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貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。第70回は「生殖は究極の不平等」です。

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現実でも起こり得るとてもリアルな話

日本で法整備がされていない「代理出産」をテーマにしたドラマ『燕は戻ってこない』は最後まですさまじいカオスっぷりで、久々にゾワゾワ・ゾクゾクする作品だった。

フルタイムで働いても手取り14万。コンビニでおにぎりを買うことすらためらうほど困窮した主人公の理紀が、生殖医療エージェントに登録、代理母として子どもができない裕福な夫婦と契約するストーリーは、現実でも起こり得るとてもリアルな話だった。

このドラマ、とにかく人物の描き方がすごい。すっごい嫌なやつがちょっとまともに見えてきたり、唯一のまともキャラだと思った人がサイテーな人間になり下がったり。毎話印象がガラリと変わる演出が素晴らしい。

中でも、主人公と契約する草桶夫婦の妻・悠子の変わりようは目を見張るものがあった。夫である基が、ある日相談もなしにエージェントに登録。「どうせ見つからないから」とか言うくせに、いざ代理母候補が見つかると、わかりやすく舞い上がる夫。代理母の卵子を使うから、自分の遺伝子は入らない子どもが生まれてくる。それを愛する夫が望んでいるという地獄。悠子はこの物語で最も可哀そうな人、だった。

元世界的バレエダンサーとしての自身の遺伝子を残したい基と、その母で同じくバレリーナだった千味子は、代理母をまるで「商品」だと思っている。こっちがお金を払うんだから、と代理母に様々な行動制限を設けようとしたりする。それに対して、代理母の身を案じ、ふたりを諫めるのが悠子だ。どこか欠落している登場人物たちの中で、唯一の「良心」みたいな存在だった。

悠子の様子がおかしくなる

でも、理紀が契約に反し、基との人工授精予定日の数日前に複数の男性と関係を持ったことを悠子に打ち明けるあたりから、悠子の様子がおかしくなる。妊娠した子どもが基の子かわからないから、中絶して人工授精をやり直すと言う理紀に対し、自分が育てるから中絶だけはするな、基には内緒にしておこう、と言い出すのだ。

基に内緒にするなんて、無理があるにも程がある。成長と同時に顔が似ていなかったりして、遺伝子検査でもされれば一発でバレる。中絶期限は迫るのに、悠子は中絶だけはダメ、産んで、と頑なだ。

しかし悠子は、結局自分だけで抱えられない、と基に子どもの父親が誰だかわからないという事実をあっさり告げてしまうのだ。困惑する基に対して、

「私たちの都合で命を宿らせたのよ」
「ぜんぶあなたが招いたこと」

と基を責め立て、
「見殺しにしても平気なの」

と中絶しないことを迫る。悠子は「不育症」で、何回も基との子どもを中絶した経験があるのだ。

いや、父親が誰だかわからない状況にしたのは完全に理紀のせいだけど……と思わずにはいられない。絶対に中絶させないことにこだわる悠子だが、本当の母親が育てた方がいいからと、自分は育てないと言い出す。(草桶夫婦は代理母出産計画のため、便宜上離婚し、基は理紀と婚姻届けを出し、夫婦関係にある)

完全なる闇落ち

自分だけは良心的、みたいな顔をして、中途半端な正義感で周りを最悪の状況に引きずり込むのだ。さらに、悠子がいなくなれば育てる母親がいなくなることを危惧した基が、母親として子育てするよう理紀を説得してほしいと悠子に頼む。悠子は理紀を説得するが、元々産んだらいなくなることが条件だったのだから、当然理紀は反発する。

それに対し、悠子は複数の人と関係を持つという契約違反をした理紀に、基が出産の追加報酬を払うと思うか? と言い出す。母親として子育てするという条件を飲めば、約束通り報酬は支払われるのではないか、というのだ。半ば脅しのような発言をしだした悠子。完全なる闇落ちだ。

しかも、子どもが生まれると、やっぱり育てたくなったから基と復縁する! と言い出すのだ。自分が育てるから産んで→やっぱり育てない!→やっぱり育てたい! とものすごい変遷だ。


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はたから見ていると、あまりに身勝手で自己中心的。周りを振り回すのもいい加減にしろ、と言いたくもなる。でも、この物語のすごいところは、こういう人間の感情の動きも、実際ありうるものかもしれない、と思わせるところだ。生身の人間の感情とは、きっと私たちが思う以上にわかりにくく、移ろいやすく、やっかいなものなのではないか。

自分の感覚について、改めて考えさせられた

悠子もたいがいだが、理紀もまた相当やっかいなキャラクターだ。先ほども触れたが、代理母の契約を結んだにも関わらず、複数の男性と関係を結ぶ。ほかにも、契約を破って飛行機で帰省したり、結婚指輪をして地元の人と会ったり、お酒を飲んだりと、やりたい放題だ。

その姿は「愚か」というほかない。目先のことしか考えられず、あまりに短絡的だ。でも、理紀というキャラクターを通して、自分の感覚について、改めて考えさせられた。


『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)

SNSでも、理紀の行動への批判は多かった。「愚かだ」という声もあった。でも、よく考えてみると、理紀へ向けられる視線は、しばしば社会的弱者に向けられるそれと重なる部分があるように思えてきた。

「良識的な判断」というのは、本人の努力だけでできるものと思われがちだが、そうではない。積み重ねてきた知識、受けてきた教育、忍耐や他者への配慮を育む環境ーー。そういったものが合わさって、行動に繋がる。

あらゆるものが乏しかったがゆえに、目先の欲望や利益だけを見て動いてしまう。それが「持った側」からすれば「愚かだ」と映るだろう。

女性がいかに不安定で危険な立場に置かれるか

もちろん理紀の行動は褒められたものではないが、そんなに簡単に断罪できるものなのか、と自問自答する自分もいる。

この物語がフェアだな、と思うのは、殊に「生殖」という営みにおいて、女性がいかに不安定で危険な立場に置かれるか、を描き出すところだ。女性の身体を買う側、また売買を斡旋する側は、「本人が望んだのだから」とか、「人助けだ」とか、美辞麗句を並べて、正当化しようとする。でも、悠子の友人で春画画家のりりこは、「搾取だ」と断罪する。

理紀は双子を妊娠、壮絶なつわり悩まされた後、予定日より前に破水し、出産は緊急帝王切開になってしまう。出産を経験したこともない男性が、「自然分娩より楽だろう」などとのたまうが、実態は壮絶極まりない。理紀は術後激しい痛みと高熱にうなされる。腹を切り開くのだから当然、しばらくの期間強い痛みに悩まされる。


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一方父親である基は颯爽と病院に現れる。男だから当たり前なのだが、その対比に目眩がする。男は一切身体的負担を負わなくていい。なぜ女性だけ、生命をも危険にさらさなければならないのか。

理紀は、基と悠子にもこの痛みをわかってほしい、ふたりにもお腹を切って欲しいくらいだ、と言う。この理紀の気持ち、よくわかる気がする。

理紀は帝王切開の傷を負うことになった。「自分の子なら勲章、他人の子なら烙印」。今後恋人が出来たとして、その傷をなんと説明するのか。理紀はその傷を一生背負うことになる。

生殖は究極の不平等だ

理紀とりりこが春画を囲んで対話するシーンで、理紀はこう言う。「楽しさのあとに、女だけが割を食うなんて」。りりこもこう言う。「当時は不妊の技術も不確かだし、出産で亡くなる女も多かっただろうから、本当女ばっかり不公平だよね」

生理があるのは女性、性行為で痛みを負いやすいのも女性、生理が来ないとき不安な日々を過ごさないといけないのも女性、不妊治療で強い痛みを負うのも女性、妊娠で体調不良になったり、仕事を休まないといけないのも女性。出産で壮絶な痛みと闘い、命の危険にまで晒されるのも女性。孤立出産をして遺棄した場合、法的責任を問われるのは女性だけ。

生殖は究極の不平等だ、と思う。この物語は、その事実を改めて突きつけた。

エンタメとして非常に優れた本作だったが、代理出産の問題点をこれでもかとあぶりだしていたように思う。

最終話の理紀のセリフで、こんなものがある。「私は機械じゃない」「私に残るのは傷跡だけ」

妊娠に伴う体調不良や、妊娠期間、出産における身体の不安、痛み、危険。自由や時間、尊厳。それらの対価として足りる金額など、あるのだろうか。海外では既に行われている代理出産。日本で生きる私たちも、この問題について一度考えてみるべきだろう。

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