断髪とパンツ-明治・大正・昭和男装の「事件簿」


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 先日、宝塚を見た。舞台に登場する超絶イケメンたちは当然ながらすべて女性で、まさに男装の麗人(リアルな男性には出すことのできない「理想の男」オーラがまぶしすぎた)。こうした宝塚は男装の代表格だが、いまどきはコスプレも一般化。男装コンカフェがいろいろできたり、男装アイドルが活躍したり、ことサブカルチャーの世界では男装は特殊なものではなくなっている。

 だが時計の針をぐるりと戻して明治の頃から昭和までの世相を見渡せば、男装は決して趣味だけとは言えない側面をもっていた。働くため、家を継ぐため、好きな女と一緒になるため――『断髪とパンツ-明治・大正・昭和 男装の「事件簿」』(平山亜佐子/中央公論新社)は、あまり語られてこなかった「市井の人がやってきた男装事情」を当時の新聞記事などから探求していく一冊だ。実は明治の初期には男装・女装の禁止令が東京府から出されるなど、男装には決意が必要だった。そうした時代において、なぜ「あえて」男装を選んだのか? その事情を知ることで当時の世相も見えてくる。

■半纏、又引き姿の魚屋の娘、洋物の付け髭をする女性も

 ところで男性と女性の服装が明確にわかれる契機となったのは明治で洋装が流入してからのこと。当時パンツは支配する男性のものだったからパンツをはけば男装で、同じく長髪が女性美とされていたから大人の女性の断髪は異形で、これも男装。そこから本書のタイトルが「断髪とパンツ」になったというが(実際にはそれだけではない事情もあったらしいが)、性自認など内面的なことは無関係に、あくまで「外見」だけで判断する世の中だったというわけだ。

 とはいえ本書に登場する男装実践者は実に多彩だ。たとえば1881年(明治14年)の新聞記事に登場する半纏に又引き、腰に三尺帯(ちょっと前の植木屋さん風)で短髪だった本芝二丁目の魚屋の娘・お秀はどうやらインターセクシュアル(男性と女性の両方の肉体的特徴を持つ人、半陰陽)。1892年(明治25年)の新聞記事に登場する「異人お鉄」は窃盗で捕まった出所後に洋物の付け髭をして男性の服装になって遊び歩いていたとか。犯罪歴を隠すためのカモフラージュかもしれないが、お鉄は偽の睾丸をつけるほどの念の入りようだったとのことでもっと深い理由があるのかも。

 なお江戸時代から男名の芸者や男名の吉原の遊女もいて、色街&エンタメの世界で男装は馴染みのあるものだったというのは今に通じるかもしれない。新橋芸者の小竹は男髷の上に黒の山高帽、着物に羽織り、眉を太く描いて、巻きタバコの男装姿で花見に登場。男装禁止令をちっとも気にしない豪快さには、庶民もお上への反抗や権威をおちょくる痛快さを感じていたようだ。ほかにも同性カップルを成立させるために一方が男性役になったり、家を存続するためだったり…本書には実にさまざまな事情の男装女性たちが登場する。

 今のようなジェンダー感がない当時は、男装や女性同士の関係は「逸脱」や「話題」、「好奇の対象」として扱われるときだけ可視化(=記事という記録に残る)される存在だった。当事者である彼女たちの肉声はなかなか残っておらずその真意を知ることはできないが、それでも彼女たちが懸命に「自分らしく」生きようとした姿はしっかり伝わってくる。今の私たちの足元に、そうしたタフな女たちの存在も連綿と続いていたのかと思うと実に感慨深い一冊だ。

文=荒井理恵