山形放送

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クマの出没が相次ぐ中、その抑止力となっていたのが小国町小玉川のマタギです。クマに圧力をかけることでボーダー・境界線の役割を果たしてきましたが、その境界線は失われつつあります。マタギの里で起きている時代の変化に迫ります。

飯豊連峰の山懐にあるマタギの里、小国町・小玉川。30世帯72人が暮らしています。
登山口にある民宿・奥川入は、マタギが営む宿です。
調理場に立つのは、横山隆蔵さん(62)と息子の拓さん(31)。宿の名物はクマ汁。地元でとれたクマ肉と野菜が入っていて、味噌が効いた深い味わいが魅力です。

「うまい クマは硬いからでもここのクマ汁の肉は柔らかい」

客間には、体長1.6メートルほどのクマの毛皮。15年前、隆蔵さんが仕留めました。

「小玉川で獲れたクマの皮。150キロぐらい」

隆蔵さんは、マタギの4代目として生まれ18歳でクマ狩りを始めました。

「うちの田んぼにクマが出た。今のクマはZ世代のクマと言っている。新しく進化してるから。私が30年前にお嫁に来た時はマタギがやっているのでこの辺のクマは人間が怖い生き物だと思っている。撃たれるから逃げなきゃと本能が働く。この辺のクマはやたらめったら襲うことがない」

県内でも市街地へのクマの出没が増えました。
米沢市の滑川温泉の旅館では、クマが居座る事態も…。

「時刻は午後0時半です。旅館の中に居座り駆除されたクマが運び込まれてきます」
「猟の機会・人数・山に行く人の人数が減っている。山に用事がある人が少なくなると中間的な場所人間と生き物との中間的な場所が街場に寄ってきている」

この日、マタギたちは山の神をまつる神社を訪れました。
毎年、クマ狩りの安全と豊猟を祈願してから山に入るのが習わしです。

「問題は明日きょうは午後から雨。まずは長者原に集まったら」
「人数が少ないのでどうやって獲るか。普通は二手に分かれるが分かれられないからどうしようか」

翌日、ことし初めてのクマ狩りに3人で向かいました。山を6時間歩き回り、木に登っていた体長1メートルほどのメスグマを発見。隆蔵さんが仕留めました。
最初のクマ狩りから1週間後。

「ヘッドライトとロープ類。雪の状態が年によって違う。固くてアイゼンが無いと歩けない時もあれば柔らかくて足が取られるような時も」
「去年とかおととしは帰ってきたのが夜11時半。10分おきに窓から外を眺めた。心配している口には出さないけど」

クマ狩り当日。この日は、7人のマタギが二手に分かれ山肌が見える場所に移動します。
4月上旬から下旬にかけて行われる春のクマ狩り。冬眠明けのクマが、雪の上に現れると見つけやすいため、毎年この時期に行われています。
道なき道を進むこと2時間、ここから先は、クマのすみかです。

「ブナの新芽を食べに木に登るのでブナの芽が開いている所と開いていない所の境目を見て」
「父ちゃん、あれ穴?」「シシだシシ木登りしったどうぞ」

シシとはクマのこと。

「どこの雪なんだか分からない。どこの雪か分からなければ撃てない」

この日は、取り逃がしてしまいました。

「一瞬の賭け。前は巻き狩り」

昔からクマ狩りは巻き狩りという手法で行われてきました。
勢子と呼ばれるマタギが声を出してクマを追い立て、山の上にいる鉄砲組が仕留めます。山全体に人の圧力をかけ、ここからは人の領域だと刷り込むのです。
40年前、小玉川マタギは、30人ほどいました。しかし、いまでは数が減って巻き狩りは出来なくなりました。
4月22日、今シーズン最後となる春のクマ狩りに向かうマタギたち。
雪深い山でも春が進んでいます。ブナが芽吹き、クマを見つけにくくなりました。

「獲れそう?」「難しい攻めようがない」

撃つには遠く、クマに気付かれず近づくのも難しいため、狩りを断念。

「撃てば撃てないことはないけどいい所に当たらないで無駄にするのであれば撃たない方がいい」
「信じられない1頭しかないのは。大体2、3頭獲るので少ない年でも」

マタギは、クマに圧力をかけ続けることで、境界線・ボーダーの役割を果たしてきました。
しかし、いま境界線は失われつつあります。マタギの数が減り、里山から人がいなくなってしまったからです。
すでにクマは街なかに、私たちのすぐそばにいます。