ちゃんみなさんが結婚・妊娠を発表。ヒオカ「推しの〈ちゃんみな〉ライブ初体験。豊かさとは、最低限の衣食住だけで生まれるものではないのだと悟る」

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7月7日、七夕に合わせ数々の結婚のニュースが流れました。ラッパーでシンガーのちゃんみなさん(25)が公式サイトと自身のSNSを通じ、韓国のラッパー・ASH ISLAND(アッシュ・アイランド/24)との結婚と、第1子の妊娠を報告。ちゃんみなさんを「推し」ているヒオカさんの、ライブ初体験記事を再配信します。***********貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。第35回は「人生初のライブ」です。

【写真】初ライブで目にした光景は…

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プチ自分改革

先日、人生で初めてライブというものに行った。

大学生の時、周囲の友達はよくライブに行っていて、チケットを獲れるかどうかに気を揉んでいた。
中でもよくお昼を一緒に食べていた友達は、大好きなアーティストのチケットの当落の発表日、落選の結果が届くと朝からお通夜モード。机につっぷしてまともに口も聞いてくれない。
バイトを頑張るのはファンクラブに入り、少しでも当選確率を上げ、ライブに行きたいから。それくらい好きなアーティストが生活の中心だった。

そんな友達を見ながら、微笑ましく思いながらも、3000円ほどの出費も生活に大打撃のため、めったにしないような苦学生だった私にはライブは縁遠く、話は聞きつつも自分には関係ない、と思っていた。
一生に一度は生で演奏を聴いてみたい、そう思うアーティストはいたが、ライブは私にとっては高級品。さらにファンクラブに入るとなると固定費だ。とてもじゃないけど手が届かない。

大人になって、自分は生活の文化的な部分が欠落していると感じるようになった。
友人を観察すると、季節のイベントを楽しむことを忘れなかったり、インテリアを工夫したり、人気のお土産をチェックしたり、息をするように、生活が豊かになる工夫をしている。

もちろんそれはある程度生活に余裕があってこそだが、その習慣はすごく興味深かった。
私は何も意識しないと職場と家の往復。クリスマスだろうが誕生日だろうが何もしない。
そんな自分を変えたい、と思っても、忙殺され、毎日をこなすので精一杯。
でも、以前のコラムで書いた通り、1人暮らしを始めて気持ちの変化が生まれ、好きなアーティストや芸人の動画を見る時間が、今まで以上に生活を支えてくれていると感じるようになった。
豊かさとは、最低限の衣食住だけで生まれるものではないのだ、と悟るようになった。
私のような人は、文化的な生活を意識して、半ば「矯正」していく必要がある。
それは決して無理矢理、ということではない。何もしなければ無味乾燥になる日常だから、意識的に変化をもたらす努力が必要だと思うのだ。
少しずつ少しずつ、意識や行動を変えていくことで習慣を変化させていくことができる気がする。
そう思い、プチ自分改革を決意。

ライブ前の高揚感

そんな折、だいっっっ好きという言葉では言い表せない程、夢中になり、魅せられ、救われている『ちゃんみな』の単独ライブが開催されるとの報が。
いつか行きたい、なんて待っていてもその時はこない、というか今がその時だ、と意を決して応募。
ステージに近い席は外れたが、指定席のチケットをゲットした。

しかし、日が近づくにつれ楽しみな気持ちより不安が膨らんだ。
ライブ慣れしたベテランの友人に話を聞くと、「トイレは会場で行くのは諦めて最寄り駅で済ませること!」「席はあってもみんな立って座ってるとステージが見えないから立ちっぱなしは必至」とアドバイスされた。

ライブ中にトイレに行きたくなったらどうしよう
2時間立ちっぱなしってしんどくないかな
ファンだけのしきたりとかあったらどうしよう

一人で行くということもあり、色んな不安が頭を駆け巡る。
外出すると気温の変化ですぐに偏頭痛になるので、体調面の不安もつきまとう。
でも、せっかく、やっと推しのパフォーマンスを生でみれるというのに、不安に押しつぶされる時間がもったいない!!

毎日、家にいるときはひっきりなしに曲を流し、聴きまくってきた。
もはや、生活の一部だ。
ちゃんみなのYouTube公式チャンネルにアップされた過去のライブの動画を初めてみたとき、度胆を抜かれた。
MVとは違うアレンジ、作り込まれたセット、キレッキレのダンサー。
まるで夢を見ていると思うような唯一無二の世界観。
これが生で展開されたら。そう思うといてもたってもいられない。

人生初ライブ

当日、緊張しているせいか早く目が覚めた。
それから夕方までそわそわしっぱなしだった。

最寄り駅の女子トイレは行列で20分待った。しかし会場はそんなものではなかった。
人があふれ、入り口は長蛇の列。人が多いと聞いてはいたが、想像の3倍は多かった。こんなにたくさんの人を見たことがない。
双子コーデをしたり、ライブグッズのTシャツを着た人がたくさん。
熱気が立ちこめていた。

会場に入るとその広さに驚いた。3階席だったので、ステージは遥遠く。
開演が近づくと、みんながペンライトを光らせる。その景色は壮観だ。

そして音楽が鳴り響き、フードを被ったちゃんみなが登場。
その姿がモニターに映ると、会場のボルテージが一気に上がる。どよめきと歓声で凄まじい盛り上がりだ。
コロナ禍で声出しもずっと禁止でやっと解禁されたため、こうやって直接アーティストに声を届けられる喜びもひとしおなのだろう。
単なる喜びとは違い、この時を待ち侘びた切実な思いや、会いたかった!という強い思いが、渦のように立ち込めていた。
ちゃんみなが登場した時の衝撃は忘れられない。
体の奥底から震えたち、ゾクゾクして、やっと会えたという感動で、もうすでに泣きそうだった。
ちゃんみなを生で初めて見て、歌声を聴いて、気がついたら泣いていた。
理由なんてなくて、とにかく感動したのだ。
スターって本当にいるんだ。スターってこんなにも人の心を奪うんだ。
全身の細胞が沸き立って、瞳孔が開きっぱなしだった。
え、あのちゃんみな?ほんとうにあのちゃんみな?
毎日毎日何度も見て、聴いていたちゃんみながいる。

どの曲も家で聴きまくっていたものばかり。イントロが流れるたび会場は大盛り上がり。
ちゃんみなはMVと生歌唱で歌い方を大きく変えるのだが、アレンジがどれもあまりによくて、何度も聴いた曲もまた違って聞こえる。
すり減るほど(動画なのですり減りはしないが)聴いた曲が流れた時は、幸せすぎて溶けてしまいそうだった。
ペンライトを買えなかったのだが、ほとんどの人は持っていて、曲に合わせて振るので、持っていないと手持ち無沙汰だった。失敗した!次は絶対に持っていこう。
ファンしかしらない特有の掛け合いとかあったらどうしようと思ったが、初めての人も結構多く(ちゃんみなが初めて来てくれた人〜と聞くと多くの人が手をあげていた)、アウェイ感は感じずに済んだ。

圧巻のパフォーマンス

ライブで驚いたのは重低音が体中に響き渡ること。
スマホやテレビ、映画館でも絶対に味わえない細胞が揺れる感じ。
体中で感じるとはこのことだ。
曲が変わるごとにあまりに興奮して感動して、思わず声が漏れた。

ちゃんみなの唯一無二のラップ、激しい曲が続き、声を張り上げた時のとんでもない歌唱力に圧倒される。バッキバッキでゴリッゴリのパフォーマンスに、かっこよすぎて美しすぎて脳の奥まで痺れ、目の前で起こっていることが現実だとはとても信じられない。
歌い方、表情、仕草、見せ方全てがあまりに完璧で、その一つひとつに心を奪われる。
なんでこんなにかっこいいんだ!意味がわからない。よすぎる、よすぎるぅううううううう!
今まで何をしたって満たされなかった部分が満たされていくようだ。

そんな超絶かっこいいイケちらかしたパフォーマンスを見せたかと思えば、トークではファンへの愛が溢れ、率直な思いを語るちゃんみなは優しくてほんわかしていて、そのギャップにまたやられる。
呼びかけでも終始ファンへの感謝や愛を口にし、まっすぐに語りかけていた。

表現はどこまでも自由だ

ちゃんみなの存在と歌は、いつも私に「表現はどこまでも自由だ」、と教えてくれる。
ちゃんみなのスタイルは既存のどんなものにも当てはまらないが、そのすべてが強烈に魅力的で、見るたび見るたび、新しい世界を教えてくれる。
私の目には、ちゃんみながどこまでも自分にとって心地いいもの、自分がいいと思うものを求め続け、極めているように見える。
そんなちゃんみなを見ると、人目なんて気にする時間がもったいない、そう思えてくる。

「自分」を持つこと、「自分」を極めること、それにここまでまっすぐな人がいるだろうか。
無自覚のうちに、私たちは他人の目を評価軸にして、自分を抑圧しているのだと思う。
ちゃんみなという存在はそんな抑圧に気づかせてくれ、本当にそれでいいの?と問いかけてくれるのだ。
ちゃんみなと出会って、自分のしたい表現をすることを知って、私は生きるのが前より楽しくなった。
ちゃんみなは私の今までの概念をぶっ壊して、眠っていた自分の本心に気づかせてくれた。


『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

ライブで一番観客がどよめいたのが、ルッキズムをテーマにした楽曲『美人』でのパフォーマンスだった。曲の途中でちゃんみながメイクを全て落とし、すっぴんになったのだ。
このパフォーマンスはYouTubeでも公開され、大きな反響を呼んでいる。

ちゃんみなは目を囲う太いアイラインなど、とても濃いメイクが特徴だった。
ちゃんみなのメイクは武装、そしてパフォーマンスを作り上げる一つのようなものだったように見えた。
薄いメイクですら見たことがなかったので、ライブですっぴんになるのは衝撃的だった。
そしてそのあとのちゃんみなのメッセージに、観衆は息を飲んで聞き入っていた。

「私が今回のショーでやりたかったのはこれです。みんな飾らなくてもダイヤのようにきれいだと伝えたくて、この方法を取りました。ここからは、あなたがなりたいものになってください。何にも囚われず、失敗を恐れずに突き進んでください」

BARKS ちゃんみな、新章の幕開け告げる単独アリーナ公演「ここからは、あなたがなりたいものになってください」より

会いたい人には会った方がいい

ルッキズムについての作品は増えている。
その中で、こうやって、行動で示すということは、なかなかできることではないと思う。
言葉だけじゃない、生きざまを通して曲の意味を伝える。そんな覚悟が伝わってきた。

このパフォーマンスを見て、私も何かから解放されたような気がした。
思った以上に私たちはルッキズムにがんじがらめになって、こうじゃなくちゃいけない、という強迫観念に囚われているのかもしれない。
ありのままでいい、なんて言うのは簡単だけれど、本当に目の前でメイクを落とし、そのまま何曲も歌い上げたちゃんみなは、確かにメイクをしていた時と同じくらいかそれ以上に輝いていた。

ライブという未知の世界に初めて踏み込んで、また知らなかった世界を一つ知れた。
ライブだけの演出は血が沸き立つほどに興奮するし、アーティストを心から愛する人たちの一体感や生の反応は想像の何倍も熱く、アーティストが語る内容は胸に刺さるし、それらをリアルタイムで見れることはあまりに贅沢だった。

案ずるよりなんちゃらというように、心配するより、とにかく飛び込んでみるのが大事らしい。会いたい人には絶対に会ったほうがいい、そう実感した。
でもまだ見れていない推しが何人もいる。絶対見に行くぞ…と決意を新たにした。

一度だけは行ってみたい。そう思っていたけれど、今回は3階席で遠かったのでやっぱりいつか近くでこの目に焼き付けたい。これからのちゃんみなを見続けることが楽しみでしかたなくなった。

前回「メディアの扇情に覚える違和感。〈悲惨枠〉に押し込められる時、苦しくて仕方ない。〈可哀そうアピール〉はしたくない」はこちら