一番苦労したことは何でしょうか。
難聴うさぎさん(以下、うさぎ) 英語の授業が全く分からなかったです。あとはオーディオプレイヤーを使った、国語の聴き取りテスト。生身の人の声なら口の動きで分かるけど、機械の声は分からない。あとは、チャイムや校内放送も分からなかったです。
――学生の頃、言われて嫌だった言葉はありますか?
うさぎ 小学校1年生で「耳が遠いからおばあちゃん」って言われたことですね。
でも「おばあちゃん」って呼ばれても「聴こえないからわからない」というフリをしてやり過ごしました。
――強いですね。幼い頃から積極的な性格だったんですか?
うさぎ けっこう積極的な方だったかもしれないです。母が「あなただったら何でもできるわよ」と楽観的だったし、家族からも「聴こえないから無理」と言われるようなことがなかったからかもしれません。電話ですら、ワンコールの合図を送りあう方法を編み出して「わたしにも使える」と感じていました。
左足の手術と斜視
――子ども時代に左足の手術もされてるそうですが。
うさぎ 小学校1年生のときに左足を伸ばす手術を受けました。生まれつき左右差があったので、左足の骨を切って、骨と骨の間に強制的に新しい骨を作るんです。それでまる1年間はギプス生活でした。
――斜視の手術もされているんですね。
うさぎ 斜視は手術をしたけど治らなくて。もう1回手術することになったんですけど、 2回目の手術では当日の朝に、なぜか突然治っていて中止になりました(笑)。でもその後も時々、球技をやっているとボールが2つ飛んできたり、目の前のペットボトルが2つあるように見えたりして。
ただそれも2つを1つにするように、頑張って見え方をコントロールしていたら、7、8年かけて2つに見えることもなくなりました。
「彼氏なんてできないと思っていた」中学時代
――思春期の恋愛で大変だったことってありますか。
うさぎ 私は少女漫画が好きで「ちゃお」「りぼん」「なかよし」あたりを読んでいたんですけど、 当時の少女漫画には聴こえない主人公が全く登場しなかったんです。出てくる全員が聴こえてる前提のストーリーだから「世界って聴こえる人ばかりなんだな。でも自分は聴こえないし……」と、コンプレックスを抱いてしまった。
中学時代はめちゃくちゃ恋愛したかったけど、「聴こえないから彼氏なんてできないだろうな」って思い込んでました。中学3年生までは、クラスメイトにも聴こえないことについて「触れないでほしい」という感じに振る舞っていて、先生から「この子は難聴だから」と説明してもらっていました。
でも高校からは、聴こえないことをまわりに言えるようになりました。それで高校1年生のときに、初めて彼氏ができて。聴こえないことを知ったうえで、私を好きになってくれたから、「聴こえなくてもいいんだ」という自信が持てました。とはいえ、相手の話を全部は聴き取れなくて。当時は、それを「申し訳ないな」と思う気持ちはけっこう強かったです。
人生を変えた“人権作文”の発表
――難聴であることを同級生に言えるようになったきっかけは、何だったのでしょうか。
うさぎ 中学3年生のときに学校の課題で「人権作文」というのを書くことになって、私は自分の難聴のことについて書いたんです。ずっと言えなかったことを全部、その作文に思いのままに。そもそも宿題で提出しなければいけない課題だったから書いたんですけど。
そうしたら国語の先生に「あなたの作文がクラスで一番よかったから、全校生徒の前で読んでほしい」って言われて。「えっ、読むの?!」って(笑)。
耳のことは、今まで自分から言わなかったし、 クラスメイトのみんなもあえて触れないでくれた。でも卒業したら進む高校もみんなバラバラで、きっともう会うこともないし「全部オープンにしてバイバイしよう」「友だちを失うことになっても仕方ない」みたいな覚悟を決めて、全校生徒の前で読みました。
でも読み終えたら、みんなが「よかったよ」って受け入れてくれて。「 教えてくれてありがとう」って言ってくれた子もいて「なんだ、早く言えばよかったんだ」「伝えることって大事なんだな」と気づいたんです。これが私の中で一番の「人生が変わった瞬間」だったかもしれません。
――具体的に、どんな作文だったのでしょうか。
うさぎ 「聴こえない自分がすごく嫌だ」という内容で、 母に「なんで聴こえない子に産んだの?」って言ってしまったことも書きました。言っちゃいけない言葉だって分かっていたから、母に言ってしまったのは1回だけ。ダメだってわかっていたけど、ある日、限界が来て、わーっとなったときに言ってしまった。小学4年生のときでした。
――どんなふうに限界だったのでしょう。
うさぎ 七夕の短冊でも「聴こえるようになりますように」って書くぐらい、想いが溜まっていて。少女漫画みたいな恋をしたくてもできない、好きな人がいても、その人が何て言ってるか分からない。そういういろいろなストレスで。
――いじめられたエピソードも書きましたか。
うさぎ そういうことは書きませんでした。いじめとか嫌がらせは、自分の人生の中には含めないようにしているので。だから、 友だちが優しかったことや、英語の先生が英検を受けるときにわざわざ英検協会に電話して、 リーディングをスピーカーじゃなくて、口の動きでわかるように手配してくれた、といった感謝のエピソードを書きました。
読唇術と手話
――口の動きを読み取る「読唇術」というのはどうやって覚えるんでしょうか?
うさぎ まず聾学校で、発音するときの舌や唇の位置を細かく的確に教わって、自分で声を出す練習をしました。それから、教えてくれる先生の口の動きをよく観察する。そうやって、自然と身についたのだと思います。
――聾学校は小学校まで通ったんですか?
うさぎ 聾学校の幼稚部には入りましたが、その後の小学校・中学校は普通学校へ行き、話す練習や聴力検査のために、聾学校に定期的に通っていました。
――小学校から聴こえる子たちと同じ条件で授業を受けてたんですね。聾学校では手話も教えてくれるんですか?
うさぎ いえ、小さい頃に指文字だけ覚えましたけど、手話はのちのち世界一周の旅をしたとき、船の中で手話教室を開いてもらって覚えました。「聴こえないから手話ができる」と勘違いされやすいんですけど、意外と聴こえない人で手話ができない人っていっぱいいるんです。
私が聾学校に通っていたのは、おそらく手話が認められる直前だったと思います。手話を使うことについて、とても厳しかった時期というのがあって、ちょっと手話で話しただけでクビになった先生もいました。おそらく2000年以降の私よりあとの世代から、手話の使用が認められるようになったんだと思います(※)。
――なぜそんなに手話を使うことに厳しかったんでしょう?
うさぎ うーん、聴こえる人に合わせないといけない時代だったのかな?
――口話ができたら、その方がいいみたいな感じ?
うさぎ それが現実的な場合もあります。私の父や母や妹、祖父や祖母、親戚も全員聴こえる人だったので、やっぱり口話の方がみんなに合わせて会話しやすかったです。
「昔より孤独感はない」ワケ
――「聴こえるのが当たり前」みたいに社会が動いていると感じますか。
うさぎ 子どもの頃は、けっこう感じてたかもしれないです。でも今は多様性の時代だから「私だけじゃないんだ」という感覚を強く感じますね。特に東京は人が多いですし。昔より孤独感はないです。
例えば、東京に出てきて電車が止まったことがあって。何があったのか分からなくて戸惑ったけれど、そのときはツイッターを開いて調べたら、何があったかすぐわかりました。そういうツールがあるので、今ではとても便利になったと思います。
※2011年の「障害者基本法」改正により、日本で初めて手話が言語として法律に明記された。
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難聴うさぎさんが発信を続ける背景にあったのは「障がいをコンプレックスに感じていた過去」でした。自分のことを語る勇気が、周囲の理解だけでなく、彼女自身の人生そのものを変えていったように思えます。(第3回へつづく)
〈「文字が浮かぶメガネはまるでSF」難聴うさぎ(31)が広める驚きの最新技術…そして「結婚もしたい」と語る現在地〉へ続く
(市川 はるひ)
