令和6年度・講談社 本田靖春ノンフィクション賞、受賞作品発表! 「受賞のことば」と「選評」

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今回の受賞作は、ルポルタージュ、伝記、体験記などのノンフィクション作品で、単行本、新聞、雑誌などに、昨年4月1日より本年3月末日までに発表されたものから選ばれました。選考委員は赤坂真理・魚住昭・後藤正治・最相葉月・原武史の5氏(五十音順)です。

本年度の候補作品は受賞作品のほか、春日太一『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)、木寺一孝『正義の行方』(講談社)、乗京真知『中村哲さん殺害事件 実行犯の「遺言」』(朝日新聞出版)、森合正範『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(講談社)でした(著者五十音順)。

受賞作品『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』

●著者プロフィール大森 淳郎(おおもり・じゅんろう)/1957年生まれ。東京外国語大学ヒンディー語学科卒業。1982年、NHK入局。ディレクターとして主にETV特集を手掛ける。2016年からNHK放送文化研究所に志願して異動、研究員として勤務。2022年退職。本書で第77回毎日出版文化賞(人文・社会部門)を受賞。

◆大森氏 受賞のことば「オフシャンニコワさんにはなれないから」

この本を書いている最中の2022年3月14日、ロシア国営放送のニュース番組の放送中に、マリーナ・オフシャンニコワさんという職員がスタジオになだれ込み、キャスターの背後で抗議のプラカードを掲げるという事件が起こりました。プラカードには「プロパガンダを信じないで」「この人たちは嘘をついている」と書かれていました。彼女の命がけの行動は世界中の人々を驚かせたし、私も感銘を受けた一人です。

でも私は、オフシャンニコワさんよりも、むしろその前で何事も起こっていないかのように、能面のような表情でニュースを読み続けるキャスターにより強い印象を受けたのです。私が書き続けていたのは、オフシャンニコワさんのような英雄的な人物の話ではなく、国民に「嘘をついている」側にいた、NHKの大先輩たちの話だったからです。感動的な物語にはなりようもなく、地味で気が滅入るような話にならざるを得ません。そういう本が、このような大きな賞をいただくことになり、喜びよりも驚きが勝っています。

でも、この本があるべき本だという自負はあります。というよりも、たまたま、色々ないきさつが重なって私が書くことになったのですが、本来、とっくの昔にNHKによって書かれていなければならなかった本なのです。NHKが自らの戦争責任にきちんと向き合い、そのうえで、公共放送として何をするべきなのか、何をしてはならないのかを考える、考え続ける、それは不可避の作業のはずだからです。あるべき本がようやく出た、そのことを評価していただけたのだと思っています。

本書を書きながら、いつも頭から離れなかったのは「お前だったらどうしていたんだ」という問いです。きっと私はオフシャンニコワさんのような例外的な人間ではなかった。「嘘をついている」側にいた。残念ながらそう考えざるを得ません。だからこそ、そうなってからでは遅いのだ、今、改めて強くそう思っています。

受賞作品『密航のち洗濯 ときどき作家』

●著者プロフィール 宋 恵媛(そん・へうぉん)/博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために―声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年)、編著に『越境の在日朝鮮人作家 尹紫遠の日記が伝えること』(琥珀書房、2022年)、『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014年)等。

●著者プロフィール 望月 優大(もちづき・ひろき)/1985年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。認定NPO法人難民支援協会が運営するウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』の編集長を務める。様々な社会問題に取り組む非営利団体の支援にも携わっている。

●著者プロフィール 田川 基成(たがわ・もとなり)/1985年生まれ。北海道大学農学部森林科学科卒業。編集者、業界紙記者を経て2014年より写真家として独立。土地と記憶、移民と文化などをテーマに作品を撮る。

◆宋氏 受賞のことば「尹紫遠日記のこと」

尹紫遠日記が存在しなかったら、『密航のち洗濯 ときどき作家』は生まれなかっただろう。尹泰玄さんと逸己さんが父の形見として大切に保存してきたものだ。

この日記は、ごく希少なエゴドキュメントであるばかりでなく、さまざまな人々を引き寄せてつなぐ不思議な力も秘めていたようだ。

まず、琥珀書房代表の山本捷馬さん。尹紫遠日記を、作品選集や全集(電子版)等とともに世に出して下さった。望月優大さんと私を引き合わせてくれたのも山本さんだ。

望月さんと田川基成さんと私の三人が、下関から関釜フェリーに乗って韓国・釜山に向かったのは、そのわずか数ヵ月後だった。その際には、難民支援協会が支援して下さった。旅程を終えるころ、三人で本を作りたいという話が出た。こうして、柏書房の天野潤平さんに出会うことができた。

ほかにも、全祥輔さん、平田由美さん、斎藤真理子さん、ドミニク・チェンさん、水野直樹さんなど、本の完成までに多くの人々にめぐりあい、助けられ、励まされた。

本田靖春は朝鮮生まれの「植民二世」である。1945年秋に興安丸に乗って引き揚げ、山口県の仙崎港から上陸した。戦後日本社会に対する氏の透徹した批評眼が、この少年時代の体験によって養われたことは、本人が随所で述べている通りだ。

実は、尹紫遠も興安丸に乗船した可能性がある。1944年に朝鮮に渡ったときのことだ。当時、興安丸は関釜連絡船の一つとして利用されていた。

尹紫遠が小さな闇船に乗って日本に再渡航したのは1946年夏。「密航者」として捕えられ、仙崎沖に停泊する米軍用船に閉じ込められたが、朝鮮に強制送還される直前に海に飛び込んだ。日記をつけはじめたのは、そのすぐ後のことだった。

実際に交わることがほぼなかったといわれる在朝日本人と朝鮮人の、時空を超えた出会いまでをも尹紫遠日記は呼び込んだ。受賞の報に接してそんなことを思った。

やっかいな本だと思う。それでも選んで下さった選考委員のみなさまに、謝意と敬意を表する。

◆望月氏 受賞のことば「わからなかったこと」

密航のち洗濯。

わかったことはほんの少しで、わからなかったことがほとんどだった。その二つの間に、もしかしたらそうだったかもしれない、きっとそうだったに違いない、そんな想像や推測の数々が、今も所在なく漂い続けている。現実に繫ぎとめてくれる、拠り所のないまま。

「俊吉はおのれのペンがいき悩むと、よく──この一篇を玄海灘に眠る同胞の霊に捧ぐ──と書いてはじいっと考え込んだ」(尹紫遠「人工栄養」)

朝鮮戦争の隣を生きた東京。彼が中目黒の六畳一間でこの一節を書いた頃、海の底に眠る人々のことは、すでにほとんどわからなくなっていた。手がかりも、痕跡も、一緒に沈んでいた。尹紫遠は一人の生き残りだった。そして、彼が生き延びた先の日本では、「密航」を語るのは危険なことだった。植民地支配下の恐怖は別の形で温存され、生き残りたちから再び言葉を奪った。消えるべきものが残り、残るべきものが消えた。

だが、書くことが幾重にも難しくされた中で、尹紫遠は書くことへの執着を手放さなかった。生きるのに不器用な作家は、自分の見た現実を忘れなかった。彼は夜中に書くために、生活のために他人の服を洗う。眠りは欠乏した。ストレスは爆発した。病は加速して、命は短くなった。書き尽くすには、全然足りなかった。

彼の隣を生きた女性たち。母、金菀比。妻、金乙先。妻、大津登志子。娘、尹逸己。尹紫遠のテクストの一字一句にしがみつき、写真や行政文書に向き合いながら、彼女たちの不在を考えた。たどり切れない消息、書けなかった文字、失われた記憶や感情を思った。

男性たちの姿は見えづらかった。女性たちは、影すら見えにくかった。

この本には、私たちにわかることのできたわずかなことを書いた。そのわずかなことを私は大切に思う。そして、わからなかったことを今日も想像する。なかったのではないから。わからなかっただけで。わかろうとした私たちを受け入れてくださった尹泰玄さん、逸己さんに心からの感謝を捧げる。

◆田川氏 受賞のことば「託された意志」

『密航のち洗濯』の制作にあたり、作家・尹紫遠の長男・尹泰玄氏のもとを何度も訪ねました。初めての取材の際、泰玄氏が用意してくれた日記や、数百枚の白黒写真の物量に圧倒され、興奮したことを鮮明に覚えています。

戦後の焼け野原で、外套を着た友人たちとにこやかな雰囲気で収まった尹紫遠の記念写真。幼子を膝に乗せ、酒を飲んで花見をする父としての姿。割烹着を着た妻・登志子氏が俯いた仕事場。また蔚山で撮られたと思われる韓国の親族写真や、成人してソウルに赴任した泰玄氏が、韓国の仲間とピクニックをした時のスナップもありました。どの写真にも、確かに「時代」が写されていました。

そして、若かりし日の登志子氏が友人と写真館で撮った肖像の下に、新京、の文字が刻まれているのに気づいたことで、『密航のち洗濯』の取材はさらに奥へと進むことになります。しかし、それほどたくさんの写真が残されているにもかかわらず、父・尹徳祚(紫遠の本名)と母・登志子、それに三人の子どもたちの家族全員が一緒に写った写真は、結局一枚も見つかりませんでした。その不在が、日本へ密航し、東京で苦しみながら創作に取り組んだ尹紫遠と、生活に追われた家族の差し迫った姿を表しているように感じます。

こうした日記や写真資料を残した作家・尹紫遠と、のちに託された妻の登志子氏、それをさらに引き継いだ長男・泰玄氏と、大切に整理した長女・逸己氏。それぞれの強い意志がなければ、この作品『密航のち洗濯』も世に出ることはなかったでしょう。その意味で、写真家としては、歴史的にも大変貴重な資料と写真を残してくれていた、家族のみなさんにこそ最大の賛辞を送りたいと思います。

選評 (五十音順)

物語としても読ませる力

赤坂 真理/作家

受賞作から一作ずつ評する。

『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』:大部の本ながら、視点が変わっていくことが章立てとなって、それに運ばれるように本に引き込まれる。戦争協力という以上に「御用メディア」であったNHKラジオの内実が明らかになってさえ、引き裂かれた詩人、検閲に沈黙で応えたアナウンサー、市井のラジオ少年など、個々の声たちは多様で胸を打つ。こうした声たちを見つけ出し残したことにも感謝する。

『密航のち洗濯 ときどき作家』:在日朝鮮人一世の日記はきわめてめずらしいという。しかも彼、尹紫遠は小説も残した。本書は、第一級の文学研究とも読める。彼とその家族が歴史や国際政治にどう翻弄され、どう生き抜いたかが書かれている。黙々と、労われることもない作業をこなし、「歴史を準備した」娘の逸己という存在が、特に心に残る。忘れがたい人のいる本を読んだことの幸福を思う。ただ、複数の著者には違う視点等あったはずだが、あまりにスムーズに一人に見える。違いがあることならではの面白さも読みたかった。

『正義の行方』:冤罪かもしれない人が、一部の証拠の証拠能力が不十分であるにもかかわらず死刑になる。大変なことだ。その「飯塚事件」の存在と内実は、世に問う価値がある。が、書き方が浅い。

『中村哲さん殺害事件 実行犯の「遺言」』:真犯人を追ううち見えてくる、パキスタンとの確執。ここからが正念場であるように思えてならない。

『怪物に出会った日』:ボクシング界の不世出のスターの敗者たちから、「空白の中心」を描くのは面白い。が、爽やかな思い出のようで、命の危険を感じるほどの「怪物」井上尚弥は伝わってこない。

『鬼の筆』:宿命ということを描き続けた戦後最大の脚本家、橋本忍自身の「宿命」が原風景から書き起こされて、展開していく様に心を奪われる。それが戦争と戦後の映し絵ともなっている。もう一段突っ込んだ問いがありえたのではと惜しい。

『ラジオと戦争』の受賞がまず決まり、同時授賞を望む声が強く『密航のち洗濯』の受賞が決まった。この二作は、ともに史料的な価値も高く、これらを後世に残せることの意味は大きい。同時に、物語としても読ませる。いずれも大変な力量であり、構成力である。

メディア史の空白を埋める作品

魚住 昭/ノンフィクション作家

選評を書くのは難しい。僅かな字数で、受賞作とそうでない作品のちがいを説明しなければならないからだ。今回のように候補作全体のレベルが高いときはなおさらである。

まず『正義の行方』。これは、飯塚事件の捜査に携わった警察官、死刑になった被告の妻と弁護士、事件を報じた記者らの証言をもとに、捜査の問題点を検証した労作だ。ただ、肝心のDNA型鑑定のくだりに言葉足らずの感があった。工夫の余地があったと思う。

『中村哲さん殺害事件 実行犯の「遺言」』は、事件の真相を知りたいという読者の願いに応えたルポである。事件の背景にクナール川の水の利用を巡る争いがあるという著者の指摘に説得力を感じたが、黒幕の正体はまだベールに包まれている。さらなる取材に期待したい。

『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』はボクシングファンにはたまらない作品だ。井上に敗れた者たちの視点から井上の強さを描くというコンセプトは秀逸だったが、彼らとの対戦で井上本人が何を思い、どう変わっていったのかも描いてほしかった。

『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』は面白い読みものだが、評伝としては未完成だ。評伝の生命である著者と対象の間の緊張感がない。著者は橋本に遠慮しているみたいだ。場合によっては橋本の言動を徹底批判する覚悟が必要だったのではないか。

『密航のち洗濯 ときどき作家』は、戦前の日本にやってきた朝鮮人作家とその家族を描いた作品だ。精緻な取材で百年前の出来事をも克明に再現している。後半の戦後編では、生活保護、健康保険、年金、選挙権などの諸権利から排除された一家が苦難を乗り越えてゆく姿が心を打つ。戦前・戦後史の知られざる断面を描いた傑作である。

そして、選考会で最も高い評価を得たのが『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』だった。戦時のラジオ放送の現場をこれほど詳細かつ生々しく描いたものを私は知らない。メディア史の空白を埋める画期的作品として後世に受け継がれていくだろう。

放送界の戦争責任を問う

後藤 正治/ノンフィクション作家

受賞作『ラジオと戦争』は、メディアの戦争責任を問う作品であるが、放送界を扱ったものははじめてであろう。新鮮だった。当時の音声や証言者を丁寧に発掘する作業は、放送人にしてはじめて可能だったろう。事実をもって静かに語らしめていく。

ラジオは時代の流れの中、率先して、あるいは渋々、戦時体制に組み込まれていく。多くの放送人は「普通の愛国者たち」だった。現在から往時を批判するのはたやすいが、「お前ならどうしたか」という痛みを込めた問いが、本作に深みを付与している。

受賞作『密航のち洗濯 ときどき作家』は、戦前から戦後にかけて生きた無名の在日朝鮮人一家の物語である。主人公が残した自伝的小説を、戦後世代が現地を訪れ、紐解いていく。残されるべき書と思えた。書き手が複数である点、少々不統一感を覚えたが。

『怪物に出会った日』は、日本ボクシング史上最強、井上尚弥を描かんとした運動部記者のノンフィクションである。井上と闘ったボクサーたちの証言は、井上を描く同じ比重で、〈良き敗者たち〉の物語となっている。

『鬼の筆』は、日本映画の全盛期を担った脚本家・橋本忍の長い映画人生を追っている。白眉の仕事は、黒澤明監督との『羅生門』『生きる』『七人の侍』であろう。かのような「脚本職人」がいて名作が生まれたことを改めて知る。

『正義の行方』は、いわゆる「飯塚事件」の検証番組を活字化している。無実の人物を死刑に処したのではないか……。戦慄は消えない。西日本新聞の検証は印象深いが、映像作品の「翻訳版」という全体印象はぬぐえない。

『中村哲さん殺害事件 実行犯の「遺言」』は、アフガンで用水路づくりに貢献した中村医師の殺害事件を追っている。実行犯の「山賊たち」への追跡の労を多とするものであるが、一方で、中村その人の根底にあったものを知りたく思う。

歴史を検証し、未来につなげる仕事

最相 葉月/ノンフィクション作家

資料や取材対象へのアクセス優位性を考慮してもなお、『ラジオと戦争』で検証された日本放送協会の歴史には公共性と次代へ受け継がれるべき価値がある。

詩人の多田不二や「学校放送の父」といわれた教育者・西本三十二ら志高き「放送人」の半生を織り交ぜつつ、現場の声を丁寧に集め、彼らの変節を糾弾するのではなく、時代が違えば自らもそうなったかもしれないという視点で描くフェアな姿勢が本作をより普遍的なものとしている。誰もが発信できるIT時代のメディアもまた、時代特有のリスクを抱えていることなどに思いを巡らせた。大冊だが読みやすく、読了後の手応えは抜きん出ていた。

在日コリアン系のキリスト教会を取材した際、一世の歴史を知らない人々が増え、記憶の断絶がコミュニティの課題となっていることを知った。『密航のち洗濯 ときどき作家』の主人公・尹紫遠は作家としては無名だが、彼が日記を残し、密航を題材とした小説を著したことによって、日本統治下とGHQ占領期の一世のやむを得ない「密航」と国籍の混乱、家族の暮らしぶりが明らかとなった。かけがえのない彼らの足跡を記憶に刻むことができた歴史的意義は大きく、同時授賞を提案したところ他の委員の賛同を得られた。

『鬼の筆』は力作だが疑問点が多く残った。「砂の器」は橋本忍の隔離経験とどう響き合ったか。「どですかでん」後の黒澤明の自殺未遂をどう受け止めたか。創価学会への接近は橋本の精神に何をもたらしたか。インパール戦犠牲者への鎮魂の言葉を記憶違いで済ませてよいか(鳥取から参戦した部隊はある)。

『怪物に出会った日』は、ハングリーではない井上がなぜ強さを保てるのかが最後までわからなかった。引退選手は過去をいい物語にしてしまう。

『中村哲さん殺害事件 実行犯の「遺言」』は、ペシャワール会がパキスタンとの国境問題についてどう認識していたのか知りたかった。

『正義の行方』は映画の進行台本のようだった。

知られざる日本を描く

原 武史/政治学者

私の専門である日本政治思想史の業界では、有名思想家を対象とする研究が盛んだ。しかしそれだけでは決して「思想史」にならない。ノンフィクションの業界でも有名な個人を対象とする著作が高く評価される傾向があるが、そうした傾向が続いてしまうと、結果としてフィクションでないもの=ノンフィクションの可能性や幅を狭めてしまう。

だからこそ今回は、あえてそうでない作品を選ぼうと思った。

『密航のち洗濯』が描き出したのは、これまでほとんど知られていなかった戦後史だ。敗戦の翌年、朝鮮半島の蔚山からある朝鮮人夫婦が決死の覚悟で海を渡り、山口県の「K村」に漂着し、山陰本線の駅から臨時列車に乗せられる冒頭の場面から引き込まれた。

なぜ夫だけが脱出して東京に向かったのかという疑問は残るものの、ほとんど残っていない在日一世の日記をもとに、現地取材を繰り返しつつ無名の家族の「戦後」を浮き彫りにした意義はきわめて大きい。

『ラジオと戦争』からは、徹底した取材を通して、戦時体制に呑み込まれていった放送人たちの生々しい「声」が浮かび上がってくる。これもまた、知られざる戦前、戦中期の日本を描く試みとして評価されるべきだろう。

ただ政治学者としては、日中戦争開戦後に時差をなくし、天皇が臨時大祭に際して靖国神社を参拝する午前10時15分、ラジオの時報を合図に植民地や「満州国」を含む全国で一斉に黙祷する「全国民黙祷時間」が設けられたように、「声」に還元されないラジオの役割もあったことを指摘しておきたい。

『正義の行方』は、冤罪の疑いの残る「飯塚事件」をさまざまな関係者に当たりながら検証しようとした作品だ。映画の脚本をただ活字にしただけではないかという批判もあったが、たとえそうだとしても、現時点でこの事件の複雑な背景を活字として残したことの意味は小さくないと思った。

「週刊現代」202491421日合併号より