「君はプレー出来ないと言われて…」香川真司がマンU退団の舞台裏を赤裸々告白! 名将からの戦力外通告で――
大きな期待を背負っての移籍だった――。
2010年の夏にセレッソ大阪からドルトムントへ完全移籍した香川は、ユルゲン・クロップ監督(現リバプール)の薫陶を受け、瞬く間にチームにフィット。中盤の絶対的なレギュラーとして君臨し、ブンデスリーガ2連覇に大きく貢献した。
その状況が一変したのは、さらなる飛躍が期待された2年目だった。
監督生活にピリオドを打ったファーガソンの後を受けたデイビッド・モイーズ監督(現ウェストハム)が、フィジカルに重視したサッカーを採用したため、技巧派の香川の出場機会は激減。そのモイーズが成績不振で解任され、OBのライアン・ギグスが暫定監督に就任してからも、満足のいく出場機会を得られず……。
結局、ルイス・ファン・ハール監督が就任した14-15シーズンの開幕直後に古巣ドルトムントへの復帰を決断した。
ユナイテッドの2年間を振り返った香川は、「僕は常にプレーしていたかったけど、試合に絡めなくなってそれができなかった」と語り、自身のパフォーマンスに度重なる監督交代が影響したことを明かした。
「モイーズが解任され、次々と監督が変わり、たった2シーズンで4人の監督と一緒になった。加入した時は25年間にわたり、チームを率いた(ファーガソン)監督がいたけど、その後、モイーズ、ギグス、ファン・ハールが指揮を執った。
僕自身、ブラジルでのワールドカップでうまくプレーできず、日本代表もグループステージ最下位で敗退してしまっていた。だから、自分のベストを取り戻すために、新たな挑戦の必要性を感じていた」
そんな香川にユナイテッドを去ろうと決断させたのは、当時、指揮を執っていたファン・ハールの事実上の“戦力外通告”だった。
香川は、その当時の心境を赤裸々に告白している。
「もちろんマンチェスターでプレーを続ける可能性もあった。けど、アンヘル・ディ・マリアとラダメル・ファルカオが加入し、僕の状況がより悪い方向へと変わっていった。
さらに、ファン・ハール監督から『シンジ、君は私の下で多くはプレーできない』と言われたんだ。これで2年間を過ごしたマンチェスターから離れる時だと理解した。あんな言葉を聞かされれば、選手なら誰だって『ここから去る時が来た』と考えると思う」
こうしてドルトムントに復帰した香川だが、ユナイテッドに行く前のようなインパクトは残せず、年々パフォーマンスが低下している感が否めない。念願のスペイン移籍を果たした今シーズンも、だんだんと調子を落とし、2020年に入ってからはノーゴールと期待に見合う活躍ができていない。
クロップの下で躍動していた時のようなトップフォームを、香川は再び取り戻せるだろうか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
