鈴木彩艶

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 やはり「王国」の壁は厚かった。W杯決勝トーナメントへと進んだ日本代表は、6月30日未明(日本時間)にブラジルと対戦。逆転負けを喫し、5度目の挑戦となった1回戦突破は4年後へ持ち越しに。それでも“収穫”は多く、総じて「あっぱれ」だったとはいえまいか。

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 佐野海舟の豪快なミドルシュートで先制し、鈴木彩艶(ざいおん)が好セーブを連発したものの、牙をむいた「カナリア軍団」は一枚上手だった。とはいえ、1対2のスコアの裏には、代表の着実な“進化”があったという。

 スポーツライターの大塚一樹氏が試合を振り返る。

「前半は日本の守備が機能していましたが、全体を通じて実力差以上にブラジルの圧を感じてしまった印象です。慌てなくていい場面で慌てたり、自陣からつなぎたいところを簡単に蹴ってしまったりするシーンが目立ちました。これまでの3試合と比べ、主体的にプレーする時間が少なかったです」

鈴木彩艶

 それでも試合後、森保一監督(57)は、こう明言したのだった。

〈日本サッカーは間違いなくレベルが上がってきている〉――。

 現地・米国で取材するサッカージャーナリストの元川悦子氏が言う。

「その最たる要因は“国際経験値”の積み重ねです。上田綺世(あやせ)選手は、かつてフェイエノールトやオランダ代表の点取り屋だったファンペルシー監督(昨季限りで退任)の信頼を得てオランダリーグ得点王になり、鎌田大地選手はフランクフルトでヨーロッパリーグを制し、現在のクリスタル・パレスでFAカップとカンファレンスリーグで優勝。こうした経験は、今大会に生かされています」

“今は日本人の選手を獲りたい”

 またスポーツ紙デスクも、

「2018年のW杯ロシア大会までは、主力選手はJリーグで活躍して代表に選ばれ、その実績を引っ提げて海外へ移籍する流れが一般的でした。それが今は逆で、代表に入りたければ、まず海外へ出るべきだという流れです。大学を休んで渡欧した塩貝健人や、高校生ながらジュビロ磐田でプレーし、大学に進まず海外へ移籍した後藤啓介がその好例。早い段階から海外のスタンダードに慣れることで自信も身に付き、代表全体の底上げにつながっていったのです」

 無論、誰もが海外クラブでプレーできるわけではない。そこには先人たちの“実績”もあるといい、

「象徴的なのは堂安律です。彼がブンデスリーガのフライブルクで成功し、クラブはその後、日本人を積極的に獲得するようになりました。単に技術だけでなく、運動量や守備への献身性が重視されるのが現代サッカーのトレンド。その中で規律を守り、走ることをいとわない日本人選手は魅力的に映る。フライブルクの補強責任者も“以前は南米の選手に目を向けていたが、今は日本人を獲りたい”と話していました。実際に堂安の後、鈴木唯人や山本理仁、後藤が次々と加わっています」(同)

「晩熟型」を見落とさず

 才能を開花させる過程で重要な育成システムも、日本では独特の進化を遂げてきたという。

「まず日本サッカー協会が優秀な選手を発掘して育成するための『トレセン制度』で、全国の小中学生世代の有望選手を漏らさず見つける情報網ができました」

 とは、前出の大塚氏。

「その後、Jリーグ設立によってジュニアユースやユースなどの下部組織、つまり部活以外の選択肢が大きく広がります。欧州ならばプロクラブの育成組織一択のところ、日本は高校サッカーの人気もあり部活も共存した。結果、クラブユースと高校サッカーという2本柱が各々の特長を生かして選手を輩出する独自の育成文化ができたのです」(同)

 11年には、強豪高校やクラブユースチームが年間を通じて戦う「高円宮杯プレミアリーグ」も設立。さらに、大学サッカーという選択肢もある。

「『職業としてのサッカー』が定着している欧州では、10代前半からプロになれるかどうかの“足切り”が始まり、17歳前後でしかるべきカテゴリーにいないと上に進めない明確な選別がある。一方で日本人選手は、大学卒業後に芽が出る『晩熟型』の活躍も目立ちます。多様なキャリアパスがあることで、才能を見落とさないようにするシステムが機能しているのです」(同)

飛躍する選手たちの拠点となっているチーム

 そして現在、飛躍していく選手らの一大拠点となっているのが、ベルギー1部リーグの「シント=トロイデン」である。

「17年に日本の『DMM.com』が経営権を取得。以来、日本人選手の欧州でのステップアップに寄与してきました」(前出のデスク)

 今回の代表では、谷口彰悟と後藤が在籍。また過去には冨安健洋や遠藤航、鎌田、中村敬斗や鈴木彩艶も所属していた。ベルギーリーグは外国人枠の制限がないため出場機会が得やすく、

「サガン鳥栖からフランクフルトへ移籍した鎌田は、当初は思うように出場機会が得られなかった。そこでシント=トロイデンにレンタル移籍し、プレースタイルを見つめ直したのです。当時は冨安や遠藤が在籍していたことも大きかったでしょう。また中村も一度オランダリーグで苦戦しましたが、このクラブで自信を取り戻し、その後オーストリアへ渡って現在の活躍につながっている。つまり“再出発の場所”でもあるわけです」(サッカーデータアナリストの佐藤祐一氏)

 さて、4年後へ向けた戦いはすでに始まっている。先のデスクが言う。

「さらに上を目指すには、ブラジルのヴィニシウスのような世界最高のアタッカーを、一対一である程度抑えられる選手を育てなければなりません」

 ハードルは、なお高いのだ。

「週刊新潮」2026年7月9日号 掲載