渋沢栄一肖像(深谷市所蔵)

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2024年7月3日に、1万円、5千円、千円の3券種が新しくなります。新しいお札は、「150年以上にわたり培った偽造防止技術の結晶」だそう。1万円札の顔となるのが、NHK大河ドラマ『晴天を衝け』のモデルにもなった渋沢栄一です。渋沢は、大蔵官僚として造幣や出納などに携わり、退官後は実業界に転じ、第一国立銀行、東京商法会議所、東京証券取引所などの企業や団体を設立・経営。生涯に約500社の企業に関わり「日本近代社会の創造者」と称されています。渋沢のご子孫である渋澤健さんの記事を再配信します。 ************「日本資本主義の父」と云われる渋沢栄一の人生を描いたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が12月26日に最終回を迎える。渋沢栄一の思いを受け継ぎ「渋沢栄一が築いた日本の新しい資本主義から、現在の新しい資本主義が学ぶべき心構えある」と語るのは、シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役で、コモンズ投信株式会社取締役会長を務めるご子孫の渋澤健さん。ドラマの感想と供に、今必要とされる社会変革について寄稿いただきました。

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高祖父、渋沢栄一を描いた『青天を衝け』

色々とあった1年でしたが、あっという間に2021年の暮になりました。60年前の1961年の日本には、坂本九の「上を向いて歩こう」がヒット曲となり、終戦から途上して物質的にはそれほど豊かな時代ではありませんでしたが、「今日よりも、よい明日」への希望が満ちていました。

そして、現在の日本。物質的には豊かな先進国になりました。ただ、我々日本人は、どのような「明日」を描いているのでしょうか。まるでその答えを求めるように、日本資本主義の父と云われている渋沢栄一の人生を描くNHK大河ドラマ『青天を衝け』が放送され、最終回を迎えました。

若手俳優の吉沢亮さんが主役になると知った時の第一印象は「あり得ない」でした。あまりにもイケメンで、私の高祖父(祖父の祖父)である渋沢栄一の面影が全くない。ただ、一年間を通して、吉沢さんの熱い演技でイメージが馴染み、これから毎週「渋沢栄一」とテレビ画面で会えないことに寂しい想いがします。

台本も見事でした。脚本家の大森美香さんは渋沢栄一に関する資料をかなり読み込んだのでしょう。私が考えている渋沢栄一の大事なシーンは、ほぼドラマで展開されました。また、「お、そこまで見せるのか」というシーンもいくつかありました。偉人渋沢栄一の人間っぽいところも紹介してくれたので、視聴者からの親しみが高まったのではないでしょうか。

もちろんドラマです。演技が大げさなシーンもありました。その時に、そのような感じで、その人との関わりはなかったんじゃないかという場面も多かったです。ただ、本当に楽しませていただいた一年であり、大河ドラマ制作に関与された多くの皆様に感謝を示します。

「論語と算盤」、道徳と経済

しかし、改めて考えてみると、現在の令和日本において明治の実業家であった渋沢栄一が大河ドラマや新一万円札の肖像など、世間からこれほど関心を寄せられているのは何故でしょうか。

青天を衝くためには、上を向いて歩く必要がある。

もしかすると、このような潜在的な意識が日本社会で広まっているのかもしれません。

およそ500の会社および600の社会的事業の設立に関与した渋沢栄一が提唱したのが「論語と算盤」、道徳と経済が合致すべきという考えです。

「ぜひ一つ守らなければならぬことは、前述べた商業道徳である。約すれば信の一字である。」(【論語と算盤】道理ある希望を持て)

ただ、道徳「論語」と商業「算盤」は相容れない関係に見えます。道徳的な人物は金儲けなんて卑しい行為であると否定し、商業人は事業が慈善活動になるようでは金儲けができないと考えます。

しかし、栄一は「論語『か』算盤」ではなく、「論語『と』算盤」のライフワークを貫きました。でも、それは偉人渋沢栄一だからできたことであり、一般の人が相容れない関係性を合わせるなんてできっこない。このような反応が多いかもしれません。

本当にそうでしょうか。実は、私たち日本人は相容れない関係性を合わる『と』の力の感性が豊富であると私は思います。それに気づいてないだけなのかもしれません。

だって、日本人は「カレーうどん」を創り、親しんでいる民族ではないですか。

カレーはインドから発祥し、植民地の関係でイギリスへと渡り、おそらく海軍の関係で日本に持ち込まれたと思います。一方、うどんは麺類なので発祥の地は中国大陸で、様々のルートで日本に入って来たのでしょう。

まったく異なる文化の異分子を見た日本人は何をしたのか。同じ鍋に入れたのです。そして、ここが大事なポイントだと思うのですが、御出汁をちょっと加えました。

その結果、素晴らしい『と』の力を発揮し新しいクリエイションを創造した、と単純な私は思っています。一見、相容れない異分子を合わせて新しい価値をつくる「と」の力の感性をフルに活かせているから、B級グルメから超一流の高級料理まで、世界一美味しい料理が日本にあるのでしょう。

未来志向による闘争心

ただ、日本人は食材に関して壁を立てることありませんが、生活や仕事の多くの分野で様々な壁が立ちはだかっています。つまり、せっかく日本人の特有である『と』の力の感性がフルに活かせていないのです。

特に「失われた」時代で自信喪失した日本では意気が委縮して、壁の内側で留まることでよろしいという意識が広まりました。だから平成は「バッシング」で始まり、終わる頃には日本が素通りされた「パッシング」になったのでしょう。

では、これからどうする。令和時代に日本社会にどのような心構えや生きざまが必要なのでしょうか。

渋沢栄一は道徳と経済が合致すべきと唱えたので、長年、『論語と算盤』は「やさしい資本主義」であると解釈される傾向がありました。ただ、実際、渋沢栄一が残した言葉を読み返しますと、利他への精神、社会のみんなためという意識が溢れている一方で、かなりの向上心や競争心を感じます。

栄一は怒っていました。その怒りとは、日本は、もっと良い社会になれるはずだ、もっと良い企業、もっと良い経営者、もっと良い社員、もっと良い市民になれる。現状に満足していない、未来志向による闘争心が常に沸き立っていたのです。


旧渋沢邸「中の家」(写真提供:埼玉県深谷市)

ちょっと原点に回帰してみましょう。日本初の銀行である第一国立銀行(現みずほ銀行の前身)を明治6年(1873)に創立したときに、その「銀行」という当時ではスタートアップの存在意義を『第一国立銀行株主募集布告』で日本社会にこのように示しました。

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銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない。
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「一滴一滴の滴」は微力です。一滴だけでは何もできません。しかし、それが寄り集まる流れになれば大河になれる。そして、大河になれば新しい時代を切り拓く原動力がある。「一滴一滴の滴は大河になる。」これが、まさに渋沢栄一自身が描いていた大河ドラマです。

渋沢栄一の理念とSDGs

実は、SDGsは、渋沢栄一の『論語と算盤』と通じるものがあります。

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「仮に一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばどんなものであろうか、いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。故に国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである」。
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これが、栄一が示した「誰一人取り残さない」という目標です。SDGsが採択される100年以上の前から渋沢栄一は同じような考えを唱えていたのです。

栄一は決してお金儲けを否定していませんでした。むしろ、その意欲を持つことは重要だと考えた。ただ、稼ぎの手段を選ばず、儲けを独り占めしてしまい、大多数の人々が不幸に陥るようでは、結果的に自分自身のウェルビーングにもつながらないということを唱えていたのです。

そのウェルビーングが「継続」することが大事。つまり、栄一が「論語と算盤」で最も言いたかったことを今の時代の文脈で表現すれば、それは「持続可能性=サスティナビリティ」です。

まさに、SDGsの最初の「S」の部分です。そして渋沢栄一のライフワークとは、よりよい社会を築くこと、「D」(開発)であり、それがG(目標)だったのです。

渋沢栄一は、「真に理財に長じる人は、よく集むると同時によく散ずるようでなくてはならぬ。」という考えも示していました。

お金を「よく集める」ことが理財に長じると思いがちですが、「よく散ずる」、つまり、お金の使い方も大事であるということです。

MeからWeへ。そしてその逆も

今回のコロナ禍で私たちは肌で感じました。いかにMe、自分や家族の健康を守ることが重要であることが。しかし、Meだけで、Weが分断されてしまうとMeが何もできなくなる。Weがきちんと回っているからMeの生活が成り立っているのです。

MeからWeへは決してMeの否定ではありません。MeからWeへ、そしてWeからMeへという循環が重要であり、それがSDGsの本丸である「包摂性」にもつながっていくのです。

去年10月に就任された岸田文雄総理は「新しい資本主義」を国家ビジョンとして掲げられ、「成長と分配の好循環」の経済政策を表明されています。『論語』が「分配」、『算盤』が「成長」と解釈しても良いかもしれません。

「新しい資本主義実現会議」の有識者メンバーに任命された私は、もちろん渋沢栄一の生まれ変わりでなはく、跡継ぎでもありません。単に数多い、栄一の子孫の一人であります。ただ、「新しい資本主義」のあるべき本質は、日本に導入された資本主義と同様に、社会を変革することだと思っています。

現在は日本の近代史上、重要な時代の節目を迎えています。人口動態の激変により、今までの日本社会が体験したことのない規模感とスピード感で世代交代が始まっているのです。今までの成功体験を作ってきた世代から、これからの新しい成功体験をつくらなければならない世代へのバトンタッチです。

今までの日本は、人口動態がピラミッド型の昭和時代ではMade In Japanという成功体験をつくり、ひょうたん型に変異した平成時代には米国などからのバッシングに対応するためにMade By Japan(貴方の国でつくります)という合理的なモデルにチェンジさせました。

しかし、それからおよそ30年を経て、日本は世界から素通りされるパッシングに陥りました。バッシングからパッシングへ。これが平成うべ日本の総括かもしれません。少なくとも、それまで築いた成功体験から、異なる時代環境で新たな成功体験へと進化するために必要なトランジション(変わり目)の時代が平成だったのでしょう。

渋沢栄一から学ぶべき心構え

令和という新しい時代環境において、日本は新しい成功体験をつくらなければなりません。私が期待している令和の新しい時代の新しい成功体験は「Made With Japan」です。大企業だけではなく、中小企業やスタートアップ企業も含め、日本全国からの様々な組み合わせによって、世界の多くの国の大勢の人々の暮らしを豊かにすることができる、持続可能な社会を支えることができるはずです。

私の「新しい資本主義」への期待は、この「Made With Japan」という令和日本の新しい成功体験を実現させることです。そして、この「新しい資本主義」の核心は『人的資本の向上による社会変革』だと思います。従来の資本主義は、金銭的資本の向上に捕らわれていた傾向があることは否定できません。だから、人的資本の向上を担う「新しい資本主義」が必要なのです。

最後に、渋沢栄一が築いた日本の新しい資本主義から、現在の新しい資本主義が学ぶべき心構えがあると思っています。

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『道理ある希望を持って活発に働く国民』という標語は、概括的な言葉であるが、先頃ある亜米利加人がわが同胞を評して、日本人の全体を観察すると、各人皆希望をもって活発に勉強する国民であると言われて、私は大いに悦びました。私もかく老衰してはおるが、向後益々国家の進運を希望としておる。また多数の人々の幸福を増すことを希望としておる。
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「道理ある希望を持つ」ということは、つまり、「青天を衝け」ということですね。