『アニメ大先生』第29回八木美佐子/書:八木美佐子

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人生に迷ったとき、元気がほしいとき、あるいは自分の限界に直面して立ち止まりそうになるとき――そのような瞬間にそっと寄り添い、再び前を向く力をくれる存在がアニメである。アニメには人生のヒントや生きる力が詰まっている。コラム『アニメ大先生』は、「人生で大切なことはすべてアニメが教えてくれる」をテーマに、アニメを通じて得られる学びや気づきを綴る連載である。

連載第29回は、八木美佐子アナ(出演24回目)が、お疲れ気味の中年サラリーマンと一風変わった女性の交流を描くアニメ『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』をピックアップ。コンビニの白湯から広がる「大人の背伸び」の記憶、そして非喫煙者である彼女が惹かれた、喫煙所という閉じられた空間が持つ不思議な結びつきと親密さを紐解きます。会議室やデスクでは言えない本音が、煙とともに溶け出す「タバコ休憩」の文化。せわしない日常の中で、一瞬にして距離が縮まる「大人の居場所」の眩しさに優しく寄り添う、味わい深いコラムです。

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◆『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』が描く大人の居場所が眩しい理由

最近、仕事に向かう前にコンビニへ寄ることが増えました。

真夏日に近い 暑さの日が増えてきたからか、電車の冷房がかなり効いていることがあります。『カイジ』なら、乗った瞬間に「キンキンに冷えてやがる……!!」と叫ぶくらい冷たい。個人的な体感では、ほぼ冷蔵庫です。

そんな時、私はコンビニの「あったか〜い」コーナーに直行します。最近は、白湯(さゆ)が輝いて見えます。身体がじんわりと温まる白湯は本当に最高です。白湯の良さがわかるようになるなんて、大人になったな……としみじみしていたら、「10代はコンビニで水をよく買う」というアンケートを見て、最近の若い世代の健康志向に驚きました。ちなみに、私はリプトンの紙パック紅茶500mlをストローで飲むのがかっこいいと思っていました。青春の味です。
今思えば、子どもなりにストローで大人の仕草を真似していたのでしょう。あの紙パックをくわえていた時間は、子どもなりに”大人になった気分”を味わう時間だったのかもしれません。

アニメや漫画の中でタバコを吸うキャラクターは、どこかかっこよく描かれることがあります。例えば、『ルパン三世』の次元大介。タバコを吸う姿には、大人の余裕を感じさせる、気だるい色気があります。
とはいえ、私は喫煙者ではありません。社会人になって、憧れるようになったのは「タバコ休憩」という文化です。仕事の途中に一度その場から離れられること。そして、喫煙所という閉じられた空間でしか生まれない会話があるように思うのです。

これはあくまで私の体感ですが、放送局で働く人の喫煙率は高い。オンエア終わり、取材の合間、編集の途中。誰かが「一服してきます」と言って席を立つと、また誰かがそれを追うように席を立つ。そんな光景を何度も見てきました。
喫煙室の会話には、煙とともに秘匿性や親密さが漂っている気がします。会議室では話せないこと、デスクでは言えない本音が、きっとあったはずです。
喫煙所に集まる人たちには、「タバコを吸う」という共通点があります。私の勝手な印象かもしれませんが、それは日常における「同じ地元」のような結びつきです。たまたまそこに居合わせただけなのに、共通点があるだけで一瞬にして距離が縮まる不思議な引力があるのです。

なぜタバコ休憩は許されるのでしょうか。「少しグミを噛んできます」では、「その場で噛むべし!」と言われそうなのに。

アニメ『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』の主人公・佐々木は、仕事に疲れた中年サラリーマンです。彼の日々の癒やしは、行きつけのスーパーSの2番レジで働く山田さんのにこやかな接客と、スーパーの裏で出会う田山さんと吸う、タバコです。

2番レジに立つ山田さんの笑顔は、疲れた心を救う憧れの存在であり、できれば自分のくたびれた部分を見せたくない相手でもあります。一方で、スーパーの裏で出会う田山さんには、煙草を吸いながら、少し情けない自分の話もこぼせてしまう。この「表と裏」の構図がとても良いのです。

佐々木は田山さんのことをよく知りません。だからこそ、近すぎない距離の中でいろいろなことを話せるし、田山さんもまた、普段の接客スマイルの裏にある「素の自分」を少しだけ見せられるのです。なんて羨ましい関係なのでしょう。

お互いに鎧を少しずつ脱げるような関係の尊さを画面越しに眺めながら、ふと考えてしまいます。私は、社会的な肩書を脱いだ姿をどれだけの人に見せられるでしょうか。

ここで思い出したのが、『けいおん!』に代表されるような「放課後」という時間。部室に集まって、お茶を飲んで、楽器を弾いて、くだらない話をする。あのどこまでも愛おしい空間は、まさしく私たちが憧れたサードプレイスそのものでした。

『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』が提示するサードプレイスは、その系譜の「成人版」なのだと思います。かつて放課後の部室に憧れていた私たちの、地続きにある未来。社会の荒波に揉まれ、理不尽な労働に摩耗した大人が行き着いた先でありながら、どこかモラトリアムな空気が残る場所。それこそが、スーパーの裏口にある喫煙所なのかもしれません。

こうした利害関係のない時間を求めるのは、私たちが働く環境の変化も影響している気がします。
たとえ会社に自分の席があったとしても、そこが心まで休まる場所とは限りません。私は職場がフリーアドレスになった時、それはもうソワソワしました。どこに座ってもいいという自由は、一方で「定位置がない不安」にもつながります。
大人になると、心を休められる場所は与えられるものではなく、自分で見つけるものになっていくのだと学びました。

『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』は、名前のない「大人の居場所」を描いています。紫煙と一緒に消えていく何気ない言葉の中に、私たちが日々を生き抜くための小さな灯火があるのかもしれません。