財源が限られる中で大学無償化により何が得られるのか、議論が不足している(撮影:梅谷秀司)

大学などの高等教育の無償化について政府は給付型奨学金の拡充を軸に、授業料を卒業後に収入に応じて返済する「出世払い」制度の導入を検討している。


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高等教育の無償化の目的には、格差是正だけでなく「人づくり革命」の中心課題である生産性の向上がある。無償化のほかにも、人材投資の一環で、地方の国立大学を職業教育の場として活用することなどを中心とする大学改革も議論される見込みである。

しかしながら、財源の問題や低い生産性に対する危機感などが活発に議論されている割には、日本の高等教育の大きな問題点である「院卒不足」と「過剰教育」のジレンマの問題については議論が十分に行われていない。

先進国比で少ないのは「修士」や「博士」

文部科学省の「科学技術指標2017」によると、毎年の日本の学士号取得数は人口100万人当たり4404人で、英国(同6581人)や韓国(同6687人)、米国(同5936人)には届かないものの、ドイツ(同2787人)やフランス(同2758人)を大きく上回っている。一方、修士号や博士号の人口100万人当たりの取得数についてはほかの先進国を下回っている。学士の数は十分でも、修士・博士は相対的に不足していることがわかる。


ほかの先進国と比較すると日本の生産性は低い。これを補うための改善策が高等教育の推進であるとすれば、すでに他の先進国対比で遜色のない水準にある学士の数を増やすよりも修士や博士を増やすような政策が必要と考えることもできよう。

大学や大学院の授業料が無償化されれば、修士号や博士号の取得数増加にもプラスの面はあるだろう。しかし、筆者(理学修士)の経験によると、大学院進学を阻む要因として大きいのは目の前の学費や学生ローンの返済よりも、学位取得後の進路の問題であるように思われる。

博士号取得を視野に入れる学部生や修士課程の学生の間ではよく知られた話(少なくとも10年くらい前にはよく知られていた話)がある。それは世界全体の人口を100人の村に例えて世界の貧富の格差などを説明した『世界がもし100人の村だったら』(2001)という本のパロディである「世界がもし100人の博士だったら」。

日本の博士号取得者の進路を100人に縮約すると、16人は医者、14人は大学教員、20人はポスドク(Postdoctoral researcherの略。博士号取得後の研究員で、有期雇用が多い)、19人は会社員、7人はほかの何らかの分野に転出、16人は無職で、8人は行方不明になるという。博士号取得後に無職や行方不明が多いというこの話を信じて修士や博士の学位取得に二の足を踏む学生も多かった。

実際には理工系博士のうち4人が「不明」

大学院への進学率が高い理工系学生の卒業後の進路を実際に比較すると、さすがに16%が無職で8%は行方不明というわけではないものの、理工系・博士号取得者の進路のうち、「不明」(死亡・不詳の者)の割合が2016年調査では4.3%で、理工系・学士号取得者の同0.4%や、理工系・修士号取得者の同0.5%を大きく上回った。


なお、「その他」の中には調査時点で進路が決まっていない者が多く含まれる。アカデミックなポストの公募は通年で行われているケースが多いため、博士号取得者は「その他」の割合が多くなりやすい(「科学技術指標2017」より)という面もあるが、研究職に応募しても採用されず、そのまま進路が決まらない者(最終的には「不明」に含まれる学生)もいるだろう。

日本は理工系よりも人文社会科学系の修士号・博士号取得者の数が少ないことも特徴である。日本の人文社会科学系の学士号取得者の数(人口当たり)は米国の69.5%だが、修士号取得者は10.6%、博士号取得者は18.4%にとどまる。

人文社会科学系の修士号・博士号取得者の卒業後の進路については、理工系よりも一段と厳しい。進路が「不明」の割合は、人文社会科学系・修士号取得者が4.1%、博士号取得者が15.1%と、大きな数字である(2016年調査)。


学位取得後の進路に対する不安が大きければ、目先の学費が無償化されても進学意欲はそれほど強くならないだろう。

この点に関して、文部科学省は2018年度から、若手や女性の研究者を積極的に雇用する大学の支援に乗り出すという(8月23日付、日本経済新聞夕刊)。

減っていく大学内のポスト

「国立大学では法人化を機に国からの運営費交付金が減り、人件費の圧縮もあって若手が大学内のポストに就きにくくなった」「博士号を取得しても安定したポストに就くのは事実上難しく、博士課程に進学する学生は2003年度をピークに減少傾向が続く」という。このような議論が授業料の無償化に先行して行われるべきだろう。

もっとも、その間にも少子化による学生の減少が続くため、対策を行っても大学内のポストはそれほど増えない可能性が高い。民間企業における「新卒一括採用」のシステムが、絶対数の少ない博士号取得者などには情報格差の面などから不利に働いている面もある。これらの問題が残るうちは「院卒不足」の状況は継続し、高等教育の拡大も限定されるだろう。

ほかの先進国との対比で日本が「院卒不足」であることが示される一方、日本は逆に「オーバーエデュケーション(過剰教育)」であるという指摘もある。OECD(経済協力開発機構)の「国際成人力調査(PIAAC)」によると、日本人の31.1%が「仕事に必要な学歴や能力・資格より、自分の学歴や能力・資格のほうが高い(over-qualification)」と答えた。調査国の中で日本は僅差でフランスに次ぐ2位であり、多くの人が過剰教育だと感じている。


玄田有史編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』では生産性や賃金が伸びにくい理由の一つに「企業内OJT(On-the-Job Training)の衰退」が挙げられている。生産性向上に必要なのは、高等教育ではなく、実際に企業で使えるスキルであるという見方もあるだろう。

少子化が進む中での大学改革の方向性など、高等教育のあり方については多くの論点がある。しかし、当リポートで議論した2つの論点である「院卒不足」と「オーバーエデュケーション」というジレンマに対する解決策は、高等教育の無償化ではないだろう。

無償化というわかりやすい議論に終始するのではなく、少子化の問題点を中心に幅広く問題をとらえるべきである。