日本は“芸能人連れ”で1000人規模…97年「香港返還」で観光客より熱かった海外メディア 取材陣が殺到した“式典以外のイベント”とは
返還ツアーが高額になった理由
29年前の6月30日と7月1日、世界は香港が迎える歴史的瞬間に注目した。英国から中国への香港の主権移譲、すなわち「香港返還」である。この日に向けて、香港には世界から多種多様な人々が集まった。
【写真】英領香港の顔だった「啓徳空港」 返還の翌年、閉港を前にした内部の様子
日本でも観光客向けのツアーが多数売り出されたが、出発日までにキャンセルが相次いだという。ある大手旅行会社の幹部は当時の「週刊新潮」にこう語っている。
〈「当社は、今年(1997年)1月から『香港返還記念ツアー』を売り出しました。6月28日、29日、30日に出発し、4泊5日、歴史的瞬間の7月1日に現地に滞在できるツアーです。価格は24万円。売り出したときは凄い人気で、予約の電話が殺到し、60人の枠が瞬間的に埋まったんですよ。それが、先月(1997年5月)から大量にキャンセルが出て、現在、残っている客は半分の30名です」〉(1997年7月3日号)
別会社の3泊4日35万円のツアーも、早々の完売からキャンセル続出の流れは同様と報じている。当時の一般的な香港ツアー料金をはるかに超える金額だけに、予約時の興奮が冷めると“撤退”の流れが生まれたようだ。とはいえ、料金高騰の理由は旅行会社が利益に走ったことではなく、ホテルが提示した強気すぎる価格と条件にあった。

押し寄せた海外メディア
料金高騰を受けて観光客が及び腰になる一方、果敢に乗り込んだのは海外メディアだった。英国と香港政庁はプレスの人数を3500人と見積もっていたが、フタを開けてみれば海外メディアだけで5000人超。当時の「週刊新潮」はそのうち1300人を占めた日本が“最多”と報じた。香港駐在記者の話。
〈「テレビ局は芸能人やキャスターを連れてくるから、どこも100人の規模。新聞社は20〜30人。なんとなく僕らが気にしているのは、人数そのものより、各社が1年前からそれだけのホテルを予約したことですよ。3万円、4万円の部屋代を前払いで払っています。日本のマスコミがホテル代を釣り上げたという説さえあって、実際、そんな気がしないでもない」〉(1997年7月3日号)
日本メディアの“大盤振る舞い”は想像に難くない。この時期に香港赴任していた駐在員氏によれば、
「観光客が集まる地域はどこも大変な人出。特にメイン通りのネイザンロードはイルミネーションも派手で熱気はあるのですが、純粋な興奮ではなく言葉にできない様々な感情が交じった独特のものでした。そんな中を日本のお笑い芸人とマスコミ関係者らしき人たちが歩いていて、どういう番組になるのか不思議に思ったことを覚えています」
映画にも登場したプレスセンター
返還の当事国である英国と中国の報道陣はそれぞれ600〜700人程度だったという。さらに香港の周辺国や欧州、香港と縁が薄かったメキシコやアルゼンチン、エジプト、イスラエル、ロシアなども特派員を派遣し、海外メディアは総勢5000人超となった。これに加えて、地元の香港メディアも2500〜3000人程度という総力体制である。
会場のコンベンション・センター旧館には8000人収容のプレスセンターが設置された。この時期に撮影されたジェレミー・アイアンズ主演の映画「チャイニーズ・ボックス」では、実際のプレスセンターや外国人記者クラブ、記者たちの姿を見ることができる。
会場近くの建物は電波媒体用の仮設スタジオに様変わりした。香港民放局TVBのドキュメンタリー番組によれば、世界の100局以上が使用する中で、最高の位置に“鎮座”したのは中国の中央電視台(CCTV)。72時間のノンストップ生中継のため機材をすべて新調し、精鋭スタッフ300人を送り込むという気合いの入れようである。対して英国のBBCは2年前から場所の確保に動き、仮設スタジオも広く充実していた。
英中に並ぶ、またはそれ以上の人数といわれたのは、「香港の民主主義の今後」に強い関心を抱く米国だった。他国のメディアもこのテーマを掲げたが、たった数人の小規模ながら熱心だったのはチェコである。記者はTVBの取材に対し、1989年に共産主義を脱した自国の経験から、香港の“逆行”に国中が注目している状況を語った。
天安門事件追悼集会にメディア殺到
海外メディアは市井の取材にも積極的で、貧困層の住居や伝統行事のドラゴンボートレースなどを次々と訪れた。中でも注目されたのは、6月4日の天安門事件追悼集会である。香港メディアを合わせて800人超というプレスの数はそれまでの最多だった。一方、返還や将来に関する街頭インタビューに応じる人は少なかったという。
前述のプレスセンターには4000台の国際電話が並び、衛星送信手段を持たない電波メディアに香港島の中継局を使うルートが提供されるなど、報道を支える体制は万全。そこで盛んに報じられたのは、今後の香港では「一国二制度と高度な自治、香港人による統治、資本主義的な生活様式」が50年間維持されるという“前提”だった。
時は流れて2022年、返還25周年式典は香港と海外を含め少なくとも10人の記者が取材を拒否された。天安門事件追悼集会はその2年前から開催不能になり、現在は旧会場付近でロウソクや花を持っただけで拘束される。そんな中で迎える来年の30周年式典には、どれだけの海外メディアが集まり、どのように報じるのか。いまも世界は香港に注目している。
デイリー新潮編集部
