作家の韓江(ハン・ガン)氏の2024年ノーベル文学賞受賞は韓流に続いて韓国文学を世界に知らせる快挙だ。スウェーデン・アカデミーは韓江氏を「歴史的なトラウマに立ち向かい、人間の命のはかなさを暴露しながら強烈な詩的散文を書いた革新家」と評した。韓江氏は受賞に感謝しながらも、世界が戦争など騒々しい中でパーティーをする時ではないと、作家の父ハン・スンウォンを通じて伝えた。素晴らしかった。この喜びを満喫したいが、歪んだ韓国の政治はノーベル賞受賞の喜びまでも薄れさせている。

国会から見てみよう。多くの国会議員は国政監査で証人を追及し、対政府質問でも自己主張ばかりする。これは準備を徹底していないからだ。あらかじめ準備しないため相手の答弁が恐ろしく、質問自体を回避したり、むしろ答弁を封じたりする。質問と答弁で相手と共感を形成するよりも、一方的に自身の意見を貫徹させようとする。長年にわたり外国から韓国を眺めてきたユ・ホヨン氏(カンエデュケーショングループ代表)は最近の寄稿で国会議員らに優雅な政治を注文した。あたかも優雅な姿のために努力する白鳥のようにだ。どこでも意見の対立は発展の原動力になるが、韓国の政治は説得よりも無理に対立を続ける。このため社会を調和と均衡の中に導いていく政治は影も形もない。

政党指導者も同じだ。巨大野党の代表である李在明(イ・ジェミョン)議員は被疑事実が数件にもなり、自身の周囲の人たちが命を失っても一度も謝罪どころか釈明もしない。すべてがねつ造だとばかり話す。それは無理がある。大韓民国の判事・検事を冒とくするものだ。李代表の最終的な目的は大統領になることだとみられる。そのためには有罪判決は受けてはならない。それであれこれと言い訳をして裁判を遅延させる。私はあえて大韓民国司法府に注文する。李代表の事件は法が許容する範囲内で一日も早く有罪・無罪を明らかにしてほしいと。いま国民は裁判の結果が早期に出ることを願っている。それは他の対内外的な不確実性と共に司法の不確実性が経済を難しくするからだ。李代表は自身がかかわった事件についてすべてをありのままに打ち明け、検察と司法当局の判断に承服しなければならない。

第22代国会の新しい議員らもそれほど期待はできないようだ。4月の総選挙が終わった直後、民主党の初当選議員はすべてのことに「起承転・弾劾」を叫ぶ党の雰囲気に合わせるように大統領弾劾を誓った。国会議員らの最初の目標が大統領弾劾とは嘆かわしい。大韓民国が弾劾共和国にでもなったというのか。悪い政治慣行をあまりにも早く習ったのではないかと疑った。

少数与党の国民の力の韓東勲(ハン・ドンフン)代表も例外でない。今は党が団結しても厳しい状況だが、派閥政治を始動したり党の内部事情を外に流したりするのは望ましくない。韓代表は大統領室と意思疎通しながら難しい民生問題を解決するビジョンと希望を提示し、野党を説得しながら時には戦ったりもするべきだが、今は自身の党と闘争しているような印象を与える。過去に一部の政治家は上の人に挑戦して注目を浴びれば大統領選挙街道に役立つと信じた。しかし成功したケースはほとんどない。

最後に尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領にも言っておきたい。2年半に生じた多くの問題は直接・間接的に大韓民国の操舵手であり船長である大統領の責任が大きい。他の何よりも人事に偏りがあるだけでなく、意思疎通を怠って他人の言葉に耳を傾けなかった。大統領が自ら正す必要がある。そのためにはまず大統領夫妻がやや悔しい思いがあっても国民に謝罪しなければいけない。時には負けることが勝つことだ。

私が好きな元ニューヨーク・ヤンキースのヨギ・ベラは「(野球の試合は)終わるまで終わらない」と言った。尹大統領の任期はまだ折返し点も通過していない。私は尹大統領が残りの任期に社会を独占から共有に、独走から同伴に、何よりも心で国民を抱擁して「過去の尹錫悦」と正面勝負することを願う。野党と協治しながら連立政権までも考慮するべきだ。また、大統領はもっと謙虚にならなければいけない。そして金建希(キム・ゴンヒ)夫人は謙虚に後ろに退くのがよい。そうすることで国民の共感を引き出す、説得の政治が生き返る大韓民国をつくることを願う。

大韓民国はノーベル文学賞受賞者を輩出するほどのソフトパワー強国になった。韓国文学が世界で認められ、我々の歴史的経験と文化的アイデンティティを世界に知らせるのに大きく寄与した韓江氏に敬意と謝意を表する。韓国の政治も今はもう国家の価値を一段高めるのに寄与することを期待したい。

鄭雲燦(チョン・ウンチャン)/同伴成長研究所理事長/元ソウル大総長